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雪の日に

作者: 春紫苑


 今年初めての雪だった。年の瀬も押し詰まった十二月に。しかも、クリスマスイヴに。

 (かじか)む手をこすり合わせる。が、冷え切った手は(なお)も冷たいままだ。なんでこんなにも冬は寒いのだろうと思う。もっと暖かければいいのに、とも。

 でも、一年中真夏みたいに暑いのも困る。私は寒さ以上に暑さが嫌いなのだ。あの汗ばむ陽気が一年中続くなんて、考えたくもない。

 と考えれば、一年の一時期だけ暑さに耐えきればいいのだから、今のままの方がいいという結論に辿りつく。まあ、いくら考えたところで、わたしがどうこうできるような問題ではないのだから。

 吐く息が白い。

 体の端から端までが、冷たい空気に触れられて赤くなっている。なるべく肌が茎に触れないような服を選んできたはずなのに、どうして。

 雪が目を疑うほどに白い。ぱらぱらと振り続けている雪が、私の数少ない露出している肌に、ピンポイントに当たる。

 一方の空は、灰色に濁っていた。今の私の心は、むしろ、この空の色と同じような気がした。


「どうせ一緒に過ごす人なんていないんでしょ? だったら、お使い行ってきてくれない?」

 母は買い物のメモを持って、炬燵(こたつ)でのんびりとみかんを頬張っていた私に、半ば決めつけのようにそう言った。

 ……実際そうなのだけれど。はっきり言われるとなんだか……。私にもプライドとか、そういうものがあるわけで……。

「決めつけないでよ!」

「えっ、相手いるの?」

 あからさまに驚いた声だ。相手がいるわけがないと思われているのか、私は。

「……いないけど」

「なんだ、やっぱり」

「やっぱり、って何だ! やっぱり、って!」

 やっぱりそう思われているのか。ため息が出た。

 まあ、やっぱり、って言いたくなるような気持ちはわかるけど。でも、本人の目の前で言うべき言葉じゃないと思う。

 私は母からメモを受け取って、何重にも重ね着をして、支度をした。

「じゃ、よろしくね。(あまね)

 母はこの、寒さの権化と化した町に出る娘を、快活な笑顔とともに送り出した


 そうして今に至る。スーパーはクリスマスセールなるものをやっていたが、いくらかの商品が安くなっているだけで、ほとんどいつもと変わっていなかった。

 家が駅の近くにあるため、必然的に駅の方へ買い物に行くことにしたのだが、なんとまあ、恋人たちの多いことか。駅前に広場があり、そこには何とも飾りつけしやすそうな木々が並んでいる。

 そして、それらは当然ながら、キラキラと光る赤や青や白の電球を、ぐるぐると巻きつけられていた。

 しんしんと降る雪と、ピカピカと光る電球が合わさって、何とも綺麗な光景を作り出していた。

 それを、腕を組みながら見ている男女の組がちらほらと。ここらはデートスポットになっているらしかった。きっと、もっと暗くなればここには大勢の人が集まることだろう。

 私はその近くの、ケーキ屋に向かった。途中、喫茶店の脇を通り、ホットコーヒーを飲みたいという欲求に駆られたが、私の懐は今日の気温以上に寒かったので、自動販売機の「あったか~い」缶コーヒーで我慢しよう。

 財布から小銭を取り出し、自動販売機に投入する。ボタンが点灯し、私はそれを押そうとした。

 が、不意に、私の左半身に何かが当たった。バランスを崩した私は、左手に持っていた財布を手から離し、右手の人差し指は欲しかった「あったか~い」缶コーヒーのボタンではなく、奇跡的に、「つめたい」缶コーヒーのボタンを押した。

 ガコンと音を立てて、缶コーヒーは購入された。

 私は自動販売機にもたれるような格好で、何とかバランスを保った。

 財布から小銭が飛び出して、雪の上に広がっていた。

 私は仕方なく冷たい缶コーヒーを取り出した。何故、こんな寒い中で冷たいコーヒーを飲まなければならないのだ。何故冬なのに冷たいのが売っているのだ、といろいろと思うところはあるのだが、最も謎なのは、

