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雪解けに見た薄紅 後編

 大事な話があるからと、サイさんに呼ばれてやって来た。

 オフィスの戸を開ければ、朗らかな笑みのことりさんに迎え入れられ、富陽に頭をくしゃくしゃと撫でられる。奥では大狼さんとサイさんが話をしながら作業をしており、その周りを駆け回る足音はどういう訳か、子どものもの――

「やったー! うたげ! うたげー!」

「ああもう! ちえちゃん!! 危ないから走り回らないで! ねえちょっと境助けて!」

「すまない志麻ちゃん。まだ足が動かなくてな」

 一体全体なんなのだ。大事な話どころかお祭り騒ぎ。銀時計の少女に志麻と境までいるではないか。

 何事ですと理彰と富陽を交互に睨めば理彰は困ったように頭を掻き、富陽は笑って私の肩を叩く。

「今日は歓迎会だよ」

「は……?」

唐突過ぎて言葉も返せず、私はなんのことかと訳も分からず首を傾げるばかり。そんな私を見た富陽はこっちへ来いと手を引いて、奥の部屋へと案内する。

 以前の応接用の机より、もっと高そうな応接セット。理彰と並んでふかふかの椅子に腰をかければ、首にタオルを掛け、大きな封筒を手にしたサイさんが現れた。

「やあ、理彰と、それから雨華ちゃん。急に呼び出してごめんね」

彼は何をしていたのだろう、サイさんは額に滲んだ汗を拭い、こんな格好だけど、と私の向かいへ座る。どうしたらよいのか分からず、お疲れ様ですとたどたどしく、控えめに頭を下げるとサイさんはからり、笑って書類を取り出してみせた。

「体調も良さそうで何より。楽しい宴会の準備もあるから単刀直入に、ざっくりと説明しよう。実はね、君にこの会社で一緒に働いてほしいんだ」

「どういうことですか――」


 机の上に並んだ書類は量も多く、私にはまだ分からないことがぎっしりと書いてある。とりあえず読まねばと目を通してみれど、やっぱりさっぱりちんぷんかんぷん。眉間に皺を寄せ目を細め、顎に手を当て首を傾げれば、富陽が難しいことなんてないと笑って書類をひとつ手にとった。

「人間に悪さをする奴らが出てきたもんだからそいつらに対抗するのに力になってほしいってだけだよ」

 富陽の言葉はどの書類よりもわかりやすく、簡潔。なるほどそれなら話は簡単だ。

 どうやら、あの騒動の後からどうも物騒な事件が増えているらしい。人を襲う不届き者が急激に増えてきているのだと、サイさんは言う。

「クー子の存在は大きかった。今暴れているのは彼女の支配から離れた者なんだ。彼女は、今までそういった妖魔を抑えつけていたんだよ。頼りきりになっていたことに気付けなくて……情けない限りだ」

サイさんの表情は苦しげ、自嘲気味な笑みから感じるのは、責任感と後悔の念。富陽は唇をかみ締め、理彰はただ、黙ったまま。

 蟄居ちっきょを命じられているクー子さんは、こちらの世界には干渉できず、そして彼女が抜けた穴は相当大きいらしい。人手不足も相俟って、てんやわんや、というところか。それならば、志麻と境に声が掛かるのも頷ける。では、私はどうするべきか――

 そんなこと、考える前に答えは決まっていた。

「その話、お受けします」

上に立つ者の苦労など知ったことではないが、助けなければと、そう思ったのだ。恭しく、畏まって頭を下げれば、黙ってみていた理彰が口を開く。

「雨華、危険な仕事もあるのだぞ。その……俺としては、断ってくれても構わないと思っている」

言いづらそうに、探るようにそう言った理彰は落ち着かないといったように目を逸らし、卓上の書類を手に取り眺めた。

 私が外で働くといった時にも反対したのは理彰だ。彼は心配してくれているのだろう。理彰の言う通り、危険な仕事も多いはずで、全く抵抗がないかといえば、それは嘘。境との戦いでは本当に死ぬかと思った程だし、実際、戦闘になった時のことを考えると恐ろしい。

