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貴方には内緒 後編

 果たして、これはデートなのだろうか。いや、間違いなくデートなのだろう――

 私は群がる猫をあしらいながらひとつ溜息をつく。楽しくない訳ではない、が、なんとも妙な気分である。


 エスコートお願いしますとちょっとした我儘を言った私が連れてこられたのは都内で人気のある猫カフェ。よもやこのような場所に来るとは思わなかった……。視線を理彰に移せば眉尻を垂れ下げてにこにことしている姿が目に入る。おぞましい。頬なんて緩みきっているではないか。

「ほお、いい動きだ……」

そんな猫と戯れている理彰はなんとも楽しげなのだが、厳つい中年男性、それもお堅いお奉行様ともあろうお方が猫じゃらしを片手にでれでれとしている姿は実に珍妙だ。こんなに楽しそうな理彰は初めて見るのだが、彼は猫が好きなのだろうか。可愛い猫ならいつも隣にいるというのに、なんだか浮気された気分である。付き合っている訳ではないけれど……。

 それにしても、この空間は何と魅力的なものだろう。音の鳴る球に鼠の玩具、壁に映し出される謎の光は不規則に動いて気になって仕方がないではないか! 全くうずうずしてしまう。

 私も玩具で遊びたい――衝動をぐっと堪えて猫の相手に没頭していれば、次から次へと猫が寄ってきて、あっという間に黒山の猫集り。どうやらこの猫達、この労働環境に不満があるらしく、やれおやつの時間を増やせだの、やれ人間が鬱陶しいだの、最初こそ一匹一匹相手にしていたが、今は皆口々に文句を言うのだからうるさくて敵わない。

「ああもう、私に言っても無駄ですって!」

ただ居るだけでちやほやされて生活できているのに、贅沢な悩みである。食われる心配がないだけ良いと思わないのか。本当、だらしない!

 にゃあにゃあと喚く毛の塊を避けるように移動して、ご自由にどうぞと書かれた籠の菓子を貪っていると飲み物を片手にした理彰がやってくる。

「随分と人気だな」

「ええ、労働環境の改善を求められて困っています」

鳴き声で頭が痛いですと肩を竦めてお茶を飲み、足元に群がる猫を一瞥する。すると理彰は困ったように笑ってしゃがみこみ、一匹の猫の頭をさらりと撫でた。

「猫も色々なことを考えているのだな」

「そうですよ。私が山猫だった頃も同じです」

 遙か昔のこと……色褪せた記憶の中の私は常に精一杯だった。本能の赴くままに生きているように見えてその実、色々なことを考えていた気がする。理彰と同じようにしゃがんで猫の頭を撫でて、貴方も精一杯生きるんですよ、と伝えれば、その子はわかっているのかいないのか、にゃお、と曖昧な返事をしたから私は思わず、笑ってしまった。

「本当に気楽ですね――」

 ふと、隣の理彰の顔を見れば、難しい顔で何かを考えているようだった。

「そういえば、俺はお前のことを何も知らないな……」

ぽつり、呟いた理彰は猫をあやす手を止め、瞳は遠くを見つめたままで動かない。それは今更というものではないか、何を難しいことがあるのだろう。

「ただのしがない仙狸ですよ。この体を手に入れてからは山と里を往復しながら人を食らって生きてきました。人間に引っ捕らえられたりもしましたが、大体は山の中……と、それだけです。それに、私達は人間じゃありません。過去のことを話せばキリがないってもんですよ」

何百年も生きているのだから、説明するのは難しい。そう言った私の胸が痛んだのは、罪悪感の所為か――

 私は妓楼で働いていたことがある。理彰にそれは言っていない。幸いにも身体は未だ清いままだし、事情が事情なだけにやましいことは何もないのだが、他の人、特に理彰にだけはどうしても言いたくないのである。それは私の乙女心というものだ。

 ぼんやり猫を撫でくり回し、うっすら思い出す過去の出来事は、時折吐き気を催すような暗いもの、片隅で淡く浮かぶのはふにゃり、笑った師の顔。果たしてあれは恋だったのか、私にはもう思い出せない程に滲んで、わからない。

 そんな私を見て理彰は何を思ったか、ゆっくり私の頭を撫でる。

「お前も大変だったのだな」

なんだ、理彰は私のことをよく知っているではないか。私に元気がなければ声を掛ける。私が間違っていれば教えてくれる。実に、私のことをよくわかっている。

「嫌ですよ、そんな同情じみた言い方しないで下さい」

そうして紡いだ言葉と誤魔化すような私の笑顔に理彰もまた苦笑して、素直ではないなとくしゃり、先程よりも少々乱暴に私の頭を撫でた。

「ええ、素直じゃないんです」

見渡せば私達の周りにいた猫達は他のお客や店員の元へと散っていた。遊び、甘える姿は私に文句を言っていたのが嘘のように楽しげで、私も似たようなものなのかと、思わず笑ってしまうのだった。

「理彰、お腹が空きました。ご飯を食べに行きましょう――」

気を取り直した私の心は晴れやか、理彰の手を軽く引っ張れば、そうかと彼は立ち上がる。


 それから猫に手を振り別れを告げて、行ってみたいところがあるのですと向かった先はなんてことはない、ただのハンバーガーショップ。カウンターの前、並ぶ列の真ん中で、理彰は解せぬと腕を組む。

