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ほうき星をつかまえて

作者: 九楽 快

 風を切り、風に乗り、風と走る。

 僕はホウキで空を疾走する。

 目指すのは未来先輩。僕の憧れの人。

 鼓動が早鐘を打つ。僕はゴールラインにいるあの人へと飛び込んでいき……。

「はい、ゴール。すごいわ、前よりも直線でのタイムが良くなってるわよ、あすか君」

「そう、ですか?」

ぜいぜいとあえぐように呼吸をする。魔法を使って空を飛んでいるのにこうして僕が苦しくなるのは、最後の最後、ラストスパートで息を止める癖があるからだ。

さらに僕が飛行中に使う魔法の代償は、僕の中の熱。つまり体温で、身体が冷え切って震えてしまう。

「来週末の対抗戦も、これならかなりいい成績が残せるんじゃないかしら」

「かなりいい成績……」

それじゃあ、あまりよろしくはない。

「僕じゃ優勝は難しいですかね」

「へぇ、なかなかの野望を抱いてるじゃない。それは、私への挑戦と取っていいのかしら?」

「からかわないでくださいよ。本気なんですから」

「ごめんごめん。そうねぇ、絶対じゃないけれど、あなたの弱点が克服されたら、可能性はなくはないと思うわ」

 弱点が克服されたら。という言葉が胸に刺さる。

僕の弱点。それは、最高速にたどり着く前に怖気づいて速度を上げきれないこと。

それは僕の臆病さが生み出している弱点。

僕は強くなりたい。もちろん、誰かを傷つけるような強さではなく、誰かを守ることができるような。

 大切な人の笑顔を救えるような。

 僕たちの世界は、十数年前に一度大きな転機を迎えた。

 エブリデイドリーム。

誰が呼んだか、その事件は、世界を大きく揺るがした。

 コンピュータや機械技術なんかが発達していた、科学が主流の世界と、何もないところから氷や火を出したり空を飛んだりする、魔法技術が主流の世界とが、混じりあい一つになったのだ。

 最初は大混乱になって、あわや世界と世界の戦争、というところまで行きかけたらしい。けれど、今こうして僕と先輩がブルームレースの練習をできる程度には、世界は平和で、こともなし、という感じになっている。

 きっと、当時の大人たちが努力した結果だろう。

 そのあたりの話も、歴史の授業や、魔法科学の授業で何度も聞かされながら僕らは育ってきた。

 今僕らが通っている星ヶ峰学園は、二つの世界の架け橋となる人材を育成する目的をもって作られた、と受験者向けパンフレットには書いてあった。

 そういった魔法科学校が日本には五つあって、工学的授業と、魔法学の授業の両方がカリキュラムに含まれている。僕の所属するブルームレース部もその一環だ。

魔法で空中を駆け抜けて、その速度を競う。魔法世界では人気競技だったらしく、エブリデイドリームの後の世界でもそれなりの認知度がある。

 そして、僕と未来先輩は年に一度行われる、五つの魔法科学校でのブルームレースの対抗戦での代表に選ばれていた。だから僕は、休日でも学校に来て、未来先輩と一緒にホウキの訓練をしている。

それはとても喜ばしく、楽しい時間だった。けれどそういった時間はすぐに過ぎ去ってしまうもので、対抗戦は来週末、七日後まで迫っていた。

一緒に練習ができるのは今日と明日だけ。

もうすぐ今日の練習は終わってしまうから、僕と未来先輩だけの時間は、あとは明日だけになった。

だから僕は、なけなしの勇気を振り絞ってみる。

「先輩、明日、日曜日じゃないですか」

「んぅ? ああ、そうね」

「もう自分では一度行ったんですけれど、その、もう一度レースコースの下見に行きたいので、できたら一緒に来てくれませんか? 去年の優勝者である先輩が案内してくれたら、とてもありがたいです」

 対抗戦のコースは、街中に特殊な防護魔法をかけた状態で行われる。だから、土地勘があった方が戦いやすい。このあたりは陸上競技とは大きく異なっている。選手の持つ土地勘にレースの結果が左右されるなんていうのは、競技として成り立たないという意見も出るだろう。それがどうして、ということについてはこの対抗戦の目的がある。

この対抗戦は、言ってみれば街おこしの側面もあるのだ。開催校を持ち回りでローテーションして、その近辺の街中をブルームレーサー達が飛ぶ。それを見てもらって、魔法科学校のある街について知ってもらおうという。だから、レーサーは街に慣れておく必要がある。

 というのは建前で、未来先輩と一緒に少しでも同じ時間を過ごしたかった。

 先輩はなんだか目を白黒させたあと、花が咲くように、それでいておだやかに笑って、頷いてくれた。

「私も行くつもりだったし、私に挑戦するというあすか君に塩を送る、というのも先輩らしいかしら」

「それじゃあ、明日、駅前に」

「はい。明日、駅前ね」

 内心では大勝利だ! なんてガッツポーズをしたくなる自分を抑え、あくまでレースのため、という顔を崩さないようにする。先輩はおっとりしていて、たぶん、かなり鈍い方だから気づかれたりはしないだろうけれど。

「それじゃあ、最後に学校のコースで十本ほど軽く摸擬レースをして今日は終わりましょうか」

「はい!」

「いい返事ね」

 摸擬レースの結果は、一言で表すと、惨敗。


 そして翌日。素晴らしいことに、本日の天気は快晴。

 約束の時間より十五分早く着いたのに、未来先輩はすでにそこにいた。駅前の時計台の下、どこかそわそわしている感じで、時計を何度も見上げていた。待たせてしまっただろうか。ばつの悪さを感じながら、僕は先輩に声をかける。

