馬子にもなんとか 後編
理彰はサラリーマン、らしい。らしいと言うのは理彰の所属している組織は飲食店を経営している会社だからだ。しかしそれは表向きでの体系。実際の所は妖魔や精霊といった魔族が集まり、人間との共存を目標に動く自警団の様なものだと理彰は語る。
仕事内容は飲食店の経営、それから裏では人間社会で騒ぎを起こす魔族の取り締まりや悩み相談などを、それぞれが自らの特性を活かして行っているらしい。先程の女性、青路ことりさんは送り雀という日本の妖怪だそうで、危機を察知する力に長けているんだとか。
何にしても人間と共存だなんて、随分と奇特な人間が集まったものだ。真面目というか、なんというか、とてもじゃないけれど私には理解できない考え方だった。
「さて、お前が本当に気になっているのはそんなことではないのだろう」
今に話すから、と理彰は席を立ち、しばらくして茶器を抱えて戻ってくる。
「買い物に行くにはまだ早い。茶でも飲んで話をしよう――」
卓上に二つ並んだ茶杯から漂う、鼻腔をくすぐる爽やかな香り。それは昔々、誰かが出してくれた花茶の香りだった。
「……茉莉花、ですか」
「茶を飲んだことがあるのか」
「馬鹿にしないで下さい」
何も私だってずっと山の中で暮らしていた訳ではない。作法は知らないが茶くらい飲んだことはある。それなりに人の世界で暮らしていた時代だってあるのだ。
一口茶を啜って理彰を睨めば、それはすまんな、と一言。
「いいですよ。それよりお話を」
「ああ、そうだったな」
理彰はそう言って昨日のこと、何故あの場にいたのかを話し出す。
昨日、理彰達の元へ人間と手を組んで悪さをする輩がいる、人間五人が捕らわれていると情報が入った。そこで借り出されたのが理彰と富陽で、二人は敵の情報収集、それから人間五人の救出を命じられ、私の元に現れたらしい。
「だが、奴らの実態は掴めなかった。あの場には下っ端の人間しか居なかったのだ。結局あの晩、俺達は何の情報も掴めなかった」
「じゃあ私が日本に連れてこられた理由は」
「全く解らん。これが今話せる全てだ」
「そう、ですか……じゃあ仕方ないですね」
何も解らなかった、仕方の無いことだ。納得出来ない気持ちをお茶で流し込み、今は忘れようと笑ってみるけれどどうにも上手に笑えない。
理彰はすまんと謝るだけで、これでは話が続かない。
「……お手上げですね。理彰はもう謝らなくていいです」
しばし考えた後、もういいですと今度はしっかり、笑ってみせる。
何よりこれから理彰と買い物に行くのだ。いつまでも辛気臭い顔はしていられない。私もことりさんの様な、可愛い服を買ってもらうのだもの。しかし、理彰は相も変わらず渋い顔、これでは私が楽しくない。
「理彰、私は考えても解らないことは考えない主義です! ほら、こーうん、りゅ……りゅー……そんな感じです!」
理彰の意識をこちらに向けたくて口を開いたけれど、言葉は難しい。
使いたい時に使いたい言葉が出てこないのだから、困ってしまう。
ちらり、こちらを見た理彰は呆れた様に溜息を吐き一言、行雲流水、と呟いた。
「そう、それです! こーうんりゅーすい!」
「お前が言うとのんべんだらりとした印象しか持てんな」
それと非常に頭が悪そうだ。と付け足されるものだから腹が立つ。
「失礼な! そこらの小僧共よりは長生きしてるんですよ。老いた馬はなんとかです」
「老いたる馬は道を忘れず。もういい、無理をして難しい言葉を使うな。俺が疲れる」
理彰は額に手を当て首を振り、それから茶器を片付け私に言う。
「服を買うのだろう。出掛けるぞ」
「はい!」
待ちに待ったお出掛けの時間だ。待っていましたと返事をすれば、理彰の顔が一瞬だけふっと綻んだ。それは、私が初めて見た理彰の笑顔だった――
電車を降りて私の知らない大都会。勝手に動くなよ、とは出掛ける際の理彰との約束。それは私を捕らえた奴がいつまた襲ってくるか分からないから、迷子になったら困るから、という理由で、そうして理彰と共に電車に揺られてやって来た街は人で溢れていた。
駅の中では聞き覚えのある言葉も聞こえてくるので、はてこれはと首を傾げれば、この辺りには小さな唐人街があるのだと理彰が教えてくれる。
「だがこれから行くのは唐人街とは別の所だ」
足早に歩く理彰に付いて地上へ上がると、やはりここも人で溢れているので怖気付いてしまう。理彰は慣れた様子で歩いて行くので私は付いて行くだけで精一杯。勝手に動くなと言ったのは一体誰なのか、これでははぐれてしまうじゃないか。
「理彰!」