 何故、この少女は私にぶつかったのだ、ということだった。


 左を見ると、ひとりの少女がしりもちをついていた。

 小学校二、三年生くらいだろうか。青い長靴をはいて、青っぽいコートを着ていた。

「大丈夫?」

 私は少女に手を差し出した。少女は温かく、やわらかい手でわたしの手を握り返した。

「あっ、ありがと! ……ごめんなさい……」

 少女は可愛らしい声で感謝と謝罪をした。

「いいよ、大丈夫だから」

 少女の可愛らしさで、ぶつかったことが何だか微笑ましいことのように思えた。

 少女は何故かもじもじとしていた。一体どうしたのだろう。そう思っていると、意を決したように、

「お姉さん! ……ねこ、見ませんでしたか?」

「猫?」

「うん。ねこ」

「どんな?」

「えっとね、まっ白なねこで、名前は『シロ』っていうの」

 何というストレートな名前だ。白いから、「シロ」だろう。何というか、純粋だな、と思った。

「さあ、見たことないな。力になれなくて、ごめんね」

「そうですか……」

 心配そうな顔を浮かべている。私はその猫が気になった。

「その猫、いなくなっちゃったの?」

「うん……。今さっき」

「そっか……」

 私は両手を腰に当てて、

「よし! お姉さんも探してあげよう!」

「ほんと!」

 少女の目がキラキラと煌めいた。イルミネーションなんかより、ずっと綺麗な光だった。

 ――そこまで言って、私はある重大な任務があることを思い出した。

「あっ、でも、お姉さんちょっと用事があるから、ちょっと、待っててくれる?」

「うん」

 少女はすぐに頷いた。

「それじゃ、すぐ戻ってくるからね」

 そう言って、私はケーキ屋の方に走ろうとした――けれど、一つ訊きたいことができて、立ち止まった。

「ねえ、君のお名前は?」

「『はるか』っていうの」

「はるかちゃんか、わかった」

 私ははるかちゃんの方を見ながら、ケーキ屋へと走り出した。


 ケーキ屋から大きなホールのケーキを受け取り、私はまたはるかちゃんのところへ向かった。

 それにしても、大きなケーキだ。うちは四人家族だぞ。サイズを間違えたのではなかろうか。まあ、いいや。食べる量が増えるだけだ。

 はるかちゃんはまだ自動販売機のところにいた。

「あ、お姉さん!」

 私に気がつくと、はるかちゃんはこちらを見て、大きく手を振った。私も小さく手を振って応える。

「それじゃ、探そうか」

 歩き出して、気がついた。そういえばこの子はどこで猫を見失ったのだろう。

「そういえば、どこで猫はいなくなったの?」

「えーっとね、広場のところ」

「広場って、駅前の?」

「うん」

 とりあえず、いなくなった場所から探し始めよう。

 しかし、駅前の広場か。はるかちゃんは結構歩いてきたのだな。そんなに猫が心配なのか。何というか、可愛らしい。

 私は駅の方に歩き出した。後ろをはるかちゃんがちょこちょことついてくる。

 しばらくして、広場に着いた。

「ここでいなくなったんだよね」

「そうだよ」

 きょろきょろと、はるかちゃんは周りを見ていた。

「シロって、どんな猫なの?」

「シロはねー、まっ白で、可愛いの」

「他には?」

「えっと、あ、甘いものが大好きなの」

「甘いもの?」

「うん。クッキーとか」

 猫にそんなものを食べさせて大丈夫なのだろうか。いや、きっと猫用のクッキーなるものがあるのだ。きっとそうだ。

 単に私が知らないだけなのだ。うん。

 そもそも私はペットを飼ったことがない。親が「飼うのはいろいろと大変だから……」と言って、飼わせてくれなかったのだ。もっとも、私は飼いたいわけではなかったのだけれど。弟が飼いたいと駄々をこねて父と母に諭されていたことは覚えているのだが。

「甘いものか……」

 ちらと、手元にあるケーキ屋の箱を見る。……。ここにいいものがあるではないか。

 少し大きすぎるくらいなのだから、少しくらいはいいだろう。……うん。


 チョコレートケーキの端っこを千切って、広場にあるベンチの下に仕掛けた。

 途中、「何してるの」とはるかちゃんに訊かれたが、「シロを探してる」と曖昧にぼやかしておいた。

 これで、シロが引っ掛かってくれれば、オーケーだ。その間に広場の周りも探しておこうか。私ははるかちゃんを連れて、駅前のほうに行った。

 動物の習性などは全く知らない。だから、当てずっぽうで探すしかないのだ。

 駅前の大通りに着いた。さすがにクリスマスイヴ、人も車も多い。飲食店がにぎわっている。

 はるかちゃんの方を見遣ると、彼女はビルの陰に隠れていた。……何かにおびえるように。

 車が怖いのかな?