「こんにちは。ちょっと待たせちゃったみたいですね」

「えっ、あっ、うん、私も今来たところだけど」

 そうして振り向いた先輩を見て、言葉を失った。

 ゆるくウェーブのかかった栗色の髪に、花の髪飾り。薄い萌黄色の、襟元がフリルになったカーディガンの下に白いブラウスを着て、桜色のレイヤードスカートとぺたんこサンダルを履いていた先輩が、とてもきれいで。

 普段は学校指定のブレザーと、ブルームレース用のエブリデイドリーム前の一般的な魔女のイメージそっくりなパンツルックにブラウス、黒いケープととんがり帽子しか見たことがなかったので、私服姿の先輩の恰好は、僕にとってはとても魅力的だった。

「どうしたの、あすか君?」

「いえ、なんでもないです。今日も素敵ですね、先輩」

「……またまた、お世辞なんて言っても何もないわよ」

 僕の本音を軽く流して背を向けて、先輩はどんどんと妙に早足で歩いていってしまった。残念に思う。だが、今日の目的はレースコースの下見だ。星ヶ峰学園を中心としたルートの地図を広げつつ、僕は先輩を追いかける。

「ほら、ここの路地。地図で見るだけとは違うでしょう? このジグザグの曲がり方が重要になるから、コーナリングの得意なあすか君はここでアドバンテージを稼いでね」

 一つの地図をのぞきこみながら、僕らは歩く。自然と二人の距離が近くなって、僕はいろいろと見透かされてしまわないかどうか気になった。何度か先輩の顔を見てみたけれど、目は合わなかった。僕のことは気にせず、街並を見ていたり、地図との違いを説明してくれている。

 むしろ目をあえて合わせないようにしているようで、まさか僕は先輩の気に障るようなことを……? と不安になる。

「ここは魔法のたい焼き屋さん。なんと魔法の力で、しっぽの先まであんこが入っているのよ。それはさておき、このあたりで仕掛けてくる人もいるかもしれないわね」

「仕掛けるというと、妨害ですか?」

「そう。いろいろと学校ごと選手ごとに特色があるから、今度ゆっくり話をしましょうか」

次に向かった先は、星ヶ峰の一番の名所。頂点からは街一帯を見渡すことができるほど大きな観覧車だ。

「ここの観覧車がチェックポイントになるわ。観覧車の横か、中央か、もしくは下を抜けつつ、フラッグを取る。

どこをどう抜けるかも重要になるわね。中央を抜けるのが一番速度を落とさないで済むだろうけれど、当然妨害されるでしょうね。私はどちらかというと安定コースが好きだから、横に回ってしまうと思うわ」

 僕だったらどうだろうか。妨害の程度にもよるけれど、中央を抜けるのがきっと『最善』になるか。

 そうやって真面目な考えを持つと同時に、先輩と一緒に観覧車に乗れたら、なんて考える不埒な僕もいた。

「そういえばこの観覧車の七番ゴンドラの前でした願い事は成就するって噂があるの、あすか君知ってた?」

「そりゃまあ、僕も二年生ですし、有名な噂話ですから」

「ちょっと混んでるなぁ、これだと七番は難しいかな?」

「来週のレースで勝てますように、って願いでも?」

「あ、いや、そういうのじゃなくて、……なんでもない。ごめんね、変なこと言って」

 大げさに手を振ってこの話はおしまい、と全身で表現する先輩が可愛かった。

 そうしてまた僕らは歩き出す。見慣れていた街並も、先輩と一緒だと意外と発見が多いのが、とても楽しい。

ふと、とあるブティックの前で、先輩が立ち止まった。

「何か、気になるものでもありましたか?」

「いや、なんでもないよ。ここ、行きつけだから、ちょっと見てみようかなって思っただけで」

「一日中レースのことばかり考えているのも疲れちゃうでしょうし、そうやって息抜きをするのもいいんじゃないですか?」

 この僕らの下見が下見以上の何かになればという下心が働いて、そんなことを言ってしまう僕。

「そう? あ、じゃあ、その前にドーナツ食べようか。並ばないと食べられない奴。私いつか食べてみたかったんだ。ほら、二人なら行列もそんなに苦じゃないし。脳機能を含む肉体強化系の魔法って、熱量消費が激しいからおやつは大事だよね?」

「たしかに、僕の得意魔法である『オプティマイズ』は演算系ですから、あまり使うと空腹にはなりますが……」

「でしょう? じゃあ、並びましょうよ」

先輩はとても楽しそうに笑う。

コースの説明をしている時も、脱線している時も。この笑顔が、僕は好きだ。

星ヶ峰に入学して、どんな部活に入るかと決めかねていた時に、先輩が僕をブルームレース部に誘ってくれた。

その時の先輩の言葉はよぉーく覚えている。

「あっ、そこのかわいいあなた、小柄だからブルームレースに有利よ!」

 その言葉は今でも喉の奥の小骨のように刺さっている。

僕と先輩の身長は、おおよそ十五センチ差がある。

僕が小柄なのではなく、先輩の背が高いだけ、という気もする。彼女の身長は百七十三センチもあるのだ。決して、僕が小さいわけではない。

並ぶとまるで姉弟のようだ、なんて揶揄する部員もいるくらいの差。

それに、かわいいは男子に対しては褒め言葉どころか侮辱であると僕は強く強く主張したい。

そんな言葉をかけられても怒る気にもなれなかったのは、そこにまったくの悪意が含まれていなかったからか。

毒気を抜かれたところで、あの花の笑顔だ。

一目惚れするのも、仕方ないと思う。

先輩は自覚していないけれど、ブルームレース部のエースで成績優秀、容姿端麗な彼女は、学校では男女ともに人気が高い。ひそかにファンクラブがあることも僕は知っている。僕も会員だから。