 それでも私がこの話を受ける理由。皆を助けたいから、世話になったから、それだけではない。

「理彰、私なら平気です」

「しかし雨華……」

理彰と共に、皆と共に、夢の実現へ向けて歩くことができるなら、そんな幸せなことはあるだろうか。

 その為なら戦いに身を投じることとなっても構わない。自分の身が傷付いても良い。殺めることだって厭わない。

 そう、これは決意だ――

「理彰。私も皆さんのお手伝いがしたいです」

テーブルの上のペンを取り、沢山ある書類の一番上、自分の名前を記す箇所に、しっかり名前を書き込んだ。

 平気です、再度の言葉に理彰は諦めたように頷き、そこから話はすぐにまとまった。

 私の仕事は主にふたつ。ひとつは理彰の下で大狼さんやことりさんと共に働くこと。命令があれば敵との戦闘、捕縛、排除をする自警団のような役割になるらしい。

 そしてもうひとつの仕事は洋食店でのウエイトレス。これは私が無理を言って続けさせてもらうアルバイトだ。条件は人の精を食べないことと、勤務日数を減らすこと。

 掛け持ちは大変だと聞いたけれど、小鹿さんたちに会えなくなるのは寂しい。何より、あのお店は私が普通の人と関われる大事な場所なのだから、そこだけは譲れなかったのだ。

 ありがとうございますと頭を下げて、書類の記入欄をひとつひとつ、埋めていく。慣れない文字を書くのは大変だが、これから始まる新しい生活が楽しみで仕方がない。

「私、頑張りますから」

「うん、よろしくね」

サイさんに、富陽、理彰、そして自分自身に言い聞かせるように告げる決意の言葉。

 今日、これから、今、私は本当に皆の仲間になったのだ。


 雨華ちゃんは休んでていいよ――サイさんに言われるがまま、三人を見送りごろり、椅子に横になる。理彰と富陽も宴会の準備にいってしまったので退屈極まりない。

 全く、そのようなことはしなくてもいいというのに……。

 宴会、歓迎会と呼ばれたそれは、志麻と境、ちえと、それから私、四人が主役なのだと富陽が言っていた。ちえはここで働くわけではないが、魔法使いのなんたるかを学ぶ為、正しい力の使い方を身につける為に、志麻に師事を願ったのだそうだ。

「良く出来た少女、ですねぇ……」

退屈に溜息、「病み上がり、宴会の主役なんだから」とは言われたものの何もせずにいるのも落ち着かず、横になっては起き上がり、繰り返すこと早数回。それは私が何か手伝いに出掛けようかと扉に手をかけた瞬間だった。

「志麻……」

外側に扉が開き、眼の前には志麻の姿。疲れきった様子だった彼女は私の顔を見るなり態度を変え、私の腕に掴みかかる。

「やっと会えた! あなた今まで何をしていたの!? 私言いたいコトたっくさんあるんだから!!」

「なんですか騒々しい」

「いいからそこに座って!」

腕を引かれて乱暴に座らされ、仁王立ちの彼女は散々な目にあったわと愚痴をこぼす。

 志麻曰く、私が境と戦っているあの時、彼女はちえの元にいたらしい。なんでも病に伏せるちえの父親を助けるべく、薬を作っていたんだとか。

 それにしても――

「ちえちゃんのお父さんも元気になったんだけどね、問題はその後! 疲れ果てて帰ってきたと思ったら境はボロボロになって拘束されてるし、優しかったクー子さんは悪人扱い! おまけに私まで捕まるなんてほんっとやってらんないわ!」

志麻はこんな言葉遣いをする子だっただろうか。以前の気取った口調とは違う、街で見かける今時の高校生と変わりないその姿は、なんだか少し滑稽だ。くすりと笑えば睨まれて、咳払いで誤魔化した。

 外の喧騒を無視して二人、睨みあった部屋の中。空気は不思議と悪くなく、むしろ居心地が良いとすら思えるほど。戦う必要がないのは本当にいいことだと、そう思った。

「で、私にどうしろって言うんです?」

頬杖ついて呆れ顔、志麻を見上げて問うてみれば、彼女は拗ねたように目を逸らす。

「別に。鬱憤が溜まってただけ」

なんだ、話を聞いて欲しかっただけか。

 それでも随分ときつい物言いだったが、小娘なりに環境の変化についていこうと必死なのだろう。それに、私と彼女は敵同士だったのだ。すぐに仲良くなんて出来る訳がない。

 ぴかぴかの机を見つめたまま、言葉も交わさず過ぎる時間は、不毛というもの。何か、声を掛けるべきか、皆の元へ行くべきか。ぼんやり思案していると、ごとん、と眼の前に置かれる缶ジュース。

「そうだ……これ、頼まれて渡しに来たの。サイさんがあなたに、って」

後ろ手に持っていたのだろう。渡すなら渡すでさっさと置いて出て行けばよかったものを、おかしな女である。頭を下げて礼を言い、すっかり汗をかいて濡れてしまった缶を手に取れば、志麻は私の隣に座り、悪かったわねとひとつ謝罪をした。