「わざわざ斯様な所に来る必要などなかろう」

他に美味い飯屋なら幾らでもある、と、理彰はそう言いたいのだろう。

 確かに、わざわざジャンクフードを選ばなくとも良いし、折角理彰が一緒にいるのだ。もっと贅沢なおねだりをしてもいいはず。それでも、私がそうしなかったのはちょっとした憧れがあったからである。

「ハンバーガーはまだ食べたことがありません」

そう、寿司にピザにと色々食べてきたが、ハンバーガーなどというものは食べたことがない。ハンバーグをパンに挟む、どう考えてもおいしいはず。レジカウンターの上、並んだ写真は魅力的、書かれた文字の響きときたら、なんと素敵なものだろう。

「トマトとレタスのハンバーガーとチーズのハンバーガー、それからエビとお魚とチキンに…………あとはポテト! 飲み物はメロンソーダでお願いします!」

ほら、どうだ。人間の世界にもすっかり慣れたものだ。注文だってお手の物。

 したり顔で理彰を見上げれば、苦笑いをする顔がそこにはあり、レジでは困惑を隠すように注文の復唱をする店員がいた。後ろに並ぶ人間からは驚きとちょっとした感嘆の声が上がって、差し出されたトレーには山のように積まれたハンバーガー。理彰に持たせて席に着くと周りは微かにざわついた。

「皆、食う量に驚いているようだな」

「本当はこれでも足りないぐらいですよ」

くつくつと笑う理彰にそう返し、いただきますと手を合わせ、最初の包み紙を開けばシンプルでいて簡素な作りのハンバーガー。大きく口を開けて頬張れば、なんと乱暴な味なのだろう。雑だが……不味くはない。これは、おいしいではないか――

「わはぁ……!」

「美味いか?」

「はい!」

ひとつめのハンバーガーをあっという間に平らげて、次の包みに手を伸ばす。どうしてこうもおいしいのだろう。初めての味ににやり、口元が緩み口角が上がってしまう。そんな私を見た理彰は柔らかく笑って、自分もまた、ハンバーガーに齧り付くのだった。

「ああ、美味いな――」

 今までおいしいものを食べて来た理彰のこと、ハンバーガーよりおいしいものなど沢山知っているだろう。しかし彼の言葉に偽りはない。気持ちを共有出来たことは嬉しいけれど、なんだか少し照れてしまう。

 恥ずかしくて目を逸らした先には楽しげに会話をする若い恋人同士の姿――私がこのお店を選んだのは、ただ単に知らない食べ物を食べたかったという理由だけではないのかも知れない。きっと、あんなカップルに憧れていたのだ。

 それを話せば「年甲斐もなく……」と呆れられてしまうことだろう。とてもではないが理彰には言えそうにもないこの気持ち、私はだらしなくにやけてしまうのを堪え、目の前のハンバーガーをただひたすらに食べるのだった。


 その後は、それはもうわくわくどきどきしてしまうような、天にまで昇ってしまいそうな、そんな夢にまでみた素敵なデート。

 強請って連れて行ってもらった映画館ではどうしても見たかった刑事ドラマの劇場版を観て、電車に揺られて向かった水族館ではイルカのショーを観た。夜はいつもよりも良い所でどこか、遠い異国の料理を食べたし、窓から見える夜景はとても綺麗だった。

 理彰も楽しんでいたかはわからない。恋人らしい会話もないし、ましてや告白だなんてとんでもない。それでも私はそれで十分で、それがとてつもなく幸せだったのだ。


 家に着いてからも気分は高揚したままで、理彰の膝の上で語る言葉は止まらない。

「見ました? イルカってあんなに飛ぶんですね! 格好良いです!」

「ああ」

「楽しかったですね!」

「ああ」

私の髭はひくひくと動いて尻尾はゆらゆら、楽しげに揺れた。家に帰ってきてから数時間、ラジオのように喋り続ける私の話を、理彰はうんざりとしながらもちゃんと聞いてくれるからなんて優しいのだろう――

「ふあ……」

それでも眠気には勝てそうになく、押し寄せる波は欠伸となって現れる。

「眠いのか」

名残惜しいとはこのことか。下がる瞼を持ち上げて、小さな頭を横に振れば体はふわり、宙へ浮き、気付けばベッドに横たわっていた。

「りしょ、わたしまだねむくなんか――」

「また連れて行ってやる」

今は休めと頭を撫でられ、ゆっくり被せられる布団。嬉しいですと顔を上げた直後、小さく震えたのは枕元のスマートフォンだ。

「おっと、メールだな」

「小鹿、さん……?」

理彰に見せられた画面に表示されていた小鹿さんからのメールは無事に恋人同士になれましたという旨のもの。

 彼女らしい、簡潔でいて丁寧な文面のメールには可愛らしい絵文字が使われていて、小鹿さんの嬉しさが滲み出ているようだった。

「――そうですか……良かった」

どうやら私は彼女の力になれたようだ。

 目を閉じうっすら思い浮かんだのは小鹿さんの笑顔で、願ったのは彼女の幸せ――今日は良いことが多過ぎる。

「理彰、おやすみなさい」

布団の中で尻尾は揺れて、私の隣、理彰の腕をくすぐった。いいから寝ろと私の頭を小突いた理彰はこそばゆいと笑い、それが楽しくて私の尻尾はまた揺れる。

 もうちょっとだけ夜更かししよう――多幸感の中、私は理彰に身を寄せるのだった。

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