第二話
道具袋を携えて、簡易天幕から外に出たカルコは、竈場へとおもむく。雨避けの大屋根の下、中央には煉瓦造りの竈が十五台、背中合わせにして計三十台が並ぶ。整然と並んだ竈の両端には、ここで料理を拵えて売る者専用の、大きな竈が設えられている。竈場の真横には井戸が掘られており、すぐ側にある頑丈な造りをした作業台では、男一人と女二人が、売り物にする夕食の仕込みの真っ最中だ。大量の肉や野菜と格闘している彼らを、カルコは見るともなしに一瞥する。
それらを買わずに自炊をする者達も、夕食の準備に当たるにはまだ早い時間であったので、竈場は閑散としていた。
竈場の横にある小屋の中をカルコが覗くと、竈場の管理を任されている中年の小太りの女が机に突っ伏して、豪快ないびきをかいていた。カルコは女を軽く突ついて起こすと、竈を一台使わせて欲しいことと薪の束を売って欲しいことを告げる。昼食時の喧騒から解放され、気持ち良く午睡を貪っていた女は、大きなあくびを一つするとやや不機嫌そうに応えた。
「で? 薪は大、中、小のどれがいいんだい。後、火口と付け木は?」
「薪は小で。火口と付け木も貰っとくわ」
「なら竈一台の使用料と合わせて大銅貨三枚と小銅貨三枚だよ」
カルコは小銭入れから大小合わせて六枚の銅貨を出すと、女に手渡す。女は硬筆を取り、その先を墨壺に突っ込むと、先程まで自身の顔の下にあり、やたらと文字がにじんだり紙面が波打つ帳面に、何やら記入する。
そうして首から下げていた鍵束を外し、鍵の掛かった机の引き出しを二つ開けると、中から黒い小さな塊と割り裂いた木片、それと手提げ金庫を出した。芋虫のように丸々とした指を器用に動かして錠を開け、銅貨を手提げ金庫に手早く仕舞えば、女は、よっこいしょと見た目からして重そうな腰を上げて、カルコと共に外へ出た。
小屋の外壁に添って建てられている薪置き場の鍵を開けた女は、中から麻紐で縛られた小ぶりな薪の束を一つ持って来ると、着火材の一式と共にカルコへ手渡す。
「分かっていると思うけど、竈の灰は残さず灰置き場に持っていって、最後に上蓋を閉めて火の始末をきちんと着けとくれ。灰掻きの道具は灰置き場の横にあるからね」
「あいよ」
女は竈場近くにある灰置き場を指差すと、すぐにまた小屋へと戻っていった。
カルコは井戸の前で、持参した道具袋の中から小鍋と雑穀の入った小袋を取り出す。さらさらと鍋の中に雑穀を入れて、井戸から汲んだ水を鍋に七分目まで注ぐ。匙で良く混ぜ、雑穀に水を吸わせる合間に、薪の束を解き、竈の一つに薪を手早く組んでいく。外側にいくほど太い薪を配し、中央の空間には薪の束の中に一緒に入っていた藁束を置いた。火打石と火打金を使い、豆粒大の火口に火花を飛ばして燻らせると、付け木を当てて小さな火を生み出す。火の付いた付け木を手早く藁束にかざし火を移せば、藁は勢い良く燃え上がる。やがては、ぱちぱちと火の粉を散らせて、上手く薪にも火が燃え移ったようだ。
火を起こし終えると、竈の上に備え付けの網を下ろし、先程準備した小鍋を網の上に置くと、匙でゆっくり鍋の中を混ぜる。竈場の隅に大きな薬缶が置いてあったので、カルコはそれを勝手に拝借し、一緒に湯も沸かした。小鍋の中身がくつくつと煮立ってきた所で、乾燥させた玉葱やきのこ、細かく刻んだ干し肉を加え、更に煮込んでいく。時折鍋の位置をずらして火加減を調整し、雑穀が柔らかく炊けてきたら、小瓶に入った調味料を少々加える。これは穀物を発酵させた物であり、様々な料理に使えるので、カルコは重宝していた。最後に塩と香辛料で味を整えれば、風味豊かな雑穀粥の出来上がりである。
