これぞまさしく 前編
あの後、私は駆け付けた大狼さんに連れられオフィスへ行き、サイさんに傷の手当てをしてもらうこととなった。
大狼さんに特に怪我はないようで、志麻も境も、何かに気が付いたように逃げてしまったということから、彼らの狙いは最初から私達だったのではないかというのが理彰の見解だった。
それにしても、ものの数十分で傷は塞がり、アルバイトだって休むことなく出勤出来る程度にまで回復したのだからサイさんの作り出す薬は流石だ。
痛かったはずの腕を曲げて伸ばして、痛かったはずの足を摩って叩いて、痛みがないことに目を丸くする。
しかし私は有難いやらもう少し休んでいたいやらと、なんとも複雑な気分だった。
それから少しして終電間際。志麻の精をもらったということもあり空腹感はあまりない、が、食べられるものは食べておこうというのが哀しいかな野生の性だ。
理彰の隣、貪るようにコンビニ弁当を掻き込んでいるとサイさんが小瓶を片手にやってくる。
「境の拳銃は魔術を使う為の媒介で間違いはない。銃自体は偽物だね」
境が警官だとはまだ断定できないと、ゆらゆら、透明な液体の入った小瓶を揺らしながらサイさんは言う。
媒介――魔法使いが素手でも力を使いこなせることに対し、魔術師は媒介を通さなければ力が使えない。
魔術は限りなく魔物に近い人間が発展させた学問である――と、以前私はそのように教わった。
サイさん曰く、媒介であるものはなんでも良いのだそうで、例えば“薬匙”がそれに当たるのだという。方士であるサイさんは皆の病気や怪我を治す薬師でもあるのだが、そんな彼の使う薬匙にも力が込められている。
「魔法使いが道具に力を吹き込むんだよ。そうすれば紙もペンも、御伽噺に出てくる不思議な杖に早変わりって訳だよ。もっとも、魔術師の素質がなければ杖もただの枝だけどね」
そう言ったサイさんが赤の玉、緑の玉といった装飾の施された薬匙らしからぬそれを振るえば、小瓶に満たされた透明な液体は赤褐色へと色を変え、土のような、しかしどこか甘ったるいような、妙な匂いが漂ってきた。
「はい。これは理彰のだ」
「おい、俺は何も」
「念の為の解毒剤だよ。相手がいくら若い女の子とはいえ、魔女の薬は恐ろしいからね」
微笑むサイさんが理彰に薬を手渡すと、妙な匂いが一層と近くなり、理彰の眉間の皺も深くなる。
「……有難く頂こう」
くっと薬を飲み干した理彰は相も変わらず苦い顔。余程不味かったのだろうと理彰の顔を覗き込むと、理彰は手の甲で口の端を拭って一言、苦いと溢したのだった。
「万能薬みたいなものだからね。味は仕方ないだろう? ほら、良薬口に苦しって」
「ああ、心なしか体も軽くなった気がする。すまないな」
「礼には及ばないよ」
空の小瓶をサイさんに渡し、理彰は私の隣に座り直して考え込むように腕を組んだ。
「あいつらの狙いが俺達だというのが納得いかんな」
「私を攫った奴の仲間なんでしょうか……?」
それに、境と対峙した時の言葉が引っかかる。
妖魔に家族を殺された身――と、確かに境はそう言っていた。妖魔を憎んでいるとしたら私達のことが気に入らないということも理解できる。
妖魔を憎んでいる者達が集まっているのなら、多く人を食い殺してきた私を攫ったことだって理解できる……が、それならわざわざ餌となる男達を私と同じ部屋に閉じ込めておくだろうか。私にはよくわからない。
「……なんとしてでも問い詰めなければならないようだな」
見落としがあるかも知れないと、資料室へ向かおうとする理彰を止めたのはサイさん。理彰の肩に手を置き、頭を振ったサイさんは、ふたつの小瓶を差し出してこう言った。
「いや、今日はもういいよ。この件と、それから雨華ちゃんを攫った組織の件。このふたつにはもう少し人員を割いてみるし何かあったら連絡するから、とりあえず二人は帰って休まないと」
「しかし……」
「理彰、焦る気持ちはわかるけど君も雨華ちゃんも明日は明日で仕事があるだろう。特に雨華ちゃんは初めてのアルバイトで疲れている。わかるね?」
「……そうだな」
優しく窘めるようにサイさんが諭し、理彰は渋々といった様子で帰宅の準備を始め、私に自らが羽織っていた外套を被せるのだった。
「いつまでも血が付いている服を着させておく訳にはいかん。今だけでいい、着ておけ」
羽織った外套は温かく、理彰の匂いがするから安心する。
顔を埋めて匂いを嗅げば、気持ちが悪いと理彰は一蹴。安心する匂いなのだから仕方ないではないか、拗ねて、剥れて、理彰を追いかけて、挨拶もそこそこに扉へ向かうと、後ろからはサイさんの声。
「今日はお疲れ様。ゆっくり休むんだよ」
また今度と大狼さんにも手を振って、私は家路に着くのだった――
帰り道は静かだ。サイさんからもらった栄養剤だという飲み物を飲み干した後、理彰は考え込むように眉間に皺を寄せてしまい、とてもじゃないけれど話が出来る状況ではない。
私が二人を取り逃がしてしまったことについてはなんとも思っていないようだが、あれ程頑張ったのだから、よくやったと、大丈夫かと、それくらいの言葉は欲しいのだが……やはりそれは私のわがままだろうか。
「りしょ――」
「雨華、すまなかったな」
意を決して、私が名を呼びかけた直後だった。
ひとつ息を吐いた理彰が私の名を呼び頭を撫でる。なんでしょうかと見上げると、俺は少し焦っていたようだなんて理彰は力なく笑い、それからもう一度、私の頭を撫でて今度はしっかりと、私の顔を見て笑ったのだ。
「俺が倒れている間、よく頑張ってくれたな」
「はい」
「明日は半休を取る。午前中、服を買いに行くぞ」
「はい!」
褒められたこと、欲しかった言葉をもらえたことが嬉しい。しかし、それより何より私は、理彰が笑ってくれたことが一番嬉しかったんだと思う。
飛び道具なんてずるいんです。死んじゃうかと思いました――
そう言って歩く帰り道は足取りも軽く、話す内容とは裏腹に気分は穏やか。
明日は何を買ってもらおうか――
理彰の外套に包まれているのは安心するもので、ついつい甘えたくなってしまい、疲れましたと理彰に身を預け、歩く街はまだまだ冬の匂いだった。




