振り子と猫と日曜日 前編
仕事というものはなかなかにやり甲斐がある。頑張れば褒められ、褒められればやる気が出る。
自分で稼いだ金で買う菓子は甘く、美味しい。明日はバイトも休みだし、有給を取った理彰と出掛ける約束だってしている。
ここはひとつ気合を入れて今日も今日とてアルバイト、と思っていたのだが、いつになれば明日になるのだろう。いい加減に私は限界だ――
日曜日の閉店後の店内、店長とジョンさんと三人、水を片手に交わす言葉は少なくて、語るその眼は暗く虚ろだった。
「ミケちゃん、問題だ……。今日は何曜日かわかるかな?」
「日曜日ですね」
「そう、正解。じゃあ次、ジョンに問題だ。昨日は何曜日だ?」
「日曜日っすね」
「次、ミケちゃん。一昨日は?」
「日曜日ですね」
「オーケー。次はジョン、明日は何曜日だと思う?」
「多分日曜日だと思いますよ」
「そうか。じゃあミケちゃん、これが最後の問題だ。明後日は何――」
「てんちょ、どうせ日曜日ですよー。ずっとずーっと日曜日」
なんともおかしな会話だが、これは紛れもない事実。
気が触れてしまったのかと思われるかも知れないけれど、私達は、この数日間、日曜日を何日も何日も繰り返しているのだ。
前兆なんて何もない。繰り返す日曜日は突然やってきた。いつものように起きてテレビを観て、いつものように仕事をこなし、いつものように仕事を終えた私は、小鹿さんは今日デートなんですって、なんて他愛もない世間話をしてから帰宅した。
帰宅して、日付を跨いだであろう時間には既に床についていたので、その時点ではただの、普通の日曜日だった。
しかし翌日、朝刊を取りに行った理彰の一言で私は異変を知ることとなる。
「昨日の朝刊が届いている」
とは朝刊を片手に部屋に戻ってきた理彰の一言。
ひとつ溜息をついてから、届け直すようにと新聞店に電話を掛け始めた理彰の眉間には深い皺が刻まれており、電話を切った頃になるとその皺はより深いものへと変わっていた。
「雨華、今日の予定は無しだ」
すなまいと告げた理彰は何やら急くようにまた電話を掛け始めたから冗談じゃない。
突然約束を反故にするだなんて許せないと憤慨しながらテレビの電源を入れれば、そこには昨日と全く同じ番組、全く同じニュースの映像が流れていた。
理解が追いつかなかった――
ただ呆然とテレビを眺めていれば、電話を終えた理彰が詳しく調べねばなるまいなと出掛ける準備をし始めて、私には一言、職場の様子を見て来てもらえるかなどと言って出掛けてしまったから、私はそれに従うほかなかった。
それから理彰に言われるがままに動いて早数日。
わかったことと言えば、人間はこの異常事態に気が付いていないこと、毎晩午前零時になるとリセットされたように前日と同じ場所にいるということぐらい。
その中で私は何をするという訳もなく、毎日毎日同じニュースを観てから仕事へ行き、同じ出来事を繰り返してはその日のことを理彰に報告するという、それはそれは退屈極まりない仕事をしていた。
そんな退屈極まりない仕事を繰り返す中で唯一の救いとも言えたのが、この異常事態に気が付いている仲間がいること。
理彰を含む妖魔側の皆と魔術師であるジョンさん、彼らは早々に異変に気付き、せめて毎日を違うものとしようと現実に抗い試行錯誤を繰り返していた同志だった――が、徐々に士気が低下、今ではすっかりやる気をなくしているのだからどうしようもない。
「もう無理だ! やってられるか! 卸問屋のくだらない長話に付き合うのも毎日毎日同じ客の割るグラスを片付けるのももう飽きた!」
頭を抱えて喚くのは、この店で誰よりも激務である店長。
悲しき中間管理職とは誰が言ったことか、彼は既に、私よりも早く限界を迎えていたらしい。
「ジョン、俺はそろそろ限界だ。ループしてる日を含めて何連勤か数えたか!?」
「もう数えるのやめました」