竈場のわきにある大卓の端で、カルコは一人悠々と雑穀粥と白湯、それと薄い木の皮に包んであった林檎の砂糖漬けを広げて、遅めの昼食兼、早めの夕食を済ます。薬缶に残っていた湯を二本の水筒に注げば、手早く後片付けを始める。
日も暮れ掛けて、作業人達が一日の作業を終えて天幕村に戻って来る頃、カルコはといえば、もうすっかりと夢の中の住人となっていた。
夜半に目を覚ましたカルコは寝袋から這い出すと、一つ大きく伸びをし、ついでにあくびも一つ。簡易天幕の入口から外へと顔を出し、空の様子を確めた。寝ぼけ眼をこすりつつ、だが満足げに笑みを浮かべると、また簡易天幕の中へ顔を引っ込める。カルコは背嚢を引き寄せると中を探り、闇に塗り込められた狭い天幕内でも、馴れた手付きで角灯に難なく火を灯す。四角い囲いの中で揺らめく炎に照らされて、カルコは寝袋を小さく畳み、就寝中は脱いでいた衣服を着込む。首には革紐に通された金の台座に大粒の尖晶石が一粒輝く首飾りを下げた。
この尖晶石は、カルコが独り立ちしてから初めて手に入れた大物であり、当時の貴婦人の持ち物の壊れた金細工の主石であった。カルコがこれを目にした時、その石の色合いが、明るく穏やかな橙色と薄紅の中間色である事から、すわ幻の蒼玉の変種かと飛び上がらんばかりの悦びに沸いたものだ。しかし壊れた台座から石を外してよくよく調べた所、蒼玉や紅玉等の玉類よりも格が劣る尖晶石だと判明した。
しかし、かなりの大粒であり、これといった大きな瑕も無く、何といってもその美しさは本物である。カルコは知り合いの宝飾師に、壊れた金の台座ごと石を渡し、報酬は造り直した際の余った金で支払う事とし、こうして新たに首飾りとして生まれ変わったのだ。腕は良いが、がめつい事に定評がある宝飾師には、案の定、手数料として、ごっそりと金を取られたものだが。以来、首から下げる守り石として、その尖晶石は、入浴時と就寝時以外は常にカルコと共にあった。
身仕度を済ませたカルコは、厠に用を足しに行く。帰りに氷水のような井戸水で顔を洗うと、カルコの頭は芯から完全に覚醒した。昨日食べた林檎の砂糖漬けの残りと煎って塩味を効かせた木の実。それと、しっかりと焼きしめた堅いホズ(発酵させたパン)と小型簡易炉で沸かした白湯で、しっかりと朝食を摂る。食後には非常に造りの良い豚毛の歯刷毛と、高級な材料が惜しみなく使われている上質の歯磨き砂を使い、時間をかけて丁寧に歯を磨く。
『商売道具と歯の手入れは、金と時間を労力惜しまず、死ぬ気で行え』がジャモン家の家訓である。『鬼』のメイゼイの教育の賜物で、三つ子の魂なんとやら。カルコもこの教えをきちんと守っている。ちなみにメイゼイの父が子どもの頃に、近所に住んでいた屈強な男が歯を悪くして、顎の骨にまで毒が回り、泣きながらのたうち回るという恐ろしい光景を目にして以来、家訓の文言に『歯』が付け加えられたそうな。
歯の手入れを済ませたカルコが再び簡易天幕に戻ると、背嚢から荷物を取り出していき、一つ一つ不備がないか慎重に確認を始める。その後は、これまでとは違う配置で荷物を詰め直す。それが終わると服に沢山付いている、かくしや革帯に通された小物入れの中の小道具類の点検を始め、次に短剣に小刀、投擲用の刃物を柔らかい鞣し革で磨き上げ、体のあちらこちらへと装着する。
前髪をきりりと結い上げ、簡易天幕を手早く撤収し、畳んだそれを背嚢に付いた革帯でしっかり固定する。背嚢を背負い外套を纏えば、今一度忘れ物はないかと辺りを見回し、最後に角灯の火を勢い良く吹き消した。
