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檻の山猫 後編

 大きな男二人に挟まれているのはなんとも居心地が悪いものだ――

「私、早く帰りたいんですけど、そろそろいいですかね」

こんな所真っ平御免なんですよと無理矢理立ち上がれば、男は困った様に私を見上げ、どこから来たのかと問うのだった。

「四川は雅安からですが、ここからでは遠いですか? ここがどこだか分かりませんがそろそろ帰りたいんです――」

「すまない。ここはお前が元いた国ではないからそれは出来ない」

「え、と……」

私の言葉を遮った男の言葉が一瞬、理解出来なかった。

 国が違うとはどういうことか。国が違う、とは……。

 ここは日本だよ――大男が菓子を一粒差し出し補足する。

「日本、ですか……?」

「そう。日本だ。俺達も、死んだ男達も、元はお嬢ちゃんと同胞なんだよ。海を渡ったことも覚えてないってんなら、随分と長いこと眠らされていたようだなぁ。しかし……こんな子を日本に連れてきた所でどうなるというのか……ますます解らん」

まずはこれでも食べて落ち着こうかと手渡された菓子を口に放り込めば、ふわり広がる桃の味。しかし気持ちは落ち着くはずもなく、今の状況を飲み込めずに二人の顔を交互に見比べることしか出来ない。

 どうしてこうなっているか、この人達にすら分からないのなら、私に分かる訳がない。

「よく、わかりません」

思ったままのことを口に出すと、大男は私の隣に座り、そりゃそうだよなと頷いた。

 大男は困った様に顎に手を当て、しばらくして何かを思いついた様に口を開く。

「お嬢ちゃんには悪いが、しばらくは俺達の所で面倒を見させてくれないか。今すぐには無理だが、住むところも用意する。食うもんにも困らせない。それに、俺達が所属している組織に悪い人間はいない。だからきっと、お嬢ちゃんも過ごしやすいはずだぞ」

どうだろうかと聞く大男の後ろ、鉄格子の嵌められた磨り硝子の向こうは漆黒。

 こんな時間に見知らぬ土地に、一人で放り出されるのは怖いけれど、だからと言って、これ以上世話になるのも馴れ合うのも御免だった。

 何より私はほとんどの時間を一人で生きてきた。今更何を困ることがあるというのか。

「いえ、結構です。私は一人で充分なので」

羽織っていた上着を大男に返し、多少疲れの癒えた脳で念じるのは自分の山猫としての姿。

 砂色の体に浅黄の瞳、ふっくらとした毛並……目を閉じ開けば丸みを帯びた前足が目に入り、何とも言えない疲れが押し寄せる。

 元の姿に戻るにも、人の姿になるのにも一苦労。おまけに人の姿でなければ精を吸えないだなんて、不便極まりないと尻尾を床に叩きつけ、それから男二人に別れを告げて駆け出した。

