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廃工場と炎 後編

 撃たれたのだと気付くのに、ほんの少しだけ時間が掛かった。

 ゆらり、立ち上がって境を睨みつけると、志麻ちゃんから離れてくれと、私は銃を突き付けられていた。

「……わかりました」

腹は痛むが幸い傷はそう大したことはないはずだ。

 そのまま数メートルを移動して、これでいいでしょうと地面にどっかり座り込むも、銃口は未だに私を向いたまま、引き金に指は掛けられたままで、境の表情は冷たく、瞳は静かな怒りの色。

「俺もお前達を殺すつもりはない」

 淡々とした口調でそう言った男は表面上は冷静だが、その体は怒りで震え、今にも私を撃ち抜いてしまいそうな、そんな雰囲気だった。

 嫌な感じだ――まだまだ寒い季節なのに体はじっとり汗ばみ、冷や汗が止まらない。

「殺すつもりはないが、しばらく動けなくなる程度には傷を負ってもらう」

ほら、やっぱり。嫌な予感はよく当たる。

 私に銃を向けているのはただの威嚇や牽制の為なんかじゃない。

 これから私を撃つつもりなのだ。

 向かい合った境はいつ引き金を引くのか、この至近距離でどうやって躱せば良いのか、考えを巡らせるがどう頑張っても避けきれない。

 守ってくれるはずの理彰は背後で横になったまま動かない。今の境を誘惑しても靡きそうにもない。

 これはまさしく、ピンチというものだ――

 夜風で汗が冷えて、寒い。いい加減、私もそれなりの覚悟を決めなければならないらしい。

 ここで捕まるのは御免だ。それなら、黙って撃たれてなるものか。ただの役立たずで終わってなるものか――

「理彰は少しだけ、寝ていて下さい」

小さく呟いた私が取るべき行動は、兎に角戦いを回避することだった。

 ごめんなさい、許して下さい――

 命乞いにも似たその言葉は、果たしてどこまで通じるか。瞳を潤ませ媚を売り、これで許されるなら万々歳だ。

 心にもない謝罪を繰り返し、ちらりと境を見上げれば、境は溜息を吐いて頭を振り、無様だなの一言と共に引き金を引いた――

「ほんっと、野蛮ですね!」

 無様でも構わなかった。

 腕を撃たれながらも素早く境を蹴り上げる。駆け出して、どうにか体勢を立て直せないかと思案する。

 一体私はどうすれば――

 逃げ込んだ廃工場の内部はコンベアや机が整然と並べられ、人々が汗を流して働いていた頃の息遣いや足音が聞こえてきそうな程に綺麗だった。

「仲間を置いて逃げるとは、本当に無様だな」

響く足音と低い声、それから足元を狙った射撃、境が私を追ってきてくれることに心底安心した。

 志麻は私に精を吸われてぐったりしているし、小娘一人で理彰を捕らえられる訳がない。手負いとはいえ、理彰は獬豸かいち、薬程度でどうこうなる生き物ではないのだから、あそこで私が逃げたことはなんら間違いではない。

 兎に角、理彰のことは何も心配しなくて良いのだ。

「見捨てただなんてとんでもない。貴方こそ、志麻って子を置いて来ていいんですか?」

「すぐ終わらせるから問題ない」

手負いの女が相手とはいえ、随分と余裕があるようだ。

 全くもって冗談じゃない。私は山猫だった時から回復力が高く、怪我には滅法強い。それが私が仙狸たる所以だというのに、舐められたものだ。

 暗い廃工場の中、机を飛び越え機械を薙ぎ倒し、私は逃げながらも反撃の機会を窺っていた。

 境との間には常に障害物を挟まなければならない。

 一定の距離を保ちながら逃げる最中に思い出したのは、最近見た刑事ドラマの一場面だった。犯人が警官の拳銃を持ち出して逃走、その後に銃撃戦……境の拳銃はその時に見たものと同じはず。

 それならば境はどこで拳銃を手に入れたのか。ドラマの犯人は警官が不注意で失くしたものを持ち出して、それを悪用していた。最後は弾切れの隙をついた主人公に確保され――

「確保……?」

以前、境と相対した時に聞いた言葉だった。私は境に近付き捕まえたはずが逆に組み伏せられてしまい、その時の私はまるでドラマの犯人のようで、境の淡々として流れるような動きはまるであのドラマの主人公。