カルコは篝火の焚かれた天幕村の見張り番の詰所へおもむく。今は昼間に門の所で袖の下を渡した役人ではなく、相方を勤める男が見張り番として、監視に当たっている。その役人は木の実や日干しした腸詰めを肴に、カルコが渡した蒸留酒をちびちびとやりながら、締まりのない顔を晒していた。それと何やら、いかがわしそうな大衆誌を読みふけっていたが為、正しくは全く見張ってなどいなかったのだが……。
役人はカルコが立てる足音に気が付くと、誌面に釘付けだった顔をようやく上げる。カルコが役人に向かって一つ頭を下げれば、やや間を置いてから、今飲んでいる酒と臨時収入の提供者が、カルコなのだと結び付いたたようだ。役人は軽く硝子の杯を上げると、またすぐに誌面へと顔を戻す。
「ふぅん『実録! ペクに咲き乱れる夜の華々、こぼるる蜜は禁断の味』か。いい趣味してんな、あのおっさん。……ってか仕事しろや」
ひとしきりぶつくさとこぼすと、カルコは寝静まる天幕村を後にする。発掘現場担当の役人は、天幕村の見張り番よりかは仕事熱心なようである。こちらには話が全く通っていない為、ここで見つかると、また袖の下を渡さなくてはならない。手に入れた情報と、門にいた役人達があんな調子だったので、見つかってもお上に突き出される心配はなさそうだが、下手すれば法外な金を要求される羽目になるだろう。先程とはうって変わり、カルコは物音を一切立てずに、建物や木の影を使って上手く身を隠し、発掘現場の役人に見つからないよう、慎重に山道へと歩を進めた。
ようやく山道の入口へ辿り着くと、服のかくしに忍ばせていた獣避けの強い匂いを放つ香油を外套に塗りつけ、月明かりを頼りにして整備された山道を軽やかに登る。
「空の機嫌が良くて何よりだな。やっぱりオレの普段の行いが良さが、こういう時に出るってもんだ」
満天には星々が、艶を競い合うかの如く煌めいている。今宵は満月。中天から西へと傾きかけた月からは、柔らかな白い光が惜しみなく降り注がれ、辺りを優しく照らし出す。天上には雲一つ無い良夜であった。
カルコがわざわざ発掘現場まで来て、役人に賄賂を渡して偽装工作を行ったり、夜半に行動を起こすのにも理由がある。それはカルコが今から向かう場所が、ただの遺跡ではなく、通称で『秘蔵っ子』と呼ばれる特別な場所に他ならないからである。『秘蔵っ子』とは、公になっている遺跡とは違い、個人や組がそれぞれ掴んでいる秘密の穴場で、しかも相当なお宝が眠っていると思われるものを指す。
今も昔も、この『秘蔵っ子』を巡っての争いは言うに及ばず、果ては殺し合いに至る事も枚挙に暇がなかった。それゆえに『秘蔵っ子』掴んでいる者達は、いかに他者に知られる事なく、お宝を堀り当てるまで守り抜けるかに心血を注ぐのであった。
今向かっているその場所は、母メイゼイの死と共にカルコが受け継いだ。
「ねぇカルコ、約束だよ。あたしが死んだら、体をくまなく綺麗に拭くんだ。面倒臭がって、そのまま棺桶にぶち込もうもんなら、草葉の陰からおまえのちょんちょろ毛に雷をぶち落とすから覚悟しな。まぁ、あたしが穴に嵌まって帰ってこなかったり、見つかった時は骨になってたり……おまえのオツムの出来が悪かったら、その時はあたしも運がなかったと諦めるさ」
生前メイゼイは、そのような事をよく言っており、当時のカルコには当然の事ながら、意味を理解できる筈もなく――