僕もそんな先輩にあこがれて、成績を下げたりしないように努力しているし、ブルームレースについても先輩の目は確かだったらしく、二年生になるころには部で先輩に次ぐところまで来ることができた。

 それを誇らしいと思う。ただ同時に、ここまで来たからには欲が出てしまう。

先輩を超えたい。

 対抗戦は各校から二人ずつの十人で行われる。先輩は去年の対抗戦で優勝し、今年も最有力候補とされている。

 そんな先輩を追い越して、優勝することができたら。

 僕のこの想いを伝えようと思う。

 そう決意して、僕はレースに向けて先輩のそばで、そして先輩に隠れて、努力を続けた。

 僕のホウキと、『オプティマイズ』があれば、先輩に一矢報いることは可能だと。僕は思っている。

 ただ、少しだけ気になっていることはあった。

 昨日の最後にやった十本勝負、僕が最高速度を出すことが結局できなかったにもかかわらず。僕が十敗した中で何度か先輩が危うい飛び方をしていた。集中力を欠いているような。何か、心配事がありそうな飛行だった。

 ブルームレースに集中力は必須だ。特に、僕や先輩の飛行魔法ではなおさら。だから、何らかの理由で精神統一が乱されると、速度や安定性に問題が生じてしまう。

 先輩のベストタイムに届くような選手が他の学校から出てきた場合、僕が優勝するどころか、エブリデイドリーム以後最初にブルームレース部ができた魔法科学校である星ヶ峰学園の沽券にかかわってしまう。

そんな弱気な考えに囚われていて、周りが見えていなかったらしく、ふと僕は急に立ち止まった先輩にぶつかってしまった。

「ひゃあっ」

なんともかわいらしい声を上げて先輩は飛びすさる。そんなにぶつかったことが嫌だったのだろうか。ちょっと傷つく。

「すいません、ちょっと考え事をしてて」

「ごめん、私もちょっとそんな感じ」

「進路とか、その辺の事ですか? 先輩も三年生ですし」

 言ってから少し後悔する。踏み込みすぎた。

「んー、そういう感じじゃないの。ほんと、大したことじゃなくて」

「それなら、いいんですけれど」

 そうして気まずい沈黙が通り過ぎる。何か言おうとして、やっぱり言えなくて。

 そんな時、声をかけてくる人がいた。

「あ、桜井未来! ここで会ったが百年目よ!」

 時代がかった物言いは、とても楽しそうな。

 薄い水色のカッターシャツにダメージジーンズ、そして全体的にじゃらじゃらと音が鳴りそうなアクセサリをつけた人だった。色白の顔に濃い赤の口紅が印象的だ。

 彼女は僕らが並んでいるドーナツ店の袋を両手にぶら下げながら近寄ってくる。

「あら、氷室さん。あなたも下見に来てたの?」

「そうね、私は月ヶ崎学園代表として、下見に来たわ。一人でね」

 なんとなく含みがありそうに言いながら、氷室さんと呼ばれた人は僕の方を横目で見た。

「ふーん、そう、へぇ」

「どうしたの、氷室さん」

「なんでもないわ。デートついでに下見なんて、余裕ねーって思っただけ」

 どきり、と僕の心臓が強く鼓動を打つ。これは下見であって、デートではないと考えようとしているところに、第三者から見てどう見えるか聞かされて。

「デートじゃないわよ?」

 そんな僕の考えもろとも先輩はばっさりと切った。

「ふぅん。じゃあそっちの彼氏は何者かしら? かわいいじゃない。紹介してよ」

「あ、そうね。それじゃあ両方に紹介するわ。こちら氷室涼子さん。月ヶ崎学園の三年生で、私のライバル。

それで、こっちが星ヶ峰学園二年生で私の愛弟子でライバルの、飛鳥井あすか君。ああ、あすか君は氷室さんのことを知ってても不思議じゃないわね。前回の二位なのだから」

 朗らかに笑いながら先輩はそう言った。デートとか彼氏とかそういう言葉についてはそのつもりがまるでなさそうだ。

 少しは動揺してくれても。

「ライバルねぇ……。前回一人でぶっちぎり一位を取ったくせに、よく言うわー、って感じよねー」

 氷室さんはにまにまと笑って、僕の肩にその長くて白くしなやかな腕を回してくる。そして顔を近づけながら目を細めた。

「なんでもないってんなら、私がもらっちゃおうかしら。どう、飛鳥井君。この桜井未来とかいうちょっぴり嫌味な女のライバル同士、アタシと付き合っちゃわない? アタシ、自分で言うのもなんだけど優良物件よ?」

