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振り子と猫と日曜日 後編

 今日も繰り返される日曜日、おいしそうな匂いにつられてベッドから起き上がれば、理彰が朝食のパンを用意しているところだった。

「あ、目玉焼き!」

蓋の中で油の跳ねる音と卓上に用意されたお醤油から察するに、今日の朝食は目玉焼き。

 いつもはコンビニ弁当などを食べているのでキッチンで食事の準備をしているのは珍しく、どうしたのですかと声を掛ければ、ゆっくり休ませてもらったからたまにはな、と理彰は笑った。

 食卓を挟んで朝ごはんの時間、ゆっくり眠れたからか、それとも気が楽になったからか、理彰の顔色はとてもよく、私の体も調子が良い。このまま毎日のんびり過ごすのも悪くないかとすら思えてくるが、騒動を起こした敵がいる以上は手を打たなければならないし、理彰だってゆっくり休めたものじゃない。

「今日もお仕事行くんですか?」

「いや、騒動の主を探しに行こうかとも思っていたが、今日は大狼おおがみ青路あおじに任せることにした」

青路が二人でも大丈夫そうだと言っていたのでな――そう言って茶を啜った理彰が言うには、どうも騒動の主はこちらの地域にはいないということだった。

 敵の目的が何にせよ、何か行動を起こすのならば少しずつ起こる出来事も変わっていくはず――そう考えた理彰達は毎日の出来事を事細かに覚え、少しの変化も見逃さぬように各地の新聞やテレビ番組を確認することにした。

 それがこの騒動が起きてから二日目の出来事。

 それから三日目、四日目、五日目……と何も変化はなかったのだが、昨日はついに手掛かりを掴めたというのだ。

 敵はここにいる、と理彰が広げて指で差し示したのは日本地図。そして首を傾げる私に見せたのは、ニュースサイトのトップページだった。

 理彰曰く、峠道で起きた死亡事故の報道がされていないとのことで、昨夜はこの事故が起きるはずだった地域へと向かうつもりだったらしい。

「大狼達が交代で休みを取ることを提案したから、甘えさせてもらうことにしたのだ」

理彰は茶杯を置いたもののどこかそわそわとした様子。時計とスマートフォンをちらりちらりと気にしてばかり、余程仕事のことが気になって仕方がないのだろう――

「お仕事、気になりますか?」

「ああ。だが今日は休むと決めたのでな」

私の問いに頷いて、それから理彰は立ち上がる。

 それでも食器を片付けうろちょろと、落ち着かんと言わんばかりなのだから、私だって落ち着かないではないか。

「ああ、もー! しょうがないですねー!」

煮え切らない態度は見ていられない――

 クローゼットから取り出したのはスーツにコートと大きめの鞄。この家のことは大体わかる。気になるのなら行けばいいじゃないですか、とそれらを理彰に突き出せば、彼はううむと唸って顎に手を当て、それからひとつ思案する。

「やだなー。ちゃんとおとなしく留守番してますから、平気ですよー」

どうせ理彰は今日はゆっくり休むと言ったからには……などと馬鹿真面目なことを考えているのだろう。それなら心配ご無用、どうぞ私のことは気にせずにと笑って理彰の背中を押して、私はどろんと化けて横になった。

 外は昨日と同じ、晴天。暖かい日差しが部屋に差し込み、顔を埋めたふかふかのクッションはお日様の匂い――

「今日はなかなかのお昼寝日和ですねぇ……私はゆっくりのんびり寝てますから、安心して仕事に行ってきてくださいな」

私も久々の休みというものだ。一日中誰とも話さずに眠っているのも悪くない。それに理彰の小言だって聞かずに済むのなら万々歳というものではないか。ごろりごろごろと転がって、大きな欠伸をひとつすれば、ふいに理彰に抱き上げられた。

「なんなんです? 私を構ってる間に日が暮れちゃいますよー?」

「お前も連れていく」

「うん?」

聞き間違えだと思ったが、そうではない。

 間の抜けた声で聞き返した私に理彰が告げたのは、二人で出掛けようとの旨だった。

 私を家に置いていくことが心配なのかも知れないが、私だって折角の休みだ。理彰と共に仕事などやっていられない。何よりあの魔法使いと魔術師に会うかもしれないではないか。そんなの真っ平御免である。