目の前の大きな交差点、徐々に開く距離に焦りを感じて名を呼べば、理彰はこちらを振り返り、何をしていると私の腕を掴む。
「この程度の街で音を上げられては困るな」
「だって理彰、私は都会を知りません」
優しくしてくれてもいいじゃないですか――呟いた言葉に理彰は溜息ひとつ。それから掴んでいた私の手を離し、その手を取って自分の腕に絡ませるのだった。
「世話の焼ける……これで文句は無いな」
やれやれと首を振る理彰だけれど、これはこれで少し違う気がする。確かに気持ちは有難いのだけれど、これではなんと言うか、
「恋人同士のようで少し気持ち悪いです」
そう、それだ。ここまで密着する必要は無いのだ。
はっきりきっぱり言い切ると、彼は顔を真っ赤にして否定し、私の手を振り解いた。
「いきなり何を……! 俺はお前が大変だろうと思ったからこうしたまでだ」
そんなことは分かっているが、余りにも距離が近いのは考えものだ。
そこに他意が無いにしても、人前でそんなことをするのははしたないではないか。
「何百年も生きていますが私だって一応乙女です。人前で殿方と手を繋ぐのは恥ずかしいんですよ」
そう言って理彰の手に軽く指を引っ掛ければ、理彰は信じられないなと目を丸くし、それから今度はゆっくりと、私に合わせて歩き出す。
別に信じてもらえなくても構わなかった。今まで散々人間を誘惑して食べてきたけれど、それは誰もいないひっそりとした山の中、狭い部屋の中での話。
このような場で獲物ではない男性と歩くのは初めてで実はほんの少しだけ、私は緊張していたのだ――
そうこうしている間に辿り着いた場所は、何やらお店が集まった商業施設。
「わあ! 好きな服を選んでいいんですか?」
まるで雑誌のモデルや女優さんの着る様な服の数々に、私の緊張はどこへやら、高鳴る胸を、逸る気持ちを抑えられない。
一方隣の理彰は、出来るだけ早くしてくれと落ち着かない様子でそわそわ、目線も忙しなく動き、どこを見ればいいのか分からないといった具合。
彼に合わせて私もきょろきょろと周囲を見れば、周囲は女性客で溢れていた。
「男性は少ないんですねー」
「女物ばかりだ、当たり前だろう」
さっさと選べと急かされて、入ったお店で服を見る。
真っ先に目に入ったのは店先に置いてあった苔色の軍装外套だった。少し丈が長いのでこの季節には丁度良いかと触ってみると、貼り付けた様な笑顔の店員が飛んできて、羽織って見ますかと私に問う。
「モッズコートは定番ですよねー。お色はこちらのモスグリーンとカーキがございます」
「は、はい……」
勢いに押され、言われるがままにモッズコートと呼ばれた物を羽織ってみるとお似合いですよと、店員はわざとらしくにっこり。
それでも鏡を見るとなるほど確かに可愛い外套だ、ことりさんの格好とは少し違うけれど、これはこれで私の好みなんだもの。
「何を合わせれば可愛くなりますか?」
そう聞いたのは、自分ではいまいち良く分からなかったから。すると店員は店内の服を数点、手際よく選んで私の元へやってくる。
「割と万能なので何にでも合わせられると思います。中はボーダーとかチェックとか、柄物が可愛いですね。下はコートの丈が少し長めなのでショートパンツでもスカートでも良いですし、スキニーパンツでも格好良く決められますよ」
流れるような説明の中でてきぱきと服を合わせ、上から下までの組み合わせがあっという間に完成。
もし気に入ったらご試着いかがです、とこれまた言われるがままに試着すれば鏡の中には普段と違う自分の姿。
「わあ! 理彰、見て下さい! この服とっても可愛いです!」
くるり、後ろも確認し、理彰に見せ付ければ彼は頷き、それから店員を呼びつけ、これを頂こうかと財布を出してレジへと向かうのだった――
そんなことを別の店でも繰り返し、理彰の両手は荷物でいっぱい、私は言葉を沢山覚えられた。
買った物はコートにブーツにトップス、ボトムス、ポシェット、下着にそれからパジャマ。頭の中で覚えた言葉の数々を反芻し、忘れない様に脳に刻み付ける。そうして理彰と街を歩いて電車に乗って……今日の私の買い物は終わり。帰宅した今の時間はまだお昼を少し過ぎたくらいだけど、慣れない人混みに疲れてしまったみたいだ。なんだかとても眠いんだもの。
「理彰、ありがとう」
眠い目を擦ってお礼を言えば、買った物を片付けながら理彰は笑う。
「これでしばらくは何もいらんな」
「はい」
ごろりと転がった理彰のベッドの上。私の鼻をくすぐるのは茶の香り。行雲流水――流れに身を任せるのが一番だと、片付けをする理彰の背中を眺めてた。