 未来先輩とは違った、涼やかな魅力を持つ氷室さんに言われると、ちょっと頬が熱くなってしまいそうだ。

 でも、僕は先輩一筋だから、やんわりと氷室さんの腕を振りほどく。

「あら、振られちゃった」

「当たり前です。そういうのはもっとお互いをよく知ってからでしょう?」

「これから知ればいいのよ」

「不健全です!」

「不健全って、何を想像したのかしら、優等生さん?」

「もう、いじわるはやめてよ氷室さんったら」

 なんとなく、これがいつもの二人の会話なのかな、なんて思った。先輩が少しむすっとしているように見えるのは僕の希望的観測が過ぎるだろうか。やはりライバル同士として、何かあるのかもしれない。

 僕の知らない未来先輩を知っている氷室さんが、少し妬ましいな、と思ってしまった僕は、どうなんだろう。

「まあいいわ。これ以上お二人のお邪魔をしたら馬に蹴られちゃいそうだし、この辺で勘弁してあげる。ドーナツ冷めるし。今年もよろしくね、桜井」

「うん。よろしくね、氷室さん」

 ひらひらと手を振って、氷室さんは去って行った。

 風のような人という印象。ブルームレーサーに多いタイプの人と言えるだろうか。

 氷室さんがいなくなってみると、再びなんとなく居心地の悪い沈黙が戻ってくる。

「んー、ドーナツ、私はやっぱりいいかな。ごめんあすか君、ちょっと私向こうで風に当たってくるね」

「えっ、あ、先輩、ちょっと」

 待ってください、という間もなく、先輩は歩いていってしまう。行列の真後ろの人が、「どうした坊主、彼女を追わないのか?」みたいな顔をしてきた。

 追いかけてみると、その背中はずいぶん小さく見えた。

 遠かったのではなく、なんとなく、雰囲気が。

 いつの間にか時刻は夕方になっている。

 自分の顔をぺしぺしと両手で叩いて、何か呟く先輩。声がかけづらいな、とは思ったけど、この程度でひるんでいたら告白なんかできやしない。

「ここ、とてもいい風が吹いていますね。レース最後のストレートが、ここになるんでしたっけ」

 そうやって小さな背中に声をかける。

 振り向いた顔は、なんとも表現しづらい表情だった。

 怒っているのか泣いているのか、と思わせてどこか弛緩しているような表情。そんな顔もするんだと僕は驚く。

「そう、そうね。長いストレートだから私は得意だけれど、あすか君にはつらいところかしら」

「ここで有利をとれるようにならないと、先輩には勝てないんですよね」

「そうなるわね。でも、氷室さんもいるし、他にも速い選手はいるから、私だけ見なくてもいいのよ?」

「まぁ、そうなんですけれど。去年の優勝者が自分の学校の先輩で、一緒に練習もしてくれたとなると、どうしてもひいき目が出ちゃうのは仕方ないじゃないですか」

「そういうものかな。ちょっと照れるね」

えへ、と。夕日に照らされた笑顔がとても愛らしくて。

僕は改めて、この人に勝ちたいと思うのだった。


そんなコースの下見を終え、一週間が経過し。

とうとう本番の日がやってくる。

「控室は全員一緒なんですね」

「十人程度だとこんなものになるのかしら。もうちょっと大きな規模になると違うのかもしれないけれど、五校対抗戦ではだいたいこんな感じね」

 僕らは控室の隅っこでミーティングをしていた。今日の天候の確認から、他の選手についての簡単な対策まで。

「五校対抗戦。参加する魔法科学校は、私たちの学校である星ヶ峰学園、氷室さんのいる月ヶ崎学園、それと陽ヶ原学園、夜ヶ海学園、光ヶ丘学園の五校ね」

「そこからそれぞれ二人ずつが代表として出ているんですよね」

 先輩は頷く。そして僕らを含めた十人の選手の顔写真と名前、そして魔法名が書いたパンフレットを指差した。

「まず、月ヶ崎学園の氷室さん。彼女はざっくりいうと自分で生み出した氷の上の滑るの。また、その氷の道を砕いて後続へばらまくから、一度抜かれると少し厄介ね。

それ以上に本人が速いから、彼女は本当に強敵よ」

 控室の反対側でストレッチをしている氷室さんをちら、と見ると、目が合った。あわててそらす。

 彼女はアイススケートのスピードレースで着るような恰好をしていた。身体のラインが直接出る服装をすると、彼女のスレンダーさが際立っている、なんて。

「あすか君、聞いてる?」

「すいません、えっと、次は月ヶ崎の鷹野さんについてですよね」

「鷹野空也君。二年生で、鳥獣化の魔法で飛行特化の『けもの』になって飛ぶという話ね。単純な速度はかなり上位の方になるんじゃないかしら」

「月ヶ崎は魔法アスリートを主に輩出するスポーツ校なんですよね?」

「そうね。でも、ブルームレースについては星ヶ峰が一歩先を行っているわよ。今年も、私たちが勝つの!」

 いつになく強い口調で先輩は言う。気合は十分だ。

「そして陽ヶ原学園。「サラブレッド・サラマンダー』の満田権蔵君と、『斬斬舞』の霧崎刀乃ちゃん。刀乃ちゃんは私の中学の時のクラスメートで、カマイタチを生み出す魔法が得意だったわ。今もきっとその技術を磨いてるでしょうね」

「となると、やってくるのは爆炎と真空波ですかね。直撃したら、と思うと結構怖いですね。まあ、防護魔法がかかっているから大丈夫だとは思いますが」

 スタッフが百人単位で街中と選手に事故や器物損壊防止のための防護魔法をかけているので、僕らは安心してレースに集中することができる。それがもしもなくて、その上転落でもしたら。と思うと寒気がしてくる。これは僕が臆病という話ではないだろう。

