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おまけ 春夜の夢と仙狸の恋

 酒も入れば皆馬鹿騒ぎ。一人が眠れば一人が起きて、あっという間に夜も更ける。

 ちえちゃんが帰り、志麻が帰り、別の誰かが見回りの為に席を離れ、それでもまだまだ人は多かった。

 周りを見れば管を巻く大酒飲みに、笑う者に泣き出す者、どこから連れてきたのかこの街の住人を巻き込んで酒を煽る者もいるのだから、酒飲みというものは皆往々にして面倒臭い生き物である――


 大きな輪から離れて一人、見上げた空はどこのものか。継ぎ接ぎだらけの世界の空は暗く黒く星も見えず、申し訳程度に置かれた紛い物の月と提灯の灯りがただただうっすらと辺りを照らしていた。

 今は少し、考え事をしたい気分だ。

 酒の席が嫌いなわけではない。ここにいる者たちは皆優しいし、この楽しげな雰囲気も悪くない。ただなんと言おうか、宴会というものに一区切りついた今、一頻りはしゃいだ後に押し寄せる感傷の波に呑み込まれてしまいそうだったのだ。

 杯に浮かべた偽物のお月様と薄紅の花、少し揺らせばいびつに歪み、その小さな水面はきらきらと光る。

 美しい、と、素直にそう思う。ぼんやり杯の中身を見つめ、揺れる形を楽しんで、溢れる溜息は感嘆――

「きれい……」

 柄にもなく、そんなことに感動してしまうから、私はすっかり酔ってしまっているのか。お酒は控えめにしていたというのに、楽しい空気というものは心をおかしくしてしまうらしい。

 夜風に当たって酔いを冷まし、これではまた理彰に叱られてしまうかと苦笑する。そうして水でももらいに行こうかと思案していると不意に声を掛けられた。

「どうした雨華ちゃん。気分でも悪いか?」

大きな気配は私の真横でぴたりと止まり、視界の端に見えたのは水の入ったグラス。杯を置いて水を受け取れば富陽が隣に腰を下ろした。

「ありがとうございます」

「こんなにいい夜だ。礼なんていらないさ」

酒を啜る富陽は頭上、花を見上げて手を伸ばす。それから何かを掴んだ彼がゆっくりと手を開けば、中には淡い桃色の花。私の髪にそっと花を挿し、富陽は顔を綻ばせた。

「ほら、花だってこんなに綺麗なんだ」

「あっ……」

不覚にも、どきりとしてしまった。しかしどうしてだろう、なんだか可笑しくて仕方がない。

 肩を震わせこみ上げる笑いを堪え、似合わないと告げれば富陽はまあそう言うなって、と照れ笑いをして酒を嘗める。体も大きく一見して雑で粗暴な印象すらある富陽だが、その酒の飲み方実にスマートで、大人だった。

「なんか、意外です」

横目で見たのは飲めや歌えのどんちゃん騒ぎ。賑やかで大変よろしい、が、長居するには些かうるさすぎる。富陽はてっきりその辺りの仲間かと思っていたものだから、どうやら誤解していたようだ。

 笑みを隠さず、そのままを富陽に伝えれば彼は苦笑しまた一口、酒を嘗める。

「伊達に長生きしちゃないさ。これでも大体のことはわかってるつもりなんだ」

そう言って富陽がちらと目線をずらし、その先には大狼さん、ことりさんと、理彰の姿。

 俺、彰さんのこと尊敬してるんです、と呂律の回らない口で泣きながら訴えるのはすっかり酔いが回っている大狼さんで、それをなだめるのはことりさん。理彰はというと呆れ返ったという態度ではありながらもまんざらでもない様子。水の入った器を持ち、大狼さんの背を擦る彼のその表情はどこか嬉しそうだった。

「あいつは堅物でとっつきにくいことを除けば面倒見がいい、良い男だ」

酒を飲み飲み、呟く富陽は私と理彰を交互に見る。そんな富陽もまた、嬉しそうな表情をしており、ひとつ息を吐いた彼は、私に近付きそっと耳打ちしてみせた。

「好き、なのか?」

「はっ……!?」

頬を押さえて急いで飛び退き富陽を睨む。熱くなった顔を冷ますように深呼吸、冷たい風が欲しくてひらひら、手で顔を扇げば彼はお腹を抱えて笑い出す。

「もう!」

「ああ、いや、悪いな。ちょっと聞いてみたかっただけだ」

からかわないで下さいと一蹴、動悸のおさまらない心臓を落ち着けるように胸に手を当て深呼吸。まだ笑みを浮かべている富陽の隣に再び腰を下ろし、好きですよ、と小さく呟いた私はまったく可愛げのない膨れ面をしているはずだ。

