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銀の時計に少女は願う 後編

 深夜零時のベッドの上、あの親子のことを思い出すと胸が痛い。

 部屋に戻って食事を済ませ、その後にサイさんから理彰に入った連絡は、残酷でいて無情、酷く惨たらしいものだった。


 僕には彼を治せない――皆が囲む卓の中央、スピーカーから聞こえてきた彼の声は遣る瀬無さに満ちていた。

 サイさんの薬はどんな病も治してしまう万能薬ではない。魔術師の薬には限界があるのだ。

 ちえの父親の病は進行し過ぎている、というのがサイさんの見解であり、それから彼は、魔法使いなら或いは……と言葉を濁した。

 魔法使いは人智を超えた力を持っている――魔術師には使いこなせない、古来より畏れられてきたその力にはサイさんですら遠く及ばず、また、その存在自体が減った今では力を使いこなせる者も殆どいないのだそうだ。

 彼らであればちえの父親の病も治すことが出来るのではないか、と、サイさんは言ったが、その魔法使いである志麻にはどうにも出来ず、また、同じく魔法使いであるちえは、幼過ぎる。

 なんて無力なのだろう――

 通話が終わり、明かりの落ちたスマートフォンからは、もうサイさんの声は聞こえない。冷めたお茶を前に、私達はそれ以上、もう何も言うことが出来なかった――


 揺れる尻尾をぼんやり眺め、考えを巡らせる日曜日――

「娘が楽しそうに遊んでいる姿が見られるなら――」

「きっとちえちゃんはお父さんが病気だって知っているのよ――」

楽しそうに遊ぶ少女を見つめる男の言葉が、ことりさんが雪遊びですっかり赤くなった手を摩りながら言った言葉が胸に刺さって抜けなくて、心の奥でズキズキ痛む。

 隣の理彰は、天井を眺めたまま、全く眠ろうとせず、ただひたすらに何かを考えている様子。理彰の表情から何を考えているのかなどは私には分かるはずもなく、私もまた、同じように天井を見上げてみた。

 切実な願いっていうのはどうしてこうも鋭く尖っているのかしら――

 クー子さんの言っていたことの意味がよく分かる。

 少女、ちえは父と離れたくないのだ。彼女の願いは大きく、強い。これが恐らく最後になるであろう、父との楽しい旅行を延々と、永遠に繰り返していたいのだろう。

 美味しい食事に雪遊び、それからみんなで写真を撮って、楽しくてなかなか寝付けない夜を何度も何度も繰り返すことを望んでいるのだ。

 それは全くもって純粋で、悪意の欠片もない、子どもらしい願い。その願いこそが、彼女の力の源。

「雨華」

唐突に理彰に名を呼ばれ、私の耳はひくりと動く。なんでしょうかと返事をすれば、大きな手に撫でられた。

「彼女の願いを断ち切りに行く」

よいな、と念を押すように言われてしまえば、私はそのまま、はいと言うしかない。

 理彰は、冷徹でいて冷静、お堅いお堅いお奉行様なのだから――

 それに、このまま何日も同じであることが、少女にとっていいことだとは思えない。私は全てを受け入れて、わかりましたとひとつ返事をした。


 母の顔はもう覚えていない。山猫の、子であった頃の記憶など、とうの昔に捨ててきてしまったようで、自分の記憶の中のどこを探しても見つからないからなんだか少しだけ切ない。

 ゆらり揺られて山道を走り、向かった先は昨日と同じ温泉宿。

 私達は少女を止めなければならない。そこに余計な感情など、いらないのだ――

「お前も随分と人間らしい感情を持つようになったのだな」

ハンドルを握り、真っ直ぐに前を見据えたまま、理彰は私に問い掛ける。

 きっと理彰は、今までなら人間なんか気にも留めなかったではないか、とそう聞きたいのだろう。

「別に……上から目線で親子を哀れんでいるだけですよ」

そうじゃなくても、まだ幼い少女とその親の別れが近付いてきているなんて、悲しいことだ。

 そこらの動物にすら親子愛というものは存在しているのだから、私だって切ないという感情は持ち合わせている。

「理彰は、なんとも思わないんですか」

 視線は窓の外に向けたまま、ぶっきらぼうに問うた言葉に、理彰は小さく息を吐いた。

「不老不死でもない限り、いつか人は死ぬものだ。今まで何度も死を目にしてきて、感覚が狂ってしまったのやも知れん……が、そうだな、あの少女の件、何も思わないのかと聞かれたらそれは違う」