「それで夜ヶ海学園だけど、ここは今年は外国人留学生を出してきたみたいね。王天蘭さんと、王地蘭さん。双子の姉妹ですって」

「どんな魔法を使うんです?」

「これが、調べてもわからなかったのよ。使う魔法名は『陰陽』とだけ書いてあってね」

「陰陽、ですか。陰陽太極図とかの」

 夜ヶ海の留学生。どんな人で、どんな魔法を使うのだろうか。この控室にいるのだろうか、と周囲を見回そうとしたところで。

「お待たせ! みんなのアイドル有栖川露莉ちゃんだよ! きゃはっ」 

 その人は現れた。

「こんにちは、有栖川さん」

 ふつうに先輩は応対する。けれど僕はその一発目に耐えるのが難しかったようだ。

目に痛々しいピンク色のフリフリした衣装。なんだろう、小さなころに妹が見ていたアニメの主人公のような。

それでいてそれらとは一線を画した何か。

「あれぇ、未来ちゃん、その固まってる子はだぁれ? もしかして彼氏? ……舐めとんか?」

 甲高い声から、底冷えする声。その落差。

「だから、彼氏じゃないんだってば。彼は、私の後輩で」

「彼氏じゃないのぉ? じゃあいっかぁ。露莉ちょっと勘違いしちゃったぁ。去年私のファン持っていきくさった上に彼氏連れでこの場にいるのなら――」

 びっ、と親指で首を切るジェスチャーをして。

「確実にブチ殺してたところだよぉっ!」

 ああ、この人はできるだけ関わらない方がいい人だ。と、これだけのやりとりで理解できた。

 自分で名乗っていたし、先輩に有栖川さんと呼ばれていたことから、彼女が機械技術重視の魔法学校という少し特殊な立ち位置にある光ヶ丘学園の代表、有栖川露莉さんなのだろうと納得する。

 レースでアレと競わないといけないのか?

僕の背筋に冷たいものがよぎった。

「ホント、すいませんッス。うちの先輩がなんか迷惑かけて回って。許してください、あの人も悪い人では、少しありますが、終わってる人ではないんです。終わりかけてるだけなんです」

「「音無クンっ、露莉ぃ、喉かわいちゃったぁ。ちょっとジュース買ってきて欲しいなぁ、一分以内に。えとえと、それとぉ、あんまり余計なことほざいとっと潰すぞ?」

「あの、ここから自販機まで三十秒じゃいけないッス」

「カウントはーじめっ。いーち、にーぃ」

「あ、自分音無声夢って言います! 自分も光ヶ丘の代表ッス! 星ヶ峰のブルームスターとお会いできて光栄でしたッスー!」

 そう言って音無、と名乗った彼は去っていった。

「先輩、ひょっとして……」

「まあ、光ヶ丘は少し変わった校風だからね?」

 ともあれ、これで十人。五校対抗戦の代表の名前は把握できたわけである。

 レース本番まではあと少し。

僕は呼吸を整えて待つことにした。


そして僕らはスタートラインに並ぶ。

「先輩、がんばりましょうね」

「うん。勝とう」

 そう言った先輩は、どうしてだろう。なにかやっぱり気もそぞろ、という感じだった。

 先輩の魔法は、僕以上に複雑な演算を要する魔法だというのに。

 ちら、ちら、とこちらを見てくる。

 ライバルとして意識してくれているのだろうか。

 そうだとしたら、うれしい。

 僕はここに、勝ちに来ているのだから。

 だけど、僕はもっとも強い先輩と戦いたい。

 だから、僕のことなど気にしないで欲しい。

 二つの相反する感情を抱えて、僕はここに立つ。

 周囲の選手を横目で見る。先ほども見た有栖川さんが容赦なく視界に入り込んできて恐怖を感じるが、それはさておき。他の選手も、それぞれ自前のホウキ、あるいは飛行手段を用意しているようだ。

 陽ヶ丘の満田さんはサラマンダーのジェット噴射で空を飛ぶ。その準備運動なのか、白い胴着を着てサラマンダーと組手をしていた。

 音無君はバイクのレーサースーツのようなものを着ているし、ホウキもバイクと一般的な箒が合体したような形状のものを使うつもりらしい。それとは別に大型のアンプとギターを持っているのが気になるが。

 気になっていた王姉妹も位置についている。

「……何か?」

「……用ですか?」

 目が合った、と思うと同時に声を掛けられた。

「いえ、なんでもないです。すいません」

「そう、ですか」

「そう、ならいいです」

なんとなく表情の読めない二人だった。漢服を身に纏って、車輪を両手に一つずつ持っているのはきっと飛行手段に関わっているのだろう。

多種多様な飛び方が許されているのもこのレースの特徴だったりする。ブルーム、という名前だというのに。

古式ゆかしく木のホウキで飛ぶのは、僕と先輩だけ。

 また、服装も自由。魔法を使うに当たって、服装によるマインドセットは重要だからだ。制服を着ると身が引き締まる、というのと同じ意味合いである。

このブルームレースのルールは非常に明快だ。

魔法で飛行し、チェックポイントを通り、ゴールする。

 そのためなら妨害だろうがなんだろうがありなのだ。

「では、各選手は位置につきましたっ!」

 実況担当の放送部長、谷地さんの声がする。彼女の魔法はマイクを強化して、街中どこにいても同程度の音量で聞こえるという離れ業を実現している。彼女の進路はきっと安泰だろう。