「嫌ですよ。今日はもうずっとごろごろしてるって決めたんです。お仕事なら一人でどうぞ」

ひらり、理彰の腕から飛び降りて、登ったのは本棚の上。

 私は動きませんよと丸まれば頭を掻いた理彰がそうではないと手を伸ばした。

「誰も仕事をしに行くなどとは言っていない。大狼を向かわせた近辺は温泉宿も多く飯も美味いのでな、視察ついでにゆっくり休もうと誘ったまでだ」

「温泉? ごはん……? ご飯!!」

温泉、とは言ったが私は水が苦手である。不満げに尻尾を揺らして首を傾げたが、美味しいご飯もあるとなれば話は別。それはなかなかに魅力的な提案ではないか。

 来ないのならよいと言いながらも手を引かないでいる理彰に飛び掛かり、どろんと化けてしがみつく。

 私を受け止めた理彰は顔を真っ赤にしながら叱りつけるのだから面白い。

「危ないだろう」

「美味しいご飯です! 早く行きましょう!」

「わかったからさっさと服を着てくれ」

温泉宿については雑誌と旅行番組で観たことがある。

 お肌に良いお湯にも絶景露天風呂にも興味はないが、食卓に所狭しと並んだ美味しい食事は気になって仕方がない。

 逸る気持ちは止まらずに、心は弾んでうきうき踊る。

 今日はなんて良い休日なのだろう!

 電話で予約を済ませる理彰の隣、急いで着替えて支度をして、ちらり、横目で見た窓の外は澄んだ空に暖かなお日様が浮かぶ絶好の行楽日和。

 私の名を呼ぶ理彰の指先、ちりん、と鈴の音が鳴った。それは私が見たことのない、不思議なものだった――


 先程のものはどうやら車の鍵だったようだ。ビルの合間を縫うように、都会を駆ける車は理彰のもの。

 テレビで観るような渋滞も今日はそこまで酷くなく、私は初めての車で落ち着かず、そわそわと流れる景色を追っていた。

「すごいですねー。電車とは全然違います」

「馬鹿か。落ち着け、首を撥ねられるぞ」

窓から身を乗り出して風を感じれば、ぐっと体は引っ張られ、お行儀良く助手席に座る形へ戻される。

 隣を見れば運転席の理彰は呆れ顔でハンドルを握り、窓から吹き込む冷たい風が理彰と私の髪を乱した。それから退屈しのぎにとラジオ流し始めると、聴こえてくるのは小気味のいい語り口で曲を紹介するラジオパーソナリティーの声で、流れるのは街でよく聴く流行歌。

 清涼感のある声に乗せられた甘酸っぱく青い恋心と共に、私達は北上していくのだった――


 変わる景色を楽しんで、休憩無しで五時間ちょっと。座りっぱなしであるにも関わらず不思議と体に疲れはない。

 車というものはなんと快適なものだろうと感心すら覚えてしまう。

 スイッチひとつで開閉する窓と冷暖房、退屈しないラジオもある。人間の世界では当たり前のことなのに、私には新鮮で仕方がない。

 車の中を見回し、触り、やはりまだそわそわ気持ちも落ち着かぬまま、目的の街に到着した。

 休憩がてらと車を止めた所は山の麓のコンビニで、大きく伸びて息を吸い、ぐるりと辺りを見渡せば、どこを見ても山しかない、典型的な盆地である。まだ雪の残る山から冷たい風が吹き下ろし、肌を貫き刺すような寒さに身が震えた。

「うう……歯ががちがちします。理彰、早く暖かい所に行きたいです」

車から降りてまだものの数分しか経っていないというのに買ってもらったレモネードを持つ両手は悴み、口を開くのも億劫になっている。吐く息は白く未だに雪もちらつくこの季節、田舎はなんて寒いのだろうと、私はほんの少しだけ後悔していたのだ。

「ああ、すまない。鍵は開けたからお前は先に車に戻っていろ」

私が弱音を吐く隣、大狼さんと落ち合うことにしているのだと言う理彰はというと、なんてことない顔でお茶を飲み、何食わぬ顔で器用にスマートフォンを扱っているものだから驚いてしまう。

 それどころか膝に掛けておけ、だなんて自らのコートまで差し出してくれたから、余程寒さに強いのだろう。

 それを申し訳なく思わないこともないのだが、ここは甘えさせてもらうことにしよう、私は理彰のコートを握り締め、鍵を開けてもらい車へ戻ることにした――が、その途中、駐車場の片隅に見つけたのは見覚えのある二人だった。