「お世話になりました」

「待て」


 扉へ向かっていたはずの体がぴたりと止まる。首根っこを掴まれているのだと気付いた時には私の体は宙ぶらりんと揺れていた。

「なんなんです。首が痛いので放してくれませんか」

「それは出来んな。さっきも言っただろう。ここはお前が暮らしていた国ではない」

「それはさっきも聞きました。でも私は一人でも平――」

「お前が暮らしていた様な山はここにはない。森もない。お前はここでは暮らせない」

そんなことない、言い返そうとした私の体を男は優しく抱き上げる。

 人に抱かれるのはいつ振りか、懐かしい感覚が心地良く、つい、言葉を発することを忘れてしまう。

「すまんな。人との付き合い方を知らないお前を、このままで放り出す訳にはいかんのだ」

そう言った男は大男に窓を開ける様に促し、磨り硝子の向こうの世界を私に見せるのだった――

 漆黒の闇だと思っていた外の世界。

 それは光に溢れた世界だった。遠くに見えるは摩天楼、街の明かりは煌びやか。

 それは私の知っているどの景色とも違う、全くの別世界。

「これは……」

「ここはまだ灯りの少ない所だ」

お前はここでは暮らせない、再度男は呟いて、それから私をそっと床に降ろす。

「私はここでは、暮らせない……」

しゃがみ込んだ男二人を見上げ、先程言われた言葉を反芻する様にぽろりと溢す。こんな街を、私は知らない……。

「お嬢ちゃん、俺達と行こうか」

にっこり微笑む大男は、おいでとゆっくり手を伸ばす。

 信じてもいいのだろうか。

 大丈夫なのか。

 自問自答を繰り返すが、それでも答えは出なかった。

「案ずるな。お前をどうこうしようとは思っておらん」

信用してはもらえないだろうか――男の一言に少しだけ、心が揺らぐ。

 もしかしたら、この人達なら、大丈夫かも知れない。

「少しなら……信用してあげてもいいですよ」

本当に少しだけ、何かあったらすぐに逃げればいい――

 二人の顔を見上げ、大男が頷いたのを確認してから彼の膝の上に飛び乗れば、耳の後ろ、気持ちの良い所を撫でられて、なんだか眠たくなってしまう。

「気持ち良い……」

「そりゃあ二千年以上生きてりゃな。ネコ科の扱いなんてお茶の子さいさいよ。虎でもなんでも連れてこい」

「二千年……」

それは私よりもずっとずっと長生きだということ。

 今までの態度は年長者に対してのそれでは無かったかとほんの少し、反省している私を余所に、大男はくつくつと喉を鳴らして笑っている。

 そして横に座っている男は私達のやりとりに呆れた様に溜息を吐き、そろそろ帰るぞと立ち上がるのだった。

「まあ待て。社長ちゃんに連絡してからな。ついでにお嬢ちゃんが使う部屋も空いてるか確認しなきゃならん」

「ならさっさと連絡せんか。警察が来ても知らんぞ」

「そん時はそん時だな。ほれ、電話してくるから、その間お嬢ちゃんのことよろしくな」

簡単な会話の後、よろしくと言って立ち上がった大男は、ひょいと私を男に任せ、部屋の外に出て行ってしまった。

 残された一匹と一人、部屋の外から聞こえてくるのは大男の話し声。何を話す訳でもなく抱かれているのも退屈で、ふわりとひとつ欠伸をすれば、男は困った様に話掛ける。

「お前、名は」

「名前……仙狸せんりです」

名前を聞かれたのは久々で、なんと答えればいいか分からない。

 しばし迷い、考えた後に、一言、仙狸ですと答えると、男はそういう意味ではないと首を振って私の頭を撫でた。

「そんなことは知っている。人間が名を聞かれて人間と名乗るものか」

「でも私には名前が無いです」

 そう、私には名前が無かった。人を化かし、人の精を啜って生きる、山猫のあやかし……それが仙狸。

 そしてそれが私であって、それ以上でもそれ以下でもないのだ。

「貴方には、名前があるんですか」

見上げた男の顔は、なんとも言えない、複雑な表情だった。

 彼は私をまたひとつ撫でて、俺は、と口を開く。

理彰リショウ。それが俺の名だ。周りの奴は、そのまま理彰と呼んだり、日本語の読みで、まさあき、と呼んでみたり、彰の部分を取ってチャンと呼ぶことが多い。それから今外で電話しているあいつは富陽フヨウ。周りの奴はフーヤンと呼んでるよ」

男は片腕で私の抱え、もう片方の指で宙に字を書きながら説明する。

 彼らの名はあまり聞かない変わった名。首を傾げる私に男はあくまで仮の名前だと付け足した。

「俺達の名も仕事をする上で必要だから自分で名乗っているだけであって、本当の名前など無いも同然だ。俺もあいつも、二千年以上生きているというのに名を名乗る様になったのはつい数十年前のこと。全く、近頃の人間社会というのは不便でならんな」

男は……理彰は眉間に皺を寄せ、それから私を床に下ろした。

「電話が終わったようだ」

 気付けば話し声はもう聞こえない。戻ってきた大男、富陽は残念そうに首を振り、部屋は空いていなかったようだと肩を竦める。

「来週辺りに退居者がいるって社長ちゃんが」

「仕方あるまいな」

部屋がない、それは住む場所が無いということ。

 外の様子を見た今じゃ、一人でも平気なんてことはとてもじゃないけれど言えない。それでは私は一体どこへ行けば……縋る様に見つめた先、富陽は安心してくれと目配せし、理彰に声を掛けるのだ。

「ああ、だからお嬢ちゃんのこと、しばらく見ていてくれないか。俺の家はペット禁止でな」

「馬鹿言え、ネコ科の扱いに慣れていると言ったのはお前ではないか。それにこいつは人間に化けられるのだぞ」

「なら尚更お前の方が良いな。お前はそろそろ女の子の扱いを覚えるべきだ」

「その様な心配なら無用だ。女の扱いなら千五百年程前に既に学んだ」

「紀元前から女に縁が無かった奴がよく言うねえ。学んだだけで活かせてないんじゃどうしようもないな」

「刺し殺されたいか」

「お、いいじゃないのぉ。やれるもんならやってみろよ」

「あの、二人とも……」

てっきりどちらかに面倒を見てもらえると思っていただけにこれは予想外。

 目の前で始まった私の押し付けあいは今、喧嘩にまで発展しそうになっている。二千年以上生きてなお、男という生き物はこうなのなら――

「私なら一人で平気です」

――くだらなくてやってられない、それが私の本音だった。

 嫌々面倒を見られるぐらいなら一人で街で暮らした方がマシ。景色を見た所、ここは上海、いや、成都よりも栄えていないように見受けられる。それならなんとか暮らしていけるのではないか。