 彼らは善良な人間だ――そう答えた理彰の声にはほんの少し、ほんの少しだけ迷いがあり、そうですよね、と素っ気なく返事をした私は、ただただ窓の外の、流れる景色を眺めていた。


 繰り返される日曜日、雪がちらつく田舎の空は今日も重たい灰色で、都会は全く良い天気だというのに、本当に本当に気が重い。

「着いたぞ」

助手席のドアが開けられるその音で、私の意識は現実に引き戻される。

 ぼんやりしていると車に置いていくぞと言った理彰は全くいつもと同じ態度であり、部屋に向かう途中に出会ったのは大狼さんとことりさんで、二人は私達を見るとぎこちなく会釈した。

「休んでいろと言ったろう」

「どうしても放っては置けなくて……別の部屋、取っちゃいました」

「辛くなるだけだと思うのだが」

「彰さんは子どもに好かれる顔ではないです。出来るだけ穏便に済むよう、俺達が説得しますから」

「……よい、好きにしろ」

 ぽつりぽつりと会話は交わされ、最後に致し方ないと理彰が折れれば、今度は勝手なことをしてすみませんとことりさんが頭を下げる。

 出来るだけ穏便に――果たしてうまくはいくだろうか。私も理彰も、四人の内の誰もが不安を抱えていた。


 雪の温泉街、新雪の上を跳ねる少女は今はひとり――彼女はことりさんと大狼さんを見つけるや否や、笑顔で手を振り駆け寄った。やはり幼子、隠そうともしないその様子は無邪気そのもので、ちくり、また私の胸は痛んだ。

「お姉ちゃん! お兄ちゃん!」

「おう、元気か?」

「こんにちは。一人なの?」

しゃがんで目を合わせたことりさんの表情は昨日と変わらぬ優しい笑顔だが、時折目を逸らしては少女の手や足元、背負ったリュックを注意深く観察していた。

 彼女の力を増幅させる、そんな何かがあるはずだ――

 そう言ったのはサイさんで、彼曰くちえは魔法を扱うにはまだ幼く、魔力も安定していないのだそう。それを制御し増幅させる、魔術師でいう媒介のようなものがあるはずらしい。