「今年の選手も粒ぞろいです。各選手しっかりと個性があり、レースが楽しみでございますよ!」

 それでも、僕が勝つ。

 強い想いを胸に、僕はホウキに跨った。

「位置について、用意……」

 パァン! と昼間でもよく見える魔法の花火を合図に、僕らは次々と空へと舞いあがり――。

「きゃはっ、露莉のライブコンサートへようこそぉ!」

 ――彼らの一撃を食らうことになった。

「俺ら光ヶ丘学園のライブを聴きなァ!」

 耳をつんざく爆音波。世界が爆発したかのような音量だった。そのギターリフは会場を揺るがすかのような音で響き渡る。そして実際にスタート地点には爆発が発生する。有栖川さんの錬成魔法による、爆弾だった。

「開始直後から大波乱! 光ヶ丘学園、『エアギター』音無声夢選手と『マジカル☆ミサイル』有栖川露莉選手の無差別攻撃が周囲に襲い掛かる!」

 すさまじい轟音の中、実況の谷地さんの声だけはまともに聞こえるのが不思議でならない。

 だが、ここで出遅れるわけにはいかない。

 僕は『オプティマイズ(最適化)』を始める。

「おっとスタートダッシュ、最速で飛び出したのは星ヶ峰学園の飛鳥井君! スタート時の混戦混乱など存在しないようにすり抜けていきましたっ!」

 風を切り、風に乗り、風を知る。

 僕の『オプティマイズ』は、考えうるすべての軌跡を演算し、その中で取りうる最善最速のルートを判断する魔法だ。そこに、ちょっと悔しいが僕の小柄な体格を活かすことによって、選択の幅が広がる。混戦になればなるほど僕の能力は輝くのだ。

 ブルームレースにおいて、選手とホウキの質量は重要になる。確かに最新の航空力学と魔法学を組み合わせれば、ホウキ自体の性能は上がるし、騎手の負担も減る。

 だけども、それらはデッドウェイトになりうるものだ。

 僕らの選んでいる飛行方法は、その軽さによって加速力と最高速度を得、空気抵抗などは自前の魔法で防ぐ。

そういったスタイルだった。

だが、僕には大きな弱点がある。

火球が僕の右頬をかすめて飛んで、着弾。火炎によって視界が遮られる。選手達と街は主催側が責任もってかけた防護魔法で守られているが、それでも熱を感じるほどの爆炎。こういった単純で高火力の魔法に僕は弱い。僕の臆病さも相まって、僕の『オプティマイズ』が『危険な最善よりも安全な次善』を選択してしまうのだ。

『エアギター』は音で集中が遮られるし、『マジカル☆ミサイル』は最初からまっとうに速度だけを競うことを放棄しているようだが、先輩の心配は無用だろう。

 彼女の魔法なら。

「火球を放ったサラマンダー使いの満田選手、そのまま飛鳥井選手に接近! そのすぐ上を『アイスロード(氷の君主)』氷室涼子が空中に氷の道を作りながら疾走! 今年もまた氷の女王は堅実な滑り出し!」

氷室さんの『アイスロード』は攻走一体だ。氷の道が砕け散ることで後続へ雹となって襲い掛かる。もちろんケガをするほどではないが、正面から当たればバランスは崩れる。音と爆発の次は、爆炎と雹か。

 ずいぶんと、今年は妨害が重視されているらしい。

 最初のジグザグカーブに差し掛かったところで、再び仕掛けてくる人がいた。

「有栖川選手、エブリデイドリーム後は一般に比較的流通しやすくなった赤きティンクトゥラ、賢者の石を惜しげもなく使っての連続錬成! ミサイルからミサイルを乗り継いでいく!」

「星ヶ峰の後輩君っ、お土産持ってきたよ!」

 嫌な気配がして、それに合わせて『オプティマイズ』がルートを選択してくれる。僕が回避した、後ろから飛来してきたそれは。

「音無君?」

 唖然とした。ミサイルにくくりつけられたその人は、スタート地点からずっと爆音を立てつづけていた音無声夢君だったからだ。そのまま爆音とともに着弾。爆散。

「音無選手、味方の手にかかってリタイア! 有栖川選手えげつない! 今年もまたファンをやめる人が続出しそうです!」

「チッ、演算系と聞いとったけぇ音無の爆音を耳ぃ叩っ込めば沈むかと思うたが、その程度じゃー墜ちんようじゃのぅ」

 並走してくる有栖川さん。

 片手でミサイルにぶら下がりながら、もう片方の手の爪をかじり続けている。

「まぁいいやぁ。このレース中、よろしくね、星ヶ峰の、えっとぉ、なんだっけぇ。ナスカ君?」

 あすかですが、一生間違えていてください。

 そう強く願った。

「エレガントさに欠けるよね、有栖川ちゃんって」

 その上空を滑りぬけていこうとする氷室さん。その後方へは、氷が降り注いでいる。

「……同感」

 首位集団の中にいつのまにか紛れ込んでいた王天蘭さんが頷いている。

 妨害もなんでもあり、と言っても、ここまでやるか。というのが僕の素直な感想なのだが、どうだろう。妨害一切を必要としないとする僕と先輩のスタイルが特殊なのだろうか。

 それと、少し気になったのは。

(誰か、光を操る魔法を使っているな)

 僕の感覚すべてを使って「オプティマイズ」で描くルートと、僕の視界にあったジグザグの構成が少しずれていた。何らかの視覚的妨害を使っている選手がいる、ということだ。このレースで魔法が割れてない選手は王姉妹だけ、ということはどちらかだろうか。この程度のブレなら、演算に支障は出ない。

 そのまま第二チェックポイントの観覧車へ差し掛かる。

横か、中央か、下か。もちろん僕が選ぶのは。

「飛鳥井選手、大胆に中央突破を図る! しかしそこへ容赦なく爆炎と爆発物が襲い掛かる!」

 それくらい、読めている!