 こんなこと、富陽に言っても仕方がないというのに――

 咲き誇る花を眺めて溢れた溜息と、ひらり、落ちる小さな花弁。横目で見た富陽はほんの少しだけ、困ったような表情を見せてから、私の肩を軽く叩いた。

「うちは自由恋愛主義でな。まあ、オフィスラブもご自由にってやつだ」

安心しろとにっかり笑う富陽は私の肩に手を回す。伝えてきてやろうか、なんて、冗談も大概にしてほしい。

「社内恋愛はさておき、今日日自由恋愛が世のスタンダードなのでは……?」

大きな富陽の腕の下、するり、抜け出しそう告げれば、何やら意地の悪い顔をした富陽と目が合い私の心臓はどきりと跳ねた。やはり彼も酒飲みである。本当に、面倒臭い。

「そうか……なら俺が雨華ちゃんをもらうのもアリってやつか」

顔が近づき背中にはぞくぞくとした不思議な感覚、腰に回されようとしている手から今すぐ逃げよと本能が叫ぶ、が、その次に聞こえた言葉は私の想像とは正反対。とても、とても優しいものだった。

「あいつは奥手だから、二人きりになったら雨華ちゃんからちゃんと、言えるな?」

「あの、それは――」

「富陽、くだらん冗談で雨華を困らせるな」

私が離れるよりも前、富陽の囁きの真意を問いただす前、間に割って入ったのは理彰である。彼は一体なんのつもりだと呆れた様子で富陽に問うて、綺麗に纏められた髪を崩すようにくしゃくしゃと頭を掻いた。

「冗談が過ぎる」

「なに、ちょっとからかってやろうとしただけさ」

動揺している理彰に、気にするなと悪びれもせずに答えた富陽は先程とは打って変わって穏やかな笑みだ。悪かったな、なんて、果たしてそれは本心か。なんとも軽い謝罪と共にひらひら手を振り去っていく。

「驚いたろう。あいつはこんな冗談を言う奴ではないのだが……」

 理彰が冗談だと言うのなら、富陽のあの行動に私への好意はないのだろう。ともすれば、彼の本意は――

「ふふ……あ、いえ、平気です」

本当、富陽もおかしな男だ。これでは理彰が間に入ってくることを知っていたみたいではないか。

「どうした」

 くすくす、笑う私を見る理彰は訝しげでいてもどかしげ。彼の苛立ちから感じるのはもしかしたら嫉妬、なのかもしれないと、そう思った。


 宴もそろそろ終わりの頃か。帰り支度を始める者に朝になったら起こせとその場で眠る者とそしてそれを引き止める者。まだまだ騒がしいことには変わりないが、それでも酒飲み達は徐々に、徐々に静かになっていく。

 私と理彰は皆と少し離れた場所、隅で二人、並んで過ぎゆく時間に身を任せていた。これではなんの為に富陽に二人きりにしてもらったのかわかりやしないが、どうしても肝心な一言が口に出せず、もどかしい。

 このままでは何も伝えられぬままではないか。覚えたのは寂しさで、この身を駆けたのは切なさ。

「春宵一刻値千金……」

花香る広場の隅で二人、ぽつり。おぼろげな月を見て呟いたのは、昔々の詩の一節。春の宵の一刻は千金にも値する――それは情緒的であり儚く切ない、春の夜の詩。まったく柄でもないのだが、なんとなく、今日のような日にぴったりだと思った。