 後は勝手にやって下さいと駆け出せば、むんずと掴まれる首根っこ。私を押し付けあっていたのに、一体全体なんなのだ。

「もう! なんなんですか!」

「言ったであろう。そのまま放って置く訳にはいかんと」

「じゃあどうするって言うんですか。お互いに引き取りたくないなら――」

私はどこに行けば良いんですか、私の言葉を遮る理彰は私を抱き上げ一言。

「俺の家に来い。不自由はさせん」

真っ直ぐ目を見つめられてどうにも心が落ち着かない。

 目を合わせられるのは苦手なのだ。逃げ出したくなる衝動を堪えて私は理彰から目を逸らし、俯きがちに言葉を返す。

「嫌々面倒を見られたくないです。それに私は貴方を殺そうとしましたし、貴方は私を殺そうとしました」

「まあそう言うな。俺が喜んでお前を引き取ると言っても、お前は同じことを言うのだろう。俺もお前の様な者の面倒を見るのは御免だからお互い様だ。それに、お前じゃ俺を殺せない。俺もお前を殺すつもりはない」

ほら、やっぱり私は厄介者なんじゃないか。見下されている様な気もするし、ここまではっきりと言われるとなんだかムッとしてしまう。

「私は貴方が嫌いです」

「それでも構わんさ。どうせ来週までなんだ。だからそれまでおとなしく俺に面倒を見られておけ。……なあ富陽、これでいいのだろう?」

「ああ、それでいい。その方が、俺が面倒見るよりもずっといいはずだ」

富陽はそう言ってにっかり笑い、それから私をひと撫でして、くるり、踵を返す。

「社長ちゃんが今日は直帰で良いってよ。理彰、おとなしく帰るぞ」

「そうか。わかった。だがその前に、お前は家猫にしては些か大き過ぎる。なんとかならんのか」

これでは目立つし法に触れる、理彰は困った様に私の鼻先を突つくのだった――


「これでいいんですか」

「ああ、似合っているぞ」

「冗談はよして下さい」

どうして山猫である私が家猫なんかに化けなければならないのか。

 文句を言いながらも化けたのは、白と黒、それから茶の毛色を持つ猫の姿。

 理彰に抱かれて歩く外の世界は冬真っ只中。

 そして今私が見てる世界は、窓から見たそれよりもずっとずっと眩しくて、目が眩んでしまいそうだった。

 隣を歩く富陽はそんな私を見て嬉しそうに笑い、何か大きな建物の前で二人は立ち止まる。

「理彰。明日の朝、アオちゃんに頼んで必要な物だけ持って来させるから、それから二人で街に行って来い」

「おい、俺には仕事が」

「明日は休んで良い。お嬢ちゃんに外の世界を見せてやってくれ。そいじゃ理彰もお嬢ちゃんも、お疲れさん」

富陽はそれだけ伝えると、手をひらひらと振って去って行く。

 上を見上げれば苦虫を噛み潰した様な、理彰の顔。

「随分と好き勝手押し付ける方なんですね」

「全くだな。だがあいつが物事を押し付ける時は大体何かしら考えがある時だ。その全てを理解することは出来ないが、俺はそれに従うだけだ」

それは信用、というものだろうか。私には難しく、理解出来そうにも無かったものだから、ただぼんやりと理彰の顔を見つめるだけなのだった。

「よくわかりません」

「ああ、俺にもよく分からん。……外は寒いな。入るか――」


 それから連れて行かれたのは大きな建物の中にある理彰の家。

 がらりとした、必要以上の家具は無い殺風景な部屋の壁は冷たい灰色。埃ひとつ落ちていない床からはどことなく神経質そうな性格が窺えて、今日出会ったばかりだが、いかにも理彰らしい。

「来週までだ。それまではここで我慢してくれ」

外套を脱ぎながら理彰は言う。

「いえ、別に……」

 さっきまであんなに嫌そうにしていたのに、急に申し訳なさそうに言われたらどうしたらいいか分からなくなってしまう。

 好きでここに来た訳ではないし、誰かの世話になるのも嫌だけど、今日、助けて貰わなければずっとあそこに幽閉されていたのかも知れないのだ。我慢だなんて、とんでもない。そう、我慢だなんて――

「我慢だなんて……別に私、我慢なんてしてませんし、我慢するつもりもありません」

きっぱり、告げた言葉には少し刺があった、と思う。あまり人と会話して生きて来なかったから、言葉は難しい。

「そうか、それはとんだ厄介者を預かってしまったな」

でも――

「でも、り、理彰、今日は、助けてくれてあり、ありがとう、ございました」

感謝の念がない訳ではない、が、やはり人の目を見るのは得意ではない。つやつやとした床の木目を見つめてお礼を言えば、上から頭を撫でられた。

「存外素直なのだな。いや、素直だからこそ、か……」


 次に富陽に会ったら、あいつにも言ってやってくれないか――

 きっと喜ぶはずだと理彰は私を撫で続ける。耳の後ろを撫でられるのは心地良く、ふわり催す眠気の中で味わうのは久々の幸福感。この人なら、この人の仲間なら、信用出来るのかも知れないと、私はゆっくり目を閉じるのだった。

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