夕暮れの恐竜
ひと足ごとに地面を揺らして、でも人も校舎も車も道路も、何一つ踏み潰さず傷つけずに、それは通り過ぎていく。
夕暮れの赤がその大きな体を染め上げていた。不思議と怖い感じはなかった。
あたしはもう言葉もなくて、ただ隣の親友の袖を引っ張るのが精一杯だ。
「いーくー!!」
数秒引っ張り続けてから、やっと声が出た。感動をボリュームに変えて名前を叫ぶと、はいはいとどこか呆れた感じの応答が返る。
「見てる? ねぇ見えてる? ねぇねぇねぇねぇ!」
「うんうん、見てるよ、見えてるよ」
「でっかいなー!」
「うん、おっきいねぇ」
あたしは感動のあまりくるりと横に一回転。
「恐竜だぞ、恐竜。生きて動いて歩いてる!」
それは四つ足で首の長い、小山ほどのサイズのヤツだった。名前はよく覚えてないけど、確かに図鑑で見た事がある。
昔、まさにその図鑑で恐竜の存在を知った時、あたしは大層憤慨したのだ。こんなに素敵にでっかい生き物がもうどこにもいないなんて、この世界は間違ってる。
でもまさかまさか、文化祭の後片付けの屋上でその素敵にでっかいのを生で目撃するなんて、それこそ夢にも思わなかった。
「屋上よりも頭が高いから、20mくらいはあるのかな?」
あたしが感動に浸る横で、郁はそんな計算を冷静にしている。なんて驚きの共有し甲斐のない子だろう。
そして共有できないと言えば。
「……誰も気づいてないみたいだな」
「気がついてないみたいだねぇ」
「不思議だなー」
「うん、不思議だねぇ」
祭りの後の夕暮れとはいえ、それが踏みしめていくグラウンドには、まだまだいっぱい生徒が残ってる。だけども誰一人も、何一つも、騒いだり騒がれたりしていない。
つまりあたしたち以外の誰もあれに気づいてない。誰もあれが見えてないのだ。あんなにでっかいのに。
不思議といえばそれもまた摩訶不思議な話だけど、それはそれでまたワクワクものなのだけれど、すごく勿体ない事だって思った。
だって直接あれを見てなかったなら、誰にしたってこんな話、嘘呼ばわりされるに違いない。あたしだったら絶対ホラ話扱いをする。
もし仮に信じてもらえたって、今のこの気持ちを完全には伝える事なんてできないだろう。
だから今この瞬間を共有できないのは、とても悔しくてもどかしくて勿体ないっていう心持ちになるのだ。
でもまあいっか。
あたしは隣の郁を見て気を取り直す。
きっとコイツとは一生友達やってるだろうし。それなら一生の語り草にできるだろうし。
郁があたしの視線に気づいて、きょとんと首を傾げる。なんでもないないと手を振った。
あたしたちがそうするうちにも、恐竜はずしずし前進していく。
行く手を遮る校舎を幻みたいにすり抜けて、ずんずんと進んでいく。
あれが踏みしめているのは今の地面なんかじゃなくて、きっとずっと大昔の地球なんだ。そんな事をふと思う。
それはやがて遠く遠く過ぎ去って、夕暮れに溶けて消えていく。
あたしたちは二人並んで、その大きな大きな背中が見えなくなるまで、ただ黙って見送った。
その日の夕暮れ。あたしたちは、屋上から恐竜を見た。
それはどこか時間に似ていた。