「何度も日曜日を繰り返しているが繰り返した分だけ給料が発生したりとかしないのか!?」
「多分しないっすね」
溜まりに溜まったストレスを発散するように声を荒げる店長と、それを宥めもせず止めもせず、ただただ虚ろな目をして返事を返すジョンさんは、もう壊れる寸前なのだろう。
このままでは疲弊する一方で何も進まないということは、目に見えてわかっていた。
何か、何か私に出来ることは――
「……臨時休業、ってだめなんですかね?」
ぱっと思いついたままに口にした提案は、我ながらナイスなアイディアだと思った。
言われた通りに動いているだけでは本当に頭がどうにかなってしまいそうだし、どうせなら行動を大きく変えて見ればいいではないか。
どうでしょうかと再度聞くも、店長はわざとらしく肩を竦めて頭を振ったものだから私の意見は通りそうにない。
「そうしたいのは山々なんだけど……。この異常事態を引き起こした張本人がどこで見ているか分からない以上、気付かないフリをするのも重要なこと、ってのが本部からのお達しなんだ。仕事は仕事だから仕方ないよ……」
そう言ってグラスの水を飲み干し、がりがり、氷を噛み砕いた店長はなんとも苦々しい表情だった。
一方、ジョンさんはというと、テーブルに突っ伏したまま動かなくなっているのだからこのまま営業なんて出来そうにもない。何より私が疲れたのだ。このままやっていられない。
「そうですか……なら意地でも休みを勝ち取ります」
がたん、立ち上がってポシェットから取り出したのはスマートフォン。
そのまま着信履歴の一番上、理彰を選んで電話をかけた私はとてもじゃないけれど冷静じゃいられなかった。
「ちょっとミケちゃん落ち着いて! 他の店舗の人も頑張ってるんだから、ね――」
「離してください店長! このままじゃ私達頭おかしくなっちゃいますよー!?」
宥める店長を振り払い、机に伏したままにやっちまえと私を煽るジョンさんには任せてくださいと頷いて、電話口の向こう、理彰相手に捲し立てたのは現場の不満である。店長や理彰の、落ち着けなんて言葉は聞こえなかった。
「もう無理です理彰! 毎日毎日同じ人間の長話に付き合うのも限界です! 怪我しても何してもリセットされるのになんでこんなに疲れてるんです? なんで本部は犯人を見つけられないんです? 特別手当とかはないんです? どうして――」
「雨華、少しは落ち着いたらどうだ」
「ひゃあ!」
いつの間に来たのだろう、なんでどうしてと喚いてる間に背後に立っていたのは電話口の向こうにいるはずだった理彰。
首筋に冷たい缶ジュースを押し付けられて、跳ねた肩を叩かれた。
「驚かさないで下さい!」
ひんやりとした感覚の残る首筋を摩って理彰に抗議をするも、ひらり躱されこつりと額を小突かれてしまう。
ムッとした顔のままに見上げれば、理彰は呆れ顔で馬鹿者と一言呟いた。
「向かっているからとりあえず落ち着けと言ったのを聞いていなかったのか」
「ごめんなさい。でも私、このままじゃ仕事に殺されるかと思って必死だったんですよぅ……」
やれやれと頭を掻く理彰から缶ジュースを受け取って、返した返事は子どもの言い訳にもならないようなもの。
事実、それ程までに追い詰められていたのだから、それは一種の開き直りでもあった。
それから理彰はまあよいとひとつ溜息を吐き、店長とジョンさんに缶ジュースを配ってから口を開く。そんな理彰の表情は相も変わらずに固いままだ――
「……まずはお前たちには謝らねばならんな」
無理をさせてすまなかったと、突然、そう言って謝った理彰に対し、受け取ったアップルジュースのプルタブを起こした店長が、こればっかりは仕方がないと首を振る。
ジュースを一気に飲み干した後には歯を見せて、これも仕事だから、とけらけら笑ってみせるのだから驚きだ。
