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やっぱり碌なもんじゃない 後編

 アイヤー、これはこれは想像以上――理彰と共にやってきた料理屋は高級なんてものじゃない。理彰の家で世話になって明日で一週間、それは最初に決めた期限の日であって、私は明日理彰の家を出ることになっている。

 二人で食べる夕食はこれで最後だと言われて連れて来られた中華飯店の卓上には、私にほとんど縁のなかった宮廷料理が並んでいるものだから、どこを見て何を食べればいいのか分からない。

「そこそこ美味しいと評判……?」

「ああ」

「これが……?」

「そこそこ美味いだろう」

「これが、そこそこ……」

 冗談じゃない冗談じゃない!

 そこそこどころか相当に美味しい!

 ここまで美味しいものは食べたことがない!

 このレベルをそこそこと言うのなら理彰は今まで一体どんなものを食べてきたのか。見様見真似でアヒルの皮を胡瓜と葱と一緒に包み、口に入れてむしゃりと食べれば甘くて塩っぱい味噌の味とパリパリとした食感。

 嗚呼これは新感覚、数百年生きてきて初めて食べた料理だ。

 夢中で食事をしていると、美味そう食べるのだなと理彰は嬉しそうに目を細め、自らもまた料理を口にするのだが、その理彰の表情はすぐに元に戻ってしまい、無表情で淡々と食事をするばかり。これでは本当にそこそこ美味しいと思って私を連れてきたのか、甚だ疑問である。

「理彰、美味しいものはもっと美味しそうに食べるべきです」

「急にどうした」

「美味しくないんですか?」

「美味いぞ。不味かったらお前を連れてきたりはせん」

さてそうだろうか……。

 そもそも理彰は楽しんだり喜んだり、良い方向への表情の変化があまり無い。ことりさん曰くそれでも充分楽しそうだと言うのだが、全くもって理解出来ない。まず、理彰には――

「笑顔が足りません」

「一体どうしたのだ」

口の中のものを飲み込んで、いいですかと説教じみた口調で問い掛ければ、理彰は困った様に頬を掻いた。

「理彰は食事のなんたるかを解ってません! 美味しいものは美味しそうに食べてこそ美味しいのです」

「充分味わって食べているつもりだが……?」

何を言っているんだと眉間に皺寄せ食事を続ける理彰はやっぱりやっぱり分かってない。

 ここに来て一週間、無表情で食事している理彰しか見たことがないのだから、少しくらいは美味しそうに、楽しそうにしてくれてもいいじゃないか。

「理彰は食事の時間は楽しくないんですか。こんなに沢山美味しいものがあるんですよ?」

そう言って、つまらないですと口にしたところで、余計なことを言ってしまったかと、私は口を噤む。

 だって理彰は先程よりもずっとずっと困った様な顔をしているし、何かを考える様に目を閉じ口を閉じ、食事の手も止めてしまったのだもの。

 そうして思い出すのは、初日の、私を引き取ることを嫌がった理彰の顔。ことりさんに、私との生活が楽しそうだと指摘された時の、心底嫌そうな理彰の顔。

 厄介者で結構、そう思っていたのにいざ別れとなると寂しいもので、これ以上嫌われるのは嫌だと思ってしまうから可笑しな話だ。

 そんな気持ちを悟られまいと、どうせなら最後まで厄介者のままでいられる様に、わざとらしく溜息を吐けば、理彰はすまん、と一言謝った。

「へ?」

聞き返した私の顔は酷く間抜けなものだったと思うけれど、理彰はそれを気にする様子もなく言葉を続ける。

「飯の時間のお前は幸せそうだ」

「うん……?」

「だが俺は食材や調理をした人間に感謝こそすれど、食事をするのが当たり前になっていた様でな……何、楽しむことを忘れていたという話だ」

小難しい話は無しにしよう、理彰はそう言って食事を口に放り込み、食べてから一言、美味いな、と私の見たことのない、柔らかな笑みを――

「すまん、電話だ」

浮かべるはずだったんだと思う、多分。

 電話の音が鳴ったかと思うと理彰は私に詫びを入れ、席を立ってしまった。

 また仕事だろうか。魔法使いがまた来たのだろうか。膨らむ不安に箸は止まり、次の料理にも手が付けられない。やっと戻ってきた理彰はすまないとまた謝りコートを着たから、この様子だと急ぎの仕事だろう。