 彼女が使う、媒介とは――

「あ……」

ちえが着ている防寒着、ポケットから流れているのは銀の鎖。雪空の下、鈍く輝いたそれから感じる力はまさしく魔法使いのものだ。

「それは、時計……かな?」

「そうだよ。お母さんにもらったの」

 ことりさんの問いに、少女は幸せそうに微笑み、母にもらったものなのだと、可愛らしい小さな銀色の懐中時計を取り出した。

「会ったことはないけど、お母さんがくれたの。これはまほうのおまもりなんだって」

「そっか……ねえ、ちえちゃん。ちえちゃんは毎日同じで退屈じゃない?」

 ことりさんが切り出した言葉に少女の表情は曇り、そのまま俯き、黙りこくってしまう。頰がほのかに紅潮し、小さな手は微かに震えていた。

 少女の手に、懐中時計に、はらはらと、雪が落ちては消えていく。

 少女は、私達が何をしに来たのか気付いてしまったのだ。

「知ってたの……?」

「うん。お姉ちゃん達、ちえちゃんのことが心配だったから会いに来たの」

「ちえちゃん。少し話でもしようか」

「ちえ、いつまでもみんなでいられるから、だからこのままがいい……」

 俯いていた少女の願いは、切実でいて純粋だ。ちえはことりさんと目を合わせたまま数歩下がって首を振り、嫌だ嫌だと涙を流した。

「お父さんまでいなくなったら、ちえは……」

 赤い頰を伝う涙はぽたぽたと落ちて雪を溶かし、少女の心を凍らせる――

「ちえちゃん、ちょっとだけでいいから私達と――」

「やだ! 来ないで!!」

小さな口が紡ぐ拒絶の言葉は強かった。しゃらり、揺れた時計が時間を止めて、少女は背を向け駆けていく――

「ちえちゃん!」

「ことりさん! 私が行ってきます。理彰はあの子のお父さんを呼んできてください」

 それは拒絶の魔法だった――

 少女のすぐそばにいたことりさんと大狼さんは、まるで手足が凍ってしまったかのように動けない。

 二人を抜き去り飛び出して、吹雪の中を走る、駆ける。

 少女の力が原因か、風雪が酷く前が見えない。あんなに幼い子が相手であるにも関わらず、私の足は簡単には前に進まなかった。

「ああ、もう!」

 足場の悪い雪道は、二本の足では走り辛い。

 念じた姿は本来の、山猫である私の姿。衣服を脱ぎ捨て四つ脚で、私は少女の背中を追う。

 脱ぎ残した服が気掛かりだが、このままでは彼女の身が危ないことも確か。ただでさえ大変な状況、これ以上厄介なことにはしたくなかったのだ。

「待ってください!」


 やっとの思いで追い付いた先、立ち止まっている少女の顔は涙に濡れ、体はがたがたと震えていた。

「だれ……?」

「下ですよ」

 辺りを見回す彼女はまだ私の姿には気付いていない。下を見るように促せば、私を見つけた彼女の目は大きく見開かれ、体から力が抜けたように、へたり、座り込んでしまった。

 ねこがしゃべった――彼女の反応は私の想像通りのもの。

「あやかし……まあ、妖怪みたいなものですから」

 それと私は猫ではなく山猫です――

 そう告げてからひょいと膝に乗れば、少女の手が伸びてきてふわふわと体を撫でられる。それはすっかり冷えてしまった冷たい手だった。

「あたたかい……でもどうして?」

「温泉街とは言っても山であることには変わりません。暗くなるのも早いですし、この吹雪じゃ遭難しちゃいます。なので助けに来ました」

「へんなの……やさしいようかいもいるんだね」

「ことりさんも大狼さんも、あの怖い顔のおじさんだって、みんな優しいんですよ」

「そっか、あのお姉ちゃんたちといっしょにいた……」

「察しが良いですね。さあ、お父さんの所に戻りましょう?」

 少女の膝の上、諭すように声を掛け彼女の腹に頰を擦り寄せる。

 ちらり、上を見上げれば、小さく首を振る少女の顔。鼻先にぽたり、落ちたのは冷たい雪ではなくあたたかい少女の涙。

「いやだよ。もどったらじゃまされちゃう」

 ひとりぼっちにはなりたくない、悲しい思いはしたくないと、そう言って泣く彼女は哀れで、我儘で、しかし優しかった。

 私はことりさんのように優しくは出来ない、クー子さんのように気の利く言葉なども知らない。

「そうですね。私達は邪魔しに来ましたから」

そうして口にした言葉のなんとまっすぐなものか。酷く傷付いた少女はいよいよ喋らなくなってしまう。

 こんなことなら全部ことりさんに任せてしまえばよかった――

「ええと……でも、安心して下さい。貴女は優しい、良い子です。だから私は、貴女を助けます。ひとりぼっちにはさせません」

 よもや自分の口からこのような言葉が飛び出すとは思っていなかった。なんとなく決まりが悪く、そっぽを向いて尻尾を揺らして、続く言葉を考える。

 綺麗な言葉はやはり得意ではない。

「いいですか。第一に、戻らなければ死にます。戻らなければ貴女は父には会えないのです。抵抗するなら戻ってからにしましょう。何より私のお腹が減りました。戻ったらとことん付き合ってあげます」

 出来る限り穏やかに、考えた末に口にした言葉は全くもって優しくなかった。だが、優しい言葉は時として酷なものであるということは知っている。

 無責任なことは言いたくない。私は彼女に、嘘は吐きたくなかったのだ。

「お父さんに会いたい」

「そうでしょう。私が案内しますから、早く戻りましょう」

 ひょいと地面に降りてから、さあ行きますよと促して少女に合わせてゆっくり歩く。そんな帰り道は、雪も弱まり非常に穏やかなものだった。

「ねこのお姉ちゃん、ありがと」

「どうせ後から貴女の邪魔をすることになるんです。礼なんていりませんよ――おや、お迎えが来たみたいですね」

 ひくり、私の耳が動き、理彰の気配を感じ取る。曲がりくねった下り坂、現れたのは少女の父と、それを支える理彰、それから大狼さんとことりさんだ。

「ちえ!」

父親が心配したと娘を抱きしめれば、ちえはごめんなさいと謝罪する。それはよくある親子の会話だろう。

 だが、この親子に残された時間はあまりにも少ない――

「お父さん!」

直後、少女の父は膝から崩れ落ち腹を抱えて蹲る。慌てて駆け寄った理彰には平気ですと言ったものの、それがただならぬ様子であることなどは誰の目から見ても明らかだった――