そうして時が過ぎ、いざ、メイゼイの死を目の当たりにした時に、カルコは溢れる涙を拭う事もなく、ただただ呆然とするばかりときた。それを見兼ねて、近所に住む枯れ枝の姐御や医師を自称する藪などの、奇特な世話好き達がメイゼイの埋葬の準備を始めた。その段になり、カルコはメイゼイとの約束の言葉を思い出し、彼等に待ったを掛けたのだ。埋葬は、後少しだけ待って欲しい事とメイゼイと二人きりにさせて欲しい事を告げれば、息子は師にして母の、死という現実ときちんと向き合った。
カルコは、柔軟さが損なわれ、驚く程に硬くなったメイゼイに触れた。あの時の、手に感じた冷たさを、カルコが忘れる事はないだろう。硬直し、身体から衣服を脱がせられなくなった事により、カルコは短剣を用いて衣服を切り割いた。
メイゼイの日に焼けていない白い肩が見えた時、カルコの眼はこぼれ落ちんばかりに見開かれた。なぜならば、幼い頃にメイゼイに連れられて共同浴場に入った時や、一緒に裸になって川で水浴びをしていた時には一切見当たらなかった刺青が、その肩にしっかりと刻まれていたからだ。
カルコは眠る木々の間をくぐり抜けながら、当時の事を思い出す。母の意思と遺志を目にした途端に、自身の身の内に炎が宿った感覚を。その盗人魂を揺さぶる炎は、こうしてカルコを突き動かしている。
メイゼイの身体に刻まれた、自身へのことづてを目の当たりにしたカルコは、無我夢中になり、その両肩、背中、両足の甲に施された刺青の内容を寸分も間違う事なく紙に書き写した。よほど用心したのであろう。一ヶ所一ヶ所、全て違う彫り師によって、解読の非常に難しい古代語や暗号化された複雑な計算式、そして今はこの世でカルコしか知り得ない、ジャモン家に代々伝わる符号や俗語が、ごちゃ混ぜにされて刻まれれていたのであった。
全てを書き写すと、カルコは約束通りメイゼイの体を丁寧に拭き、根はお人好しの隣人達と共に、以前よりも力強さを増した眼差しでもって母を見送った。
メイゼイの遺言は予想以上に難解で、解読を無事に終え、自分だけの『秘蔵っ子』に辿り着けたのは、メイゼイの死から二年と少したった頃であったか。初めて深い山の中にある、その場所に立った時、あの日以来一度も流さずにいた涙を、カルコは止める事ができないでいた。
それからのカルコは、より精力的に盗掘に励んだ。以前には感じられなかった『匂い』としか言いようがないものも感じられるようになり、押しも引きも、より鮮やかさを増し、お宝を見付ける精度も格段に上がった。件の尖晶石を見つけた出したのも、この時期での事である。
カルコは『秘蔵っ子』へ赴く時は常に細心の注意を払い、訪れる間隔や道も毎回変えている。前回潜った時は色付いた葉もすっかり落ちた晩秋で、その時にカルコは大きな当たりの手掛かりを引き当てたのだが、探索半ばで角灯の燃料が許容できる量を切ってしまった事により、カルコは泣く泣く引き上げた。一旦装備を整えにペクへと戻り、風花が空に舞い始める頃、もう一度そこへと向かうも、カルコは断念した。断念せざるを得なかった。途中で人のアガリを掠め取ろうとする輩に尾けられた気配を感じ取ったが為に。それでカルコは仕方なく、近場のボロ(探索され尽くし、打ち捨てられた遺跡)で金目の物を探す、うらぶれた盗人を演じ、胸の内で盛大な舌打ちをしながらやり過ごした。
本格的な冬を迎えた為『秘蔵っ子』へ訪れるのは来年の春先と決め、その後は、はやる気持ちを抑えるかのように盗掘の合間には小遣い稼ぎの雑用までこなし、今日の日を迎えたのである。
もはや整備された道はない。深く険しい道なき道を少年は往く。時おり柔らかな月の光を浴びながら、木々の間から見え隠れする星を見ては方角を読み、カルコはひたすら、かの目的地を目指して歩いた。