「お前らしくもない」

目を丸くしてそう言った理彰は意外だと上を見上げ、花と月とを見比べる。その頬が赤いように感じられるのは酔いによるものか、それとも……。

 考えてもわからない。なら、まどろっこしいことはもう終わり。

「二人、並んでこうしているこの時間は何ものにも代え難い」

そう呟いてから、空を眺めている理彰の腹に手を回す。頬を寄せればぴくりと理彰の体が揺れた。

「そう思っているのは私だけでしょうか」

「雨華……?」

頭上からは動揺表れる震えた声。何をしている、と言いつつも彼に抵抗する素振りはなく、ただただ私に抱きしめられ、立ち尽くすだけだった。

「ねえ、理彰ならこの意味、わかるでしょう。ウソかホントか、見抜いて下さい……」

これ以上は、言えそうにもない。顔を埋めて次の言葉を待てば、理彰はひとつ唸って私の手を握る。おずおず、躊躇いがちに伸ばされた手は少し、冷たい。

「恩人の仇だぞ……わかるだろう」

弱々しい声が、言葉が、ちくり、胸に刺さる。優しく手の甲を撫でられ、なぞられ、私の胸が締め付けられる。

 知っている。理彰があの人を殺したのだ。そこにどんな理由があるにせよ、その事実は変わらない、揺るがない。しかし私も私である、理彰のことは嫌いになれないのだ。自分の想いは師に対する裏切りなのではないかという葛藤が、胸の中でぐるぐると渦を巻く。

「お前の隣に居ていいものか、わからんのだ。すまないな……」

 ああ、こんな謝罪はいらなかったというのに、聞きたくなかったというのに……どうしようもなく泣きたい気分だ。ゆっくり体が離れていき、理彰と向き合って、見つめあう。

 理彰の視線はゆらゆら動き、表情は切なげだ。

「りしょ――」

「雨華……」

 ああ、もう、どのように思われても構わない。

 すまない、と二度目の謝罪を待たずして飛び込んだ理彰の懐。精一杯の背伸びで奪ったのは理彰の唇だ――

 触れて、食んで、ただそれだけ。唇が離れれば顔を赤らめた理彰と視線が合う。

「はしたないって、叱りますか? あなたがいう恩人の仇とやらに恋慕する私を薄情だと謗りますか?」

泣きたい、胸が熱くて仕方がない。理彰が何かを言う前に、一息で言いきり、問いかける。狼狽する理彰に再び抱きつき、彼の顔を見ぬように、その胸に顔を埋めた。

「叱ってください……怒ってください……すまないなんて言わないで、謝っちゃ嫌です……理彰は私のこと、嫌いなんですか……?」

決して涙を見せぬよう、いつものように引き剥がして、叱ってほしいと懇願する。遠くで聞こえる皆の声は未だ楽しげで、まるでここだけ別の世界。お願い、と念を押すように理彰を見上げれば、理彰はひとつ、大きな溜息をついた。

「……慎みを持て」

私を引き剥がしてからの理彰の一言は、呆れたような、いつもの彼の物言いで、違うのは、その様子だけ。そわそわ、落ち着かないと泳いでいた視線は今じゃまっすぐに私を見ている。唇はゆるく弧を描き、大きな手は私の頭の上、髪を梳くように動く。

「お前はずるいな……俺は嘘が吐けないのだぞ。嫌いかなどと聞かれたら、返答に困るではないか」

「あ……」

理彰の指は髪から頬へ、撫でるその手は優しくて、頬は触れられたそばから熱を帯びる。

 欲しかった言葉まで、もう少し。強請るように手を伸ばし、理彰の唇をするりと撫でてみれば、彼は困ったように眉尻を下げてひとつ呟いた。

「お前を謗れるわけがなかろう――」

好きだ――彼の一言にどきり、私の心臓が大きく跳ねる。ずっとずっと聞きたかった言葉なのだもの。


 ああ、胸の高鳴りが抑えきれない!


「もう一度口付けを」

自らの欲に素直であれ、そう思って差し出した顔は調子に乗るなと掴まれて、ふいとそっぽを向かされる。誰が見ているかもわからん、なんて照れた様子の理彰に無理矢理見せられたのは桃の花。視界いっぱいに広がる花々は美しくこれぞまさに桃源郷……なのだが、もう少し甘えさせてくれてもいいではないか。

「私は花だけの木よりあまーい果実の方が好きですけどね」

素直に答えるのはなんだか癪で、不貞腐れたように発した私の言葉に理彰は苦笑い。後で菓子を買ってやると頭を撫でて、そろそろ戻るかと私の手を引き歩き出す。

「……理彰、好きですよ」

「ああ」

これからも仲良くしてくださいと頭を擦り寄せ頬擦って、それでもなんだかんだで許しくれるのだから、やっぱり理彰は優しい男なのだと、そう思う。


 賑やかだった宴も終わり。理彰と二人、並んでゆっくり歩いていく。

 春宵一刻値千金――二人の時間は貴く幸せなもので、こんな想いがいつまでも続けばと、私は月に願うのだった。

ご拝読ありがとうございます。

仙狸の話はこれで完結となりますが、これからも同じ世界でのお話を書いていきますのでそちらでもお付き合いしていただければ嬉しいです。

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