 それでは境は本職の警察官なのか、疑問は早々にぶつけてしまうのが一番だった。

「そんな物騒なもの、どこで手に入れたんですか?」

私と境の間には、積み上げられたコンテナがあったから少しだけ、余裕があった。天井に向かって問い掛ければ声は反響し、少し間を置いて答えが返ってくる。

「物騒? 正義の象徴の間違いではなくてか?」

「使う人と使い方によっちゃとんでもなく物騒じゃないですか。少なくとも、私は貴方に正義があるとは到底思えません」

「人に危害を与える妖魔に正義があるとも思えないが」

「私が人に危害を与えるですって? 面白くない冗談ですね」

「人を殺したことがないって言うのか?」

声だけが響く廃工場、積まれたコンテナを挟んでのやり取りは不毛なものだ。人間というものは、やはり自分達が特別なものだと思っているのだろう。

「今は殺してませんよ。過去は……そうですね。たくさん食べましたが、それでも私には感謝の気持ちがあります。人間だってそうでしょう? 生きる為に動物を食べるんですよ」

本当に身勝手だ。

 苛々するのは撃たれた体が痛むからか、それともこのくだらないやり取りの所為か。よく分からないが本当に腹がたつ。

「まー、それでも私は仮にも仙狸ですし、人を痛めつけて殺すような真似はしないので人間よりは良心的だと思ってますけどね」

境の返事を待たずして続けた言葉はどこか力が抜け、呆れたような、馬鹿にしているような、我ながら随分とやる気のない物言いだった。

「妖魔に家族を殺された身としてはそうも言っていられないが……そうか、それは悪かった」

「敵対してるのに謝られるのも妙な気分なので詫びの言葉はいりません。それより、貴方達は何を探して、それから私達をとっちめて、何をする気なんですか?」

 そうか、境には境の事情があるらしい。

 それに、謝ることの出来るだなんて、素直でいい子ではないか。

 ともすれば根っからの悪人ではないのだろう。

 事情があるのなら、尚のこと、聞かなければならないと、そう思った。

 それから長い間があった――考え込むように唸った境が口を開き、ぽつり、ぽつりと話したのは、先日、餓鬼を退治した時に理彰から聞いた話と全く同じ内容のもの。

「……妖魔をけしかけて人社会で騒ぎを起こしている奴らがいるんだ。幸い死人はまだ出てないが、これから何が起こるか分からない。俺達はそいつらを追っている」

おかしな話だった。餓鬼をけしかけたのは志麻だとばかり思っていたのだが、どうやら違うらしい。

 嘘だということも考えられるのだが、私にはこの境という男が嘘を吐く人間だとも思えないのだ。

「……じゃあ、そこで私達に目星を付けたってことですか?」

「ああ、そうだ。お前は五人の男を、それから理彰と呼ばれたあの男、あいつともう一人の男は何人もの人間を殺したらしいじゃないか。疑うには十分だろう?」

「十分過ぎますね。でも、刑事ごっこなら止して下さいな。私達は人間との共存を目的に動いてるんです。私が人を殺したのはその五人の男が最後ですし、理彰は攫われて閉じ込められていた私を助けてくれたんです。私達は善ではないかも知れませんが悪でもないんですよ」

妖魔をけしかけているだなんてとんでもない。私は、しっかり調べてから当たって下さいねと溜息を吐き、障害物の向こう側、境を睨むようにコンテナを見つめていた。

「まあ、喋っていいと言われていることならなんでも話すので、事務所までご同行願いたいんですけどねー」

「すまない。それは志麻ちゃんの意に反する」

「うーん……聞き分けのない子は嫌いです」

「口煩い女の子は志麻ちゃんだけで十分だ」

「わあ、志麻ちゃんのことが大好きなんです……ねっ……!?」

飛び散る破片は目の前のコンテナのもの。崩れ落ちるそれを避けて弾いて正面を向けば、銃を構えた境が真っ直ぐに、こちらを見ていたのだった。

「冗談……」

この威力、私が想像していたものと、さっき私を撃った時のものと、全然違うではないか。

 ドラマで見たものとは見た目も全く一緒なのに、違う。まるで標的に当たってから爆発が起きたような、妙な力が加わっているような……こんなの、こんな力、私は知らない!