 仕事なら仕方がないと諦めて、会計を済ませた理彰と共に外に出ると、理彰は申し訳なさそうに

「埋め合わせはする」

と呟き、私を抱えて駆け出した。


 午後八時の都会の空は、光が空に反射して、ぼんやり明るい空だった。眼下に広がる街並みで眩しくきらきら光るのは十二月特有のイルミネーションというものらしい。そうして夜空を駆ける道すがら、理彰に説明されたのは今回の仕事の件について。

 敵は人を襲うという妖魔。人を殺すことは無いにしろ色々と問題を起こすことが多く、理彰達は以前からマークしていたのだと言う。

「月に叢雲花に…………なんとかとは言いますが、本当にタイミング悪いですねー。点心、食べ損ねちゃいました」

「花に風、だな」

「そう、それです。……ところで私達、けられてませんか」

 背後、周囲から感じる不思議な気配。今、私達を追っているのは件の妖魔か――殺意は感じないが、突き刺さる視線が痛い。街から少し離れ、降り立った空き地には異様な雰囲気が漂っている。

「巻き込んですまないな」

「危なくなったら遠慮なく逃げさせてもらいます」

「構わん」

一言二言交わす言葉の中で感じる理彰の余裕。

 この様子なら本当に大したことなさそうだ。

 隠れてないで出てきたらどうですかと問い掛け、現れたのは辛うじて人としての姿を保っている、異形の者達だった。

 餓鬼、か……? ぞろぞろと私達を囲む彼らは、長い手足に大きな頭、妙な体つきだがそこに肉は無く、あるのは骨と皮ばかり。死者であるはずの彼らがなぜここに、疑問を投げ掛ける暇も無く攻撃を仕掛けられ、大慌てで後ろへ飛び退くもそこにも敵はいるもので――

「なんなんですか!」

思い通りに動けずに腹が立ってしまう。

 体勢を立て直し、苛立つ心のままに、爪を突き立て払った餓鬼を乱暴に地面に投げ捨てた。執拗に頭と首を狙われるものだから殺さずに手加減して戦うなんて馬鹿げたことは出来そうにない。そうして苦戦している私に理彰から出された命令は、全て殺せという、無機質な命令だった。

 殺しても良いのなら――念じて作り出したひょうを投げつけ、一体二体と餓鬼を葬ると、彼らの体は殺した側から消えていく。

 元々死んでいる妖魔、この世界に実態は無いも同然だというので当たり前といえば当たり前かも知れないが、これはこれで後味が悪い。そして何より気味が悪いのは、私達に対して一切抵抗せずに消えていく餓鬼も少なくないということ。

「理彰、なんか変です!」

「どうした、疲れたなら――」

「違うんです理彰! 抵抗しない奴らが……ああもう!」

次々に湧いて出てくる餓鬼を、手当たり次第に葬る理彰は私が何を言っても聞いちゃいない。

 せめて私だけでもと、歯向かう者だけ葬り続ければ、周囲にはもう、怯え震える餓鬼しか残っていない。そんな中で機械的に、事務的に、一体ずつ消していく理彰の行為は最早ゴミ処理と変わらない、意志を持って動く者へ対しての行為とは到底思えない程に残酷で惨かった――