 ダッフルコートに黒い髪、しゃがみこみ俯く少女は魔法使い、志麻。そのすぐそば、タバコに火をつけ物思いに耽る男は魔術師、境に間違いはない。

「やっぱり貴方達が犯人なんですね」

 ああ、思い出すだけで苛々してしまう。

 数週間前のあの日、私は二人を取り逃がした。

 取り逃がした結果がこれである。

 連勤に次ぐ連勤、そして繰り返される日曜日、本当に、本当に、どうにかなってしまうかと思ったのだ。

 ゆっくりと歩み寄り、奇遇ですねとありったけの嫌味を込めて声を掛ければ志麻は私を一瞥して、それからひとつ溜息を吐いて視線を戻した。

「ごめんなさい。今は放っておいて」

「無理な相談ですね。いいからさっさとお縄についてこの日曜日を終わらせて下さいな」

「ごめんなさい。気分じゃないの」

気分じゃない――そう謝った志麻に元気はなく、表情は物憂げで、閉ざされた唇からは憎まれ口ひとつ出てこない。

 一方の境はというと、そんな志麻を心配そうに見つめるばかりで、これでは対話どころか戦闘すら起こりそうにないではないか。

「あのですねぇ……いい加減になんとかしてもらわないと困るんですよ。一体何をしたんですか」

埒があかないと詰め寄って、何が目当てか問い質す。

 このまま逃がしてたまるものか、もう風も寒さも気にならなかった。

 しゃがんだまま動かぬ志麻と、数メートル程離れた所から見下ろす私、間には志麻を守るように、境が立っていた。

「あなたの岡っ引き根性もすごいわね。あのね、今回の騒動は私達が起こしたものではないの」

 目も合わせず、顔も上げず、呟いた彼女は小さく首を横に振る。

 それでも二人のことは信じられなかった。何しろ二人には前科がある。時間の流れを弄くり回すなど造作もないことだろう。

「この期に及んで何を……でも、岡っ引きなら岡っ引きらしく捕まえてあげないと――」

「雨華、止せ」

 隠した手には得物を持って、じりりと歩みを進めたところ、後ろから私を呼び止めたのは理彰だった。

「理彰、でも――」

「彼女の言葉に嘘はない。それにここには人も多い。万一このまま何事もなく明日が来たとしたら、見られた時の事後処理が面倒だ」

それから理彰は一歩前に出ると、志麻と境に、疑ってすまなかったなと頭を下げる。なんだか癪だが、理彰が頭を下げたのなら仕方がない。私も続いて謝ると、志麻は気にしないでと頭を振った。

「謝罪なんていらない。それにしても……随分と律儀な妖魔もいたものね」

「律儀も何も、それが事実なのだから謝るしかないです」

今日の彼女はしおらしい。

 いつもなら出会って三秒で戦闘になっている所なのに、今日は目も合わせずにぼそぼそと喋るだけ。

 やっぱり何かがおかしくて、私は拍子抜けしてしまう。そしてそう感じたのは私だけではないようで、隣の理彰は怪訝な顔で志麻を見つめていた。

「何か、知っているのだな」

 暫しの沈黙の後、口を開いたのは理彰。今回の騒動、この二人が関わっていないのにも関わらず、都会から離れたこの地で出会ったことには何か訳があるのだろうと、そう考えるのは自然なことだった。

 あるいはただ単に問題を解決しようとした二人と鉢合わせてしまっただけかも知れないが、それにしても、彼女の様子はおかしかったのだ。

 それから志麻は理彰の問いに黙って頷き、それから一呼吸。ゆっくり、言葉を選ぶように話し出す。

「別に何を知ってるって訳でもないわ。この騒動を解決しようとここまで来たらあなた達に会っただけ……なんだけど……」

「どうしたんです?」

「……この騒動、私にはどうも解決できそうにないみたいなの」

「どういうことだ?」

「それは――」

 そこで境が差し出したのはとある旅館のパンフレット。騒動の発端となった人物はそこにいるから、と志麻はゆっくり立ち上がり、私と理彰を交互に見て、いいかしらと問い掛ける。

 その表情は悲哀に満ち、声は小さくか細く、弱々しかった。

「この異変に、悪意なんてないの。元凶は純粋な願い。私じゃ彼女を救えない。私には彼女の願いを断ち切れない、壊せない」

「どういうことです?」

「同情とか、哀れみ、って言ったらいいのかな。可哀想で見ていられないの」

そう言って力なく呟いた志麻は普通の、どこにでもいる少女の顔

 。私からすると全く彼女らしくもない。

「他人の疝気を頭痛に病む……で合ってましたっけ? らしくないですね。まあ、このままおとなしく捕まってくれると有難いんですけど」

「それは嫌。情報を提供してあげたんだから、今回は許してよね。それじゃ私達は帰るから――」

ちょっと待って、と、声を掛ける間もなかった。

 踵を返し歩き出し、最後に泣き出しそうな顔をこちらに見せ、ふわり、消えた二人の後に残ったのは私と理彰と、簡単な地図だけだ。

 地図に書き込まれた星マークは、私達が向かう予定でいる温泉街を指し示しており、受け取ったパンフレットは今日理彰が予約を取った宿から程近い、人気の温泉宿のもの。

 乗り込んだ車の中、私は理彰と二人、ひとまず宿泊予定の宿へ向かうことにしようと、大狼さん達の到着を待つことにしたのだ。

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