 妨害にリソースを割いたせいで速度が落ちたらしい満田さんと有栖川さんを引き離すことに成功したが、今もまた違和感が走った。

見えているものと、感じるものが違う。

特に、観覧車の周辺は大きくズレが生じていた。

何かが仕掛けてある、と思う。けれど心配する程度じゃない。落ち着いて空間演算ができるならば、その差異を調整して飛ぶことは可能だ。

「首位集団を追うのは今年こそ鳥人間コンテストとブルームレースでの二冠を目指す『空中殺法』の鷹野選手、『斬斬舞』の霧崎選手、ミステリアスなオーラを放つ王姉妹の妹、地蘭選手、そして、我らが桜井未来選手! どうしたことだ、我らの彗星! 今年は不調か!」

ウソだろう? 先輩の魔法は。

「桜井選手の魔法は、自分に関わる全てのベクトルを感知、それらを操作し受け流し駆け抜けるもの! 妨害一切を受け付けないはずですが、今日はすべての妨害を受け流しそこねている様子です! これでは自慢の木のホウキのスピードというアドバンテージも活かせない! ブルームスターは墜ちてしまうのか!」

 ばかなことを言うな! と実況に抗議したくなるが、レースに、演算に集中しなければならない。僕と先輩の魔法は、精神状態に左右されやすい。調子が出ている時と不調な時で演算能力に大きな差が出るのだ。

では、もしも先輩がなんらかの理由で集中力を欠いているとしたら?

僕はレース前の先輩の様子を思い出す。

実況の谷地さんの言っていることを考える。

 ぞくり、と。

 嫌な予感がした。

だから僕は。

「第二チェックポイントを次々と選手達が迂回していきます! さすがに飛鳥井選手のように正面突破をかけるには妨害が厳しいか! っと、おぉ? 我らがブルームスター、ここまでの遅れを取り戻さんというばかりに正面突破を図る!」

 先輩は、観覧車の中央へと突っ込んでいこうとして。

 観覧車のゴンドラに叩きつけられた。

「これはいったい何が起きたのか! 目測を誤ったのか、ブルームスター、大きくバランスを崩し、地面へとまっさかさまに……!」

「先輩!」

「ああっと、飛鳥井選手逆走! そして――」

 ――僕は、落下する未来先輩を抱きとめた。

 驚きに目を見開く先輩。

「逆走だなんて、そんなことしたら」

「大丈夫です。こうすることが、僕の最善なんです」

 不安にさせないように、力強く笑う。

 目と目が、しっかりと合う。

 それだけで、何か通じ合えた気がする。

 ふとゴンドラの番号を見てみると、七と書いてあった。

「願い事、しますか?」

 先輩の顔がだんだんと赤くなっていく。

 恰好はついただろうか。

 僕だって、実を言えば集中しきれてはいなかった。

 大好きな先輩がずっと不安定な走りをしているなんて。

 先輩は僕の師匠で、ライバルで、憧れの人なのだから。

『オプティマイズ』の使用で冷えた身体に、先輩の体温を感じる。

温かい。

この熱を、僕は力に変える。

 僕は、大切な人を守れる強さが欲しかった。

 僕の中で、パズルのピースが埋まる感覚がした。

 風を知り、風に乗り、風と走る。

 それ以上のことが、今ならできる気がした。

 いいや、できる!

 身体の中の熱が消費されていく。

 けれど、想いの熱はそれ以上にあふれてくる。

 最適な未来を読むのではなく、最善の未来を掴む。

「さぁ、ここから勝ちますよ、先輩!」

「……うん! あすか君、あとで、お話があります!」

 先輩も、何か吹っ切れたような表情をしていた。

 そうして先輩の聞きなれた呪文を僕は聞く。

加速(アクセル)! 加速(アクセル)! 重ねて加速(アクセル)!」

『ブルームスター』というのは、ブルームレース五校対抗戦の優勝者に贈られる称号。では、先輩の魔法名は。

「『トリプルアクセル』桜井未来! 行きます!」

 すべてのベクトルを加速に掛ける。さっきまでのはなんだったのか、という速度で未来先輩は『発射』される。

 第三チェックポイントは科学技術の粋を集めた、引力斥力場地帯だ。その力の流れを、先輩は意に介さない。他の選手はその対処に苦労していたようだが、彼女にそんなものは本来通用しないのだ。

 そうだ、僕はこの彼女に勝ちたかったんだ!

