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馬子にもなんとか 前編

 こんなにぐっすり寝たのはいつ振りか。目が覚めた頃にはすっかり外は明るくなっていた。

「りしょー、理彰リショウ……」

とん、と飛び乗る理彰の胸の上。この家のことはよく解らない。勝手に動き回るにもこの体では難しい。

 なので人の姿になっても良いか、許しを乞う為に眠っている彼に声を掛けてみる。

「……朝から何事だ。騒々しい」

「この体は好きじゃないです。人間になっていいですか?」

不機嫌そうな理彰に聞けば彼の眉間の皺は一層深くなり、駄目だ駄目だと床に下ろされてしまう。

「どうしてですかー」

「服を持っていないだろう。裸の女を置いておく訳にはいかん」

「じゃあ男に化けます」

「阿呆。そういう問題ではない」

「衣服なら作り出せますよー」

「馬鹿者。お前のは漢服だろう。今日日その様な服を着ている人間などおらん。この国なら尚更だ」

「それは外に出なければ平――」

「いいから寝かせてくれ」

上に飛び乗っては下ろされ、飛び乗っては下ろされ、問答の末についに理彰は布団を頭まで被って背中を向けてしまった。

 つまらない。つまらない。不自由させないと言ったのは理彰じゃないか。人の姿になれないなんて、それこそ不自由、不便極まりない。

「退屈です……」

 うろちょろと部屋の中を徘徊すると、昨日来た時よりも物が増えていることに気がついた。部屋の隅には水の入った器と可愛らしい敷物が、それからテレビと小さな鞠、テーブルの上には私が昨日持っていたかんざしがぽつり、置かれている。

 釵も持って来てくれたんだ――家具は、私が寝た後に揃えたものだろうか。理彰の気遣いが嬉しい……が、

「猫じゃないんですよねー、私」

そう、ただの猫じゃない。水だってグラスで飲むし、鞠でなんか遊ばない。

 一体何を考えているのかと、何の気なしに突ついた鞠の中からは、ちりんちりんと鈴の音。

「……こんなのじゃ遊ばない、はずなんですけどねぇ」

どういう訳か、ころころと転がるそれが気になって仕方が無い。

 前足で突ついて転がして、ちりんと音が鳴る鞠を追いかけて――

 そんなことが楽しいのだから、自分でもどうかしていると思う。理彰に見られるのは恥ずかしいので、ちらちらと気にしながら、彼に気付かれぬよう、起こさぬ様に遊ぶのだった。


 ――暫く遊んでいた、と思う。理彰はまだ布団の中、すやすやと寝息を立てながら眠っている。

 そろそろ私も布団にお邪魔しようかと思った時に、玄関の方から何かの気配を感じた。直後聞こえてきたのは呼び鈴の音で、昨日、富陽フヨウが言っていたお客さんが来たのだと、私はすぐに解った。

「りしょー……理彰、起きて下さい。お客さんです」

「ん……」

飛び乗り揺さぶり顔を近付け、それでも理彰は眠ったまま。必要な物を持って来てくれると富陽が言っていたのに、どうしよう。

「……よし」

 ならばここは私が出る他無い。ぐっと念じて人の姿に戻るとぱたぱたと玄関へ向かい、その扉を開けてみる。

「理彰さん、青路あおじです。富陽さんに頼まれた物を持って来――」

外に居たのは私と同じくらいの背丈の女性。

 赤茶の髪を肩で揺らし、丸い大きな目を更に大きく見開く彼女は、口をぱくぱくと動かしたまま固まってしまった。

「ごめんなさい。理彰は今寝てるんです」

「あ、ああ! はい! 私、青路ことりです。お下がりで申し訳ないのだけれど、今日はとりあえずの着替えを持って来たので、と、ああ、下着は一応新品だから安心して下さいね」