 今まで無抵抗な人間を殺したことはある。何度も、何度も。

 しかしそれは食事の為、生きる為。人が豚を、牛を、鳥を食べるのと変わりなく、小鳥が青虫を啄むこととなんら違いはないのだ。

 だが、今はどうだろうか。無抵抗な餓鬼を、言われるがままにただただ葬るだけ。それは一体誰の為に、何の為にしているのかも分からない。

 そもそも彼らが人を殺してはいないのなら、彼らを殺す必要はあるのか、疑問ばかりが膨らんでいく。

「助けて……」

絞り出した様な声は足元の餓鬼のもの。縋り付くその者は悲痛な声で私に訴える。

「利用されて……人間に、探し物を頼まれて……人の姿に戻してやると言われて……せめて人の姿になれれば虐げられることもないと……でももう嫌だ。助けて……」

助けてくれと泣いて縋る餓鬼の言っている探し物――

 思い出すのは魔法使いの少女、志麻しま。彼女は探し物があると言っていた。彼らが彼女に命令されて人を襲っていたなら?

「その人は、女性でしたか?」

もしそうなら、私は彼らを殺さなくて済むかも知れない。助けられるかも知れない。私は異形の者でも安心して暮らせる街を知っている。

「髪の長い、女が……」

「……間違いない、ですね」

餓鬼が語る女の容姿は間違いなく、志麻と呼ばれた少女のもの。

 やはり、あの少女の仕業だ。魔法使いといえど、やっぱり人間は碌な生き物じゃない。彼らは彼女に利用されたのだ。

 これ以上はやめて下さい――淡々と仕事をこなす理彰の前に立ち、事情を説明するも理彰の手は止まらない。

「それは出来ん」

餓鬼の断末魔の中、理彰の声は酷く冷淡。これでは虐殺と変わらない。これではどちらが悪か分からない――

「理彰!!」

「出来ぬと言っておるだろう。こいつらは元々人間。それもただの人間ではない。罪を犯した人間だ。人に唆されたからなんだというのだ? こいつらの罪はとっくの昔に許容範囲を超えているのだ」

理彰の名を呼び間に入り、止めても理彰は止まらなかった。

 どうして、どうして理彰がそんなことを決められるのだろう。

 恐怖で動けず、泣いて許しを請う餓鬼を薙ぎ払い切り捨て突き殺し、こんなのが正しいのか。

「でも……なんとかにも三分の理って……」

「雨華、理屈と膏薬はどこへでもつく。理由なんて考えればなんでもこじ付けることが出来るのだ」

「でも――」

「もしも、お前が騙されているだけだとしたらどうする? 奴らがお前の人間嫌いに託けているだけなら、どうする?」

そう言って私を諭す理彰の口調は優しいのに、その手は、その目は、冷たく残酷だ。

「こいつらは既に死んでいる。人を襲った以上、このまま放ってはおけん。然るべき所へ送らねばならない。さあ、雨華。そこを退け」

然るべき所、それは恐らく地獄。

 私の後ろ、足元で震える餓鬼は、譫言の様に助けてと繰り返すばかり。私は絆されてしまったのだろうか。私は人間が大嫌いだ。その人間に利用されたから、同情しているだけなのか――

「餓鬼はここに居てはいけない者だ。こいつが助けを求めるのは、飢えから、自らに科せられた罰から逃れる為だ。ここで助けるのは理に反する」

「……そうですか――」


 難しいことが多過ぎてよく分かりません――

 そう言って駆け出したのは、現実から目を背けたかったから。山猫だった時は逃れようと必死に足掻く獲物の命を奪ってきた。

 つい先週、命乞いをする人間の命を奪った。勿論それらの行為に心が痛んだことはない。なのに今回はどういう訳だか胸が痛い。余裕が出てきて、命を奪わずとも飢える心配のない環境に慣れてしまったのかも知れない。

 自分が変わっていくことへの恐怖と、淡々と敵を葬る理彰へ感じた畏怖の念に押し潰されそうだ。

 私の後方、最後に一体残った餓鬼を葬った理彰は、私を追って駆け出した。少し頭を冷やしてきますと路地へ入って曲がって逃げて、やっぱり私は最後まで厄介者なのだと、唯一変わらぬ部分にほんの少しだけ安心してしまうのだった。

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