 僕もまた、可能な限りすべての熱量を演算速度に転化させる。

ここから最善最適で全てを抜き去るルート。

それを見つけ出す。

『空中殺法』鷹野さん。『斬斬舞』の霧崎さん。今回はうまく自分の力を見せられなくて残念でしたね。

『陰陽』の片方、王地蘭さん。会場すべての魔法のちからの流れを読み取る過程で、光を操っていたのが王姉妹だとわかった。

どちらか、ではなく彼女たち二人がかりだったのだ。虚像と実像を少しずつずらして、最後の大仕掛けで誰かが引っかかるように待っていたのだろう。観覧車の形から、まるで蜘蛛の巣のようだと思った。

そして先輩はそこに引っかかってしまった。

見事なものだと感服する。だが。

「僕とは、相性が悪かったと思います」

先輩が好きだと言ったブティック。先輩が食べたがったドーナツ屋。満田さんの爆炎。氷室さんの雹。有栖川さんの爆発。そして王姉妹の虚実入り混じった幻影。

この会場の全てを知り、全てを読み、全てを掛ける。

わずか先に『サラブレッド・サラマンダー』満田さん。

「先輩、そこです!」

「わかった!」

僕が最善のコースを指示する。先輩が火炎の壁を受け流して駆け抜ける。そして僕もまた最適化された飛行で満田さんを追い抜いた。

「いちゃついてやがると爆破しちゃうよっ!」

次は『マジカル☆ミサイル』有栖川さん。こちらに錬成した爆発物を投擲してくる。爆炎が視界を覆い、爆発の音が耳を叩いてくるが、

「先輩、そこを正面から!」

「突破するわ!」

「レース中に協力しよるたぁきたねぇぞ星ヶ峰!」

 有栖川さんが吠える。僕らは前へ進む。

『陰陽』のもう片方、王天蘭さん。種の割れた手品ではもう騙されない。僕らは車輪で飛ぶ彼女に肉薄した。

 その先のカーブで、一枚の大きな看板が見える。

 天蘭さんはその看板にまっすぐぶつかるような動きをしつつ、わずかに右にそれる。僕には感知できている。風が教えてくれる。看板の正しい位置を。

「もうその手は」

「食わないわ!」

 看板の右半分にぶち当たるように見えたが、そこには何もなかった。最小限の回避で駆け抜ける。

そして『アイスロード』氷室さん。

氷の礫が飛来する。今となってはそれらは問題でない。彼女の本当の強みは単純に、速いこと。

 直線では抜きづらいが、コーナーリングでほんのわずかに減速した隙を、僕らは見逃さない。 

 僕は彼女の右に出る。

 見つけ出す。

『氷の君主』に勝利するための道を、飛び方を。

「あら、お熱い二人には負けないわよ?」

「いいえ、勝つのは僕です」

 彼女は縦横無尽に滑り、その道で障害を作る。

 それらを含めて、僕の最適は彼女に追いすがった。

「いいわねぇ、そういうノリって。私、嫌いじゃないわ」

「僕も好きですよ」

「ま、その辺が今回の違いってとこなのかしらね」

 涼やかに笑う氷の君主。

未来先輩と一緒に、彼女を抜き去った。

そうしてラストストレート。

ここで僕は呼吸を止める。身体中の熱で演算する。

風を切り、風に乗り、風と走る。

ここの風は、心地いい。

もう速度で怖気づいたりはしない。

 僕は今一つの流れ星。

 ただ一つの、目の前の未来を掴み取るための。

 ゴールが目の前に迫る。

 酸欠と低体温で、意識が飛びそうになる。

 食らいつく。必ず追い越す。

 そして、ゴールに僕らはたどり着いた。

 それと同時に、僕は意識を手放す。全力を出し尽くすと、こうなるんだな、なんてちょっと冷静に考えながら。


「あすか君、あすか君!」

 先輩の涙声が聞こえてくる。目を開くと、先輩の顔がすぐ近くにあった。どうやら、ひざまくらをしてもらっていたらしい。

「順位、どうなりました?」

「ばか、最初に聞くのがそれって、どれだけブルームレースが好きなの?」

「大事なことですから」

「さて、早速出ました写真判定の結果! 十位から――」

 実況の谷地さんの声が聞こえる。こうなると、逆に落ち着いてくるぐらいだった。

「三位、月ヶ崎学園、氷室涼子さん。二位、星ヶ峰学園、桜井未来さん。そして、今年の優勝者は」

 息を吸って、息を吐く。

「星ヶ峰学園、飛鳥井あすか君! まさかの逆走からの大逆転! 誰もが予想していなかった勝利です」

 その言葉を聞いて、拳を天に突き上げる。

 誰もが予想していなかった? そんなことはない。

 僕には、未来が見えていた。

 勝った。先輩に、勝ったのだ。

 僕は、勝ち取った。だから、言える。

「先輩、ずっと言いたかったことがあるんです」

「私もようやく、言いたいことが何かわかったよ」

「僕が勝ったから、僕が先に言いますよ」

「うん」

「僕は、未来先輩のことが好きです。僕と付き合ってくれませんか?」

「うん、いいよ。私も、あなたのことが好き。大好き」

「ああ、この言葉を聞くのに、ずいぶんと遠回りをしたような気がします」

 覗き込んでくる先輩の肩越しに青空が見える。

 この空を駆けることができる、ブルームレース。

 エブリデイドリーム(毎日が夢のよう)な世界。

 僕はこの世界が、大好きだ――。

「えい」

キスされた。

「な、あ、え?」

 あまりのことに混乱する僕を前に、先輩はこれ以上ないってほどに、耳まで赤くしている。

「私、負けず嫌いだから。ちなみにファーストキス」

 一気に力が抜ける。

 まったくもって。 

この先輩には敵わない。


                    おしまい


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