「んっ……なんのことです……?」

流し込んだジュースは微炭酸だった。志麻の謝罪に驚き咳き込みながら問うが、彼女はそれ以上を口にせず、私の背中を擦るだけで、それから次に口を開いたのは、私がどうにか落ち着きを取り戻した頃だ。

 頬を赤く染め、相変わらず目を逸らしたまま、彼女は素っ気なくこう言う。

「境を殺さないでくれて、ありがと。あと……ヒドいコト言ったりしてゴメン」

可愛げはない。しかし、それは心からの礼と謝罪だ。ならば、謝らなければならないのは私も同じこと。

「殺さないでくれて感謝してるのは私もですよ」

悪者と決めつけてすみませんでした――少しだけ素直に、目を見て告げればなんだか気分がすっきりする。きっと私は心のどこか、彼女たちのことが気になっていたのだろう。

「……謝んなくていいよ。境も、多分そう言うと思う」

だから、彼女に返事をもらえたのは安心したし、許してもらえたような、ちょっとだけ分かりあえたような、そんな感覚が嬉しかった。

「良かったです」

「うん……私も、そう思う」

 それからぎこちなく、のんびりと話したのは境のこと、そしてこれからのことだった、中でも私が一番気掛かりだったのは境の怪我と、彼の弟の件。クー子さんが捕らえられたことでそれらの話は一度白紙に戻ってしまったのだと志麻は言うが、果たして境はそれでよかったのだろうか。

「境、がっかりしていましたか?」

ジュースの缶を握り潰し、志麻の顔を覗いてみる。あの時は迷うものかと思っていたのに、やっぱり私は臆病だ。すっかりびしょびしょになってしまった缶から、一滴、雫が落ちた。

「ちょっとだけ、ね。でも元からそんな期待もしてなかったみたい。今はそれよりも前より踏み込んだ所で弟さんの行方を追うことができるって喜んでるし、あのままクー子さんについていても境は後悔してたと思う」

そして、私の問いに答えた志麻が浮かべるのは微笑み。彼女は私から空き缶を取り上げるとそれをゴミ箱へと放り投げ、何も気にしなくていいと部屋の入り口へと向かっていく。

「ほら、こういうのは境がなんとか言わないといけないんじゃないの?」

志麻が開いた扉の外に境。お疲れ様ですと軽く会釈すれば境はすまないと頭を下げ、困ったような笑みを浮かべているその口を開いた。

「準備が整ったから呼びに来ただけで盗み聞きするつもりはなかったんだが……そうだな、先日のことなら何も気にしなくていい。言った通り、俺はこれでよかったって安心してるんだ」

 境の表情は晴れやかで、ここは居心地がいい、と付け足された言葉から感じるのは充足感。志麻はほら見なさいとでも言うように私に目配せをして、下に降ろした手でピースサインを作ってみせた。

「これからよろしくね、センパイ」

人懐っこい彼女の笑みが近付いて、私の手を引き歩き出す。宴の準備は出来ている、と境は扉に手をかけ開け放つ――

「待ってたよ。ねこのお姉ちゃん」

 扉の先は春の陽気のあやかしの街。下を見れば咲き誇るような笑みを浮かべた少女の姿、上には満開の桜、そして、私が感じたのはあたたかく優しい雪解け。

「おう、元気だったか。ミケちゃん」

「小鹿ちゃんも凛子ちゃんも、みんな心配してたぞ。メールのひとつでも打ってやれよ」

ちえちゃんと店長とジョンさんと、それから多くの仲間達がいて、卓の上にはおいしそうな料理が山のように用意されている。

「それ、入社祝いだ!」

富陽の声に合わせて鳴り響くのはクラッカーの音、その後に溢れる皆の笑い声。私はそれが楽しくて、嬉しくて、ほんの少しだけ、涙が出た。

「雨華、おめでとう」

皿に料理を取り分けて、理彰は私に手渡し告げる。泣いていることを気付かれぬよう私は料理を取るように屈み、ひとつ理彰に礼を言えば、彼は

「これからが大変だと思うがよろしく頼む」

と、私の肩をそっと叩く。

「任せて下さい」

服の袖で涙を拭い、まっすぐ見上げた理彰の顔は柔らかい。緩く弧を描く口元と垂れ下がった眉は楽しげでいて幸せそう。

 春の訪れと新たな門出、皿を片手に向かうのは、サイさんや大狼さん、ことりさんなど、一際人の集まるところ、改めて挨拶をすれば、私のことを知っている者も、今日私が初めて会う者も、皆口々によろしくと微笑んだ。

 日が暮れても宴は続く。話したいことはまだまだある。今日は私のはじまりの日だと、間違いなくそう思うのだ。

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