 そんなことを思った。はるかちゃんの手を取って、信号が青になるのを待つ。

 そこで、電柱に立てかけてある看板が目に入った。


   平成××年 十二月 二四日 午後四時頃 ひき逃げ事件が発生しました。

   犯人の車は 黒のワンボックスカーです。

   小学三年生の子どもがひかれました。

   被害者は 伊奈 悠 さん

   この事件を目撃された方は 〇〇まで連絡をください


 そんな看板だった。警察が設置したものではないらしい。おそらく、この被害者――読みは「イナ ユウ」だろうか――の家族が設置したものだろうか。

 しかし、ひき逃げとは……。よりによってクリスマスイヴに。

 この日付は、去年のものか。一年たってもまだ犯人が見つかっていないのか。


 信号が青になった。はるかちゃんは私の手を強く握り、横断歩道を渡った。

 男女の組が通りを前に後ろに歩いていく。そんなものには目もくれず、私は一心に猫――シロを探した。

 が、シロは見つからなかった。猫は大通りを嫌うのだろうか。動物の考えることはよくわからない。

 もと来た道を辿り、また広場に戻った。

 日はかなり傾き始めていて、人も広場に集まり始めた。

さて、罠はどうだったのだろう。……罠と言えるかは怪しい粗末なものだが。

 探すといった以上、何も収穫がないのは、何というか、大人げないというか、私のプライドの問題かもしれない。

 願いを込めて、ベンチの下を覗く。

 真っ白な、尻尾が見えた。続いて、三角形の何か。耳か。

 私は一所懸命にチョコレートケーキを食べているその白いふわふわしたものをベンチの下から引きずり出した。

「ニャー」

 どこかで猫が鳴いた。というか、そのふわふわしたものが猫だった。

「もしかして、この子?」

 私は、はるかちゃんにその猫を見せた。

「うん! この子がシロだよ!」

 嬉しさのあまり手をいっぱいに振り回したはるかちゃんは、勢い余って転んでしまった。

「あはは、大丈夫?」

 私は手を差し出す。頷いてはるかちゃんは私の手を取ろうとしたが、手がすべって握れなかった。結局、はるかちゃんは自分の力で立ち上がった。

 私はシロをはるかちゃんに渡した。少し、シロに傷があるのが気になったが、きっと、シロが冒険をしている間に負ったのだろう。まあ、ひどい傷ではない、と思うから心配はないだろう。

 彼女はシロに顔をうずめて、

「ありがと!」

 と私の顔を見て、笑った。

 その笑顔は私の心に、綺麗に映った。


 定時になって、イルミネーションが点けられる。

 赤、青、白の光が、また昼間とは違った雰囲気を見せる。

「もう、こんな時間か……」

 私は腕時計を見た。もう時計の針は五時を指していた。

 隣にいるはるかちゃんの横顔を見る。イルミネーションのライトに照らされて、彼女の丸い瞳は輝いていた。

「はるかちゃん、そろそろお家に帰らなきゃじゃない?」

「そうだった!」

「お家まで、帰れる? 何なら家までついていこうか?」

「ううん、一人で帰れる」

「そう?」

 私は心配だった。本当に大丈夫だろうか。

 不意に、携帯電話が鳴った。母からだった。

「もしもし」

(あまね)、どこで道草食っているの? 早く帰ってらっしゃい。さもないと夕飯無しにするわよ」

 夕飯を無しにするとか、一体どんな脅し文句だ。

「わかった、すぐ帰るから」

 そう言ってそそくさと切ってしまった。

「それじゃ、はるかちゃん。さようなら」

 私は手を振ってはるかちゃんと別れようとした。

 はるかちゃんは、

「バイバイ! ありがと!」

 と大声で私に言った。

 私がその声に振り返ると、はるかちゃんの姿はなく、もう帰ってしまっていた。


「はるかちゃん、か……」

 家に帰り、何とか夕飯無しを免れることができた。

その後、食後のデザートとしてチョコレートケーキが箱から取り出されたとき、少し欠けていることがばれて、私がつまみ食いしたということにされてしまった。

 まあ、いいけど。

 部屋に戻ると、ベッドに横になった。

 ……彼女と猫を探したことは思い出だな。

 この近くに住んでいるのだろう。もしかしたら、また会えるかもしれない。そのとき、彼女は私のことを覚えているかな。

 そういえば、彼女の名前――はるか、をどうやって書くか訊いてなかったな。私の予想としては、「遥」かな。

 私は携帯電話を取り出し、インターネットにつなぐ。

 検索欄に「はるか 名前」と入力をして調べてみた。

 ちょうどいいサイトがあったので見てみる。


 春花、春香、晴香。


 そして、


 悠。


 ……。彼女の名字は何だっけ。そういえば、訊いてなかったな……。




fin.

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