「僕は現代の医者でもなければ魔法使いでもない。できるのはここまでだよ」

少女の父を運び込んだ、私達が泊まる旅館の一室。クー子さんに呼ばれて来たのだというサイさんは、やれることはやったと言って匙を置く。

 運が良かったと、私はそう思った。

 彼が倒れたあの時、彼の精気はないに等しく、いつ死んでもおかしくはない状態だったのだ。サイさんの処置のお陰でどうにか出来たが、少女はずっと黙ったままだ。

「間に合って良かったですね」

 先程まで着ていた服は濡れてしまって着れそうにない。浴衣に着替えてぽつり呟けば、ちえは小さく頷いた。

 それから布団に横たわる彼を見て、彼が思いの外大きかったことを知る。ちえ曰く、運動が得意な自慢の父だったそうだ。

 しかし今では理彰一人で、軽々と持ち上げられてしまう程に痩せ細り、体には末期の患者が使うものであるとされるシールが丁寧に貼り付けられているではないか。

 少女の手の中、止まったままの時計が少しだけ、鈍く濁って見えた。

「さて、そろそろ部屋に戻りましょうか」

少女の背中に手を置いて、続きは明日と言ったのは、今日、この状態では彼女と話をして解決するなど困難だと思ったから――

 何よりことりさんと大狼さんは先程少女に拒絶されたことを気にしてか、部屋に入らず外で待っているだけという状況だ。肝心の二人がこれでは私もどうすることも出来ない上に、私は子どもの相手は得意ではなく、かといって強引に話を進める訳にもいかなかったのだ。

「貴女も、貴女のお父さんのこともちゃんと部屋まで送っていきますから、とりあえずゆっくり休んで下さい。十二時になれば元通りですよ」

 視線を少女に下ろして促して、そうして理彰と共に二人を送り届けようとしたその時だ。彼女は顔を上げて頭を振り、

「もういいの」

と一言答えた。

 どこか、なにか吹っ切れたような、大人びた表情を見せた彼女は、懐中時計を両手で握り、ひとつ、深呼吸をして目を閉じる。

 それは魔法、だったのか――彼女が何かを唱えたその瞬間、手の中の時計は眩い光を放ち、静かに、ゆっくり動き始めた。

「貴女、まさか――」

「迷惑掛けてごめんなさい。お姉ちゃん達にもお父さんにも悪いことしてるって分かってたの。お姉ちゃん達が心配してくれてること分かってた。それとね、毎日同じことしててもお父さんの病気は治らないって知ってた。ちえの知らないところで、すっごく苦しそうにしてるのも、知ってた。毎日そんなお父さんを見るのは、やっぱりちょっと悲しかったんだ」

 だから魔法はもう終わり、とそう話す少女は、幾分か落ち着きのある話し方。きっとこれが本来の彼女なのだろうが、どうしてだろう、私の胸の痛みは消えない。

「……怒ってませんよ。それ以上は言わなくても分かります。理彰だって叱りつけたりしませんし、ことりさん達だってなんにも怒ってませんから、ね?」

だから気にしないでください――こういう時に使う言葉は、これで合っているだろうか。

 やっぱり上手な言葉は掛けられず、異変に気付いて部屋に入ってきたことりさん達に全てを任せるように部屋を出た。

 背後から聞こえたのはごめんなさいと謝る少女の泣き声と、それを宥めることりさんの優しい声。大狼さんもサイさんもいるのだ。彼らに任せていれば問題ない。

 そして、もし私が、何かしら少女の役に立てていたならそれでいい、それで十分なのだとそう思った――

 微かに夕日に照らされる、長い廊下の突き当たり、壁に凭れ掛かって座り込み、ぼんやり虚空を見上げると大きな腕が伸びてきた。

「ひっ……」

「何を驚くことがある。全くお前らしくもない」

「理彰、ですか」

私の頭を乱暴に撫でた理彰は隣に腰を下ろし、何かあったかと問い掛ける。

 別に何があった訳でもないが、胸の痛みが治らない。どう説明したらよいか分からず、私は理彰の手を取り握り締め、なんとも曖昧な質問を投げかけた。

「理彰、私達はいつまで生きられるのでしょうか」

「そうだな……じゃあ、雨華。お前は、体の衰えを感じたことはあるか」

「……ありません」

「そうか。実は俺も、数千年と生きてきているがそのように感じたことは一度もない。だが、いつ何があるか分からないものだ。それには人間も動物も関係ない。だからな――今を大切にすればそれでよい」