しどろもどろ、名刺を差し出しながら話す彼女に何をそんなに焦る必要があるのかと、理解に苦しむ。

 一体どうしたのかと首を傾げた私の後ろから聞こえてきたのは理彰の声。

「お前は阿呆か! 服も着ずに扉を開けるとは何事だ!」

「あ、理彰。おは――」

慌てた様に駆けてきた理彰は挨拶もせずに私を引っ張り部屋に押し込め、いよいよ呆れ果てたぞと言わんばかりに溜息を吐く。

「待って下さい私まだことりさんにお礼を言ってないです」

「お前と言う奴は……!」

苛々している様子の理彰は壁に掛けてある外套を乱暴に私に着せると、それからまた玄関へと私を引っ張っていき、ことりさんに頭を下げて謝った。

 ほら、お前もと言われるがままに私も謝り、ことりさんは困った様に首を横に振る。

「いえ、事情は聞いていましたから、気にしないで下さい。それに、あまりにも可愛らしい女の子だったので私どきどきしちゃいました」

落ち着きを取り戻したらしいことりさんは、そう言って鈴を転がす様な声で笑い、私に微笑みかけるのだ。

「あ、あの……お洋服ありがとう、ございます。ことり、さん」

そうなると今度は私がしどろもどろになる番で、お礼を言うのも一苦労。

 やっとの思いで伝えたお礼に、彼女はまあ、と手を合わせ嬉しそうに話し始めた。

「お役に立てて嬉しいです。でも本当に最低限の物しかないので他は今日、この後に買い揃えて下さい。理彰さん、お願いしますね。私のお下がりなんかより、うんと素敵な服があるはずですから。ほら、女の子は好きな服着てなんぼって」

ね、と微笑むことりさんはお洒落だった。

 確かキャスケット帽と言ったか、ふっくらとした淡い茶色の帽子を被り、可愛らしい白の外套を着こなす姿は、四川に居た頃、捨てられていた雑誌で見たことのある、いかにも今時の女の子。

 私も彼女の様に着飾ってみたいけれど、理彰はどう思っているのだろうか。さっき怒らせてしまったから、もしかしたら外には連れて行ってくれないかも知れない。

「理彰……」

顔色を伺う様に見上げた先には案の定渋い顔。困った様に頭を掻き、女のことはよく分からん、と一言溢す。

「……よく分からん、が、服くらい買ってやるつもりだ。買う物を買い与えないとなると富陽が黙っちゃないだろうからな」

表情はそのまま、そう言った理彰は私を見てぎこちない手つきで頭を撫でた。

 仕方なくでもいい、私もお洒落が出来るのだ。

 ありがとうございます、と今度はすぐにお礼を言えた。すると理彰は目を丸くして驚き、ことりさんもそんな理彰の様子を見て驚いているようだった。

「上手におねだりして、いっぱい買ってもらうんですよ」

そう言った彼女は私の方へ向き直り、悪戯っぽく肩を竦めてウインクし、はい、と一言返事をすれば冗談はよせと横槍が入ってきた。

 それからその声の主、隣の理彰は大きな溜息を吐く。

「余計なことを吹き込むな。真に受けたらどうするのだ」

こいつに掛ける金など無い、はっきりきっぱり言い切る彼の手は尚も私の頭の上で、私の髪を撫でていた。

 でもお洋服は欲しいです、と理彰の手を払い、ぐしゃぐしゃになってしまった髪を整えていれば、私達の様子を見たことりさんは口元に手を当て上品に笑う。

「うふふ、ごめんなさい。じゃあ私は仕事もあるのでこれでお暇しますね」

「ああ、またな」

それから軽く頭を下げて背を向けるが

「ああ、伝えそびれていた事がありました」

と、何かを思い出したかの様にこちらを振り返った。その表情には笑顔の欠片も無く、ただただ不気味で、黒目がちな二つの眼がぱちくりと瞬きしているだけ。それから彼女はゆっくりと口を開き、気を付けて下さいと一言、忠告するのだった。

「勘、か」

「はい。送り雀の勘です」

「それは有難い」

「いえ、私はこんなことでしか役に立てないので。それでは失礼します」

「ご苦労」

 ――二人の会話は、よく分からなかった。

 分からないからこそ、気になって仕方が無い、ひとつ気になりだすと何もかもが気になってしまうのだ。

 昨日のことが、理彰や富陽、ことりさんのことが……。

「理彰、よく分からないです」

ことりさんを見送った後、もらった服に袖を通しながらぽつりと呟けば理彰は何かを察したのか、私が気になっていることをひとつひとつ、説明し始める――

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