「これが物騒なものじゃなかったらなんだって言うんですか……」

どくどくと心臓は動きを早め、発する言葉は震えている――本当に恐ろしい。

 痛む体に鞭打って、作戦など練っている場合ではないと階段を駆け上がった。

 まだ体も動く、鉄骨を蹴って飛び上がり、上へ上へと目指して最上部、梁の上に登って境を睨み付けると、殺しはしない、などと有り触れた文句で投降を呼び掛ける。

「本当に猫みたいだな」

冗談じゃない冗談じゃない! ここでまた捕まってなるものか。

「理彰の許可がなければ投降は出来ません!」

叫ぶように返した言葉の返事は私の腕を抉るような痛みと銃声。

 本当ならすぐにでも逃げ出してしまいたい、が……撃たれようが何をされようが、大口叩いて理彰についてきた以上、役立たずで終わる訳にはいかなかった。

 それに何より――私は今が好機だと知っている。

 私の知る限りでは装弾数は五発、今ので撃ち尽くしたという訳だ。私の知らない力が働いていなければ、ここで一気に詰められる。

 これは最後のチャンスなのだ。

「理彰、今助けますから」

右手には投擲用の鏢、隠した左手には猫手と針。飛び降りながら放った鏢は境の腕へと突き刺さる。これならいける、そう思った。

「それじゃあ避けられないんじゃないか」

不敵に笑った境の一発に込められていたのは、魔力……。

 相手は魔術師、得体の知れない力を使う者だということは十二分に知っていたはずなのに、弾丸に形がないことにすら気がつかなかった。

 これでは、これは私の油断が招いた――

「危機だなんて、馬鹿みたい!」

 柱を蹴って向きを変え、素早く背後に回り込み、境の背中に一撃、足払いを仕掛けて内腿に一撃、最後に肩に針を突き刺すと境の顔は痛みに歪む。

 愉快だ愉快だ。私は込み上げる愉悦に唇を歪ませ、ひとつ念じて男に刺さった針を消した。

「知ってますか? 始めは処女の如く後は脱兎の如し、って。有名な兵法家の言葉です。確か孟子だったでしょうか」

昔取ったなんとやら、と得意げに披露した知識は昔、師に教わった戦い方だった。

 私は決して強くない、が、弱くもない。油断させてから一気に攻め込めとは彼の教えだった。

 境の上に跨ったまま、観念して下さいと微笑みかけるとぐらりと体が揺れ、直後、私は地面に座り込むように倒れていた。

「孫子、だ。孟子は儒学者だ……」

「ありゃ、よくそんな力が残ってましたね」

「戦う気力はもうないよ」

もっとも、捕まる気もないけどね――

 右手で銃を握り締める境をこのまま連れて帰れる程、私に力は残っていない。だらりと垂れ下がった境の左腕はゆらゆら揺れるだけ、流れる血は真っ赤で痛々しく、私の体もまた、血塗れだった――

「雨華!」

「理彰……」

背後から聞こえた足音と声は理彰のもの。

 小娘はどうしたのかと聞けば、縛って地面に転がしてあるのだと理彰は言った。

「じゃあ後はこの魔術師だけ……」

「ああ」

 さあ、観念してもらおうか――武器を片手に理彰は前に出る。

 境は仕方なしと右腕を上げたが、銃は未だに握り締めたまま。

 往生際が悪い奴だと私が境に近付けば、今度は分かった分かったと言わんばかりに銃を投げ捨てた、はずだった。

 境はくるり、宙を舞う銃を手早く掴み、発砲。

 撃った弾は、私達の背後、一斗缶に命中。

 直後、爆発音と共に工場内部は炎に包まれた。

「言っただろう。仕掛けがあるんだって。殺すつもりはないが、早く逃げなければ死ぬぞ」

「ちょっと待……」

突然の出来事に身動きが取れない私を一瞥した境は、逃げろと一言残して炎の中に消えていき、理彰は私を抱え、出口の方へと駆け出した――


「ごめんなさい。逃げられちゃいました」

理彰に抱えられたまま、私が呟いたのは謝罪の一言。結局私は、詰めが甘かったのだ――

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