 そう言って手渡されたのは私の非常食でもあるチョコレートだ。腹が減っているのだろうと思ってな、と私をもう一度撫でた理彰は、優しい笑みを浮かべていた。

「よくわかりませんでしたが、ありがとうございます」

「いや、礼を言うのはこちらの方だ。少女の件、よく働いてくれたな。感謝する――」


 そこから先は、なんてことない旅館での一夜――少女とその父親を旅館に届ける道すがら、見上げた空は嘘のように晴れ上がった、いい夕焼け空だった。

 沈んだ空気を吹き飛ばす為とことりさんに誘われて嫌々ながらに入ったお風呂も、寂れたゲームコーナーも、お土産の並ぶ売店も、全部が全部なかなかに新鮮で、理彰やことりさん達と一緒にいるとそのどれもが楽しくて――なんとなく、本当になんとなくだが、少女が大切な人とずっと一緒にいたいと願う気持ちが、今を大切にしろと言った理彰の言葉の意味が、わかった気がした。


 そうして長かった日曜日が終わりを告げ、月曜日がやってきた今日、未だに胸はちくちくと痛む。

「うーん! 久々の月曜日ですねー! やっと解放されましたー!」

胸の痛みも切なさも、全てを振り切るようにひとつ大きく伸びをすれば、高く澄んだ空がとても綺麗で、太陽がとても眩しかった。

「溜息が出るほどいい天気ですねぇ……」

 空気もおいしく気持ちよく、何より朝食バイキングで沢山食べたから今日は頗る調子がいい。私はそう言い聞かせて饅頭をひとつ口に放り込んだ。

「お前達は本当によく食うのだな」

「やだなぁ理彰さん。デザートですよ」

「朝食で山程果物を食っていたようだが……?」

「彰さん、これは別腹っす……お?」

 チェックアウトを済ませてから向かった土産屋の駐車場。呆れ顔の理彰をよそに、ことりさん達と温泉饅頭を頬張っていると、正面から歩いてきたのは少女、ちえだった。

「ちえちゃん、どうしたの?」

「お礼を言いに来たの。昨日はありがとうございました、って。お父さんも来たかったみたいなんだけど、休んでいた方がいいって、他の人が」

「そっか、わざわざありがとな」

 会話は間違いなく笑顔で交わされているのに、その顔は切なげだ。

 なんとなく会話に入り辛く、昨日と同じく、理彰の隣でぼんやり三人を眺めていると、何かに気が付いた少女は笑顔でこちらに駆け寄った。

「む、どうしたのだ?」

「おじさん、お父さんを運んでくれてありがとう。それとね、猫のお姉ちゃん、助けてくれてありがとう。また抱っこさせてね」

少女の笑顔に目を細めたのは、彼女が眩しかったからか、真っ白な雪が眩しかったからか分からない。

「猫のお姉ちゃんが私を助けてくれるって、一人ぼっちにはしないって言ってくれたから、もう大丈夫だよ。」

 でも、私は彼女の一言がとてもとても、嬉しかったのだ。

「そうですか。良かったです。また、会いましょうね。約束」

「うん!」


 手を振る少女に別れを告げて、山を降りる途中のコンビニ。寄らずともいいかと素通りしたその時、視界の端に収めた二人組は志麻と境によく似てた。

 その表情はどこか嬉しそうで、こちらを向いた女が

「ありがとう」

と口を動かしたのは、気のせいなんかではないだろう。

「理彰!」

 路肩に車を寄せてもらって後ろを見れば私に向かって大きく手を振る志麻の姿。

「ありがとう。後は私が頑張るから!」

そう言って笑う彼女は魔法使い、なんと心強い言葉だろう。

「雨華、今日は休みだ。奴らのことは放っておいて、帰りは美味いものでも食おう」

「はい!」

理彰と共に車に乗り込み、手渡されたのは旅行雑誌。美味しいご飯もドライブも、何もかもが楽しみだ。

 そして何より、

 感謝されるのは悪い気がしない――

 窓の外の青空を眺めながら、私は言いようのない満足感に包まれていた。

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