「別に構わないさ。確かに無理もしたし本部の馬鹿野郎とも思ってるけど、でもそれは彰さんが謝ることじゃあない」
「いや、飲食部門は俺の担当ではないが、それはただの言い訳にすぎん。その、なんだ……今日までご苦労だったな」
「やだなあ、俺たちクビってこと?」
「阿呆か――」
――そろそろ一日が巻き戻される零時前、間接照明が照らす店内で交わされる会話は思いのほかに軽かった。後十分もすれば、私は理彰とベッドの中、また明日も同じ日曜日なのかと考えると気が重い。
缶ジュースも受け取らず、すっかり眠ってしまっているジョンさんの隣に腰をかけると、理彰はちらり、腕時計を見てから本題を伝え損ねるところだったと苦笑した。
「実はこの騒動が落ち着くまで店を閉めることが決まってな、雨華を迎えに来るついでにそれを伝えに――」
「わあ! お休みですか!」
「本当ですかまさあきさん!」
がたがた、引き摺られて揺れる椅子と、店内に響く声――
理彰が全てを話し終える前、いち早くに飛びついたのは私と、それから寝ていたはずのジョンさん。
店長はというと、こらこら落ち着いてと言いながらも表情は柔らかくにこやかで、私は先程までの気怠さはどこへやらと、すっかり元気になっていた。
「いつも通りに店を営業させながらしばらく様子を見ていたが、首都圏では特に変わった様子もないのでな。そろそろ休ませてやらねばという話は出ていたのだ。だから全店舗、明日から臨時休業ということにした。店が休みになった分の人間がどのように過ごすかも見なければならんしな」
「ありがとうございます! まさあきさん!」
「俺だけで決めたことではない。どれ、そろそろ時間だ。皆、明日からはゆっくり休むのだぞ――」
振り子は揺れて時計の針はかちかち進む。店の柱時計が零時を告げるその直前、体は浮遊感に包まれて、私と理彰は自宅のベッドに横たわっていた。
「りしょ……」
尻尾を揺らして擦り寄ると、ご苦労だったなと撫でられる。
「偉いぞ」
「当たり前です」
「可愛げのない奴だな。だが、まあよい。今日は寝ていろ」
俺はもう出掛けねばならない――
立ち上がった理彰は出掛ける準備をし始めて、私はどうしてなんでと首を傾げた。何しろ時間はまだ零時、朝にもなっていないではないか。
「俺は調べなければならないことがあるからな。お前は十分頑張った。ゆっくり休め……と、馬鹿者、なにを――」
嗚呼、嗚呼、なんてこと。
私が出勤前に眠っている間も働いている間も、理彰達はずっとずっと働いていたのだ。
「理彰、自分ばかり大変だと思って文句言っちゃって、ごめんなさい――」
人の姿に化けて手を引き、理彰をこちらへ引き倒し、目の前には動揺する理彰の顔。目の下には疲れが隈となって表れて、顔はやつれて蒼白かった。
「馬鹿者、このようなこと……慎みを持たんか」
「理彰は疲れてます。一刻を争う事態なのかも知れません、サイさんの薬があるから平気なのかも知れません、でもこんなんじゃだめです。少しだけでもいいんです、休みましょ?」
私はそう言って、しどろもどろの理彰に抱きつき、乱れた髪を梳くように撫で付けた。
実に、理彰は働き過ぎだった。
責任感が強い上、常に正しく、皆の手本であろうとする。
なんとなく分かっていたから、このまま放っては置けなかったのだ。
大胆な行動に出るのは慣れていないし、殿方に抱き着き抱き寄せるなど、破廉恥極まりないと思っていたのに、今はそれよりも理彰が心配で、無理をしてでも理彰を休ませなければならない気がした。
「だから今は、ね?」
まるで子どもをあやすように問い掛ければ、ひとつ頷いた理彰が目を閉じる。
「そこまで言われては仕方あるまい」
感謝する――理彰の消え入りそうな声の後、程なくして聞こえてきたのは微かな寝息。
なんだろう、安心したら私も眠くなってしまった。ふわり欠伸をしたのちに、私は再び猫となり目を閉じた。




