回想・2
『現場』は何ということもない沼でした。よくある瘴気の沼です。
視察になどこれまで全く興味のなかった第二王子は大袈裟な程に驚いていらっしゃいましたが、王都から少し離れればこんな風景は珍しくもありません。ですから私達聖女がドサ回りいえ地方からでも依頼があり次第、出向いて浄化するのです。
当初予定ではこの段階で見習いのセシルに経験を積ませつつ、ミランダ様と私とでこの沼をさっさと浄化して、少しの休憩を挟んで、昼過ぎには神殿に戻れるはずでした。
しかし、出発の時点で色々あって押せ押せ後ろ倒しの所を、無知な第二王子はさらにやらかして下さいました!
「やったぞ! 魔物を倒した! オレだってやればできるんだ‼︎」
第二王子の高らかな雄叫びの後の、刻が止まったかのような白々とした沈黙を、果たしてどのように表現すればよろしいか。私は語る術を知りません。
第二王子の足元には、切り伏せられた羽虫の魔物の死骸がありました。
この羽虫型の魔物ーーポイズンビーは、1匹1匹ではさほどの強さではないものの、1匹殺せば千匹が報復にやってくる、が通説でして、見かけたら極力スルーが鉄則……が、戦闘員の共通要項でした。
文字通り毒持ちで、刺されれば毒に冒されますが、それも水魔法で癒せる程度の弱毒性。私も魔術学院時代『現場』に出る際、先輩方に口酸っぱくして忠告されたものです。ポイズンビーは弱い魔物にありがちなヤツで、こちらから仕掛けない限りまず襲っては来ない、刺されたって死にゃしないから大人しく刺されとけ、正式な討伐依頼か突発的なスタンピードでもなければ手出し厳禁、決して殺してはならぬーーそれがポイズンビーってヤツだからな、と。
ここにいる者達は皆、そのことをよく知っています。第二王子を責める者こそおりませんが、彼が何をやらかしてしまったか、そしてこれからどうなるのかは、戦い慣れた者達には容易に想像できました。
「作戦変更、浄化任務より先にスタンピードに備え陣形展開! 王子殿下と聖女様方の安全確保! 繰り返す、スタンピードに備え陣形展開、対象はポイズンビー……来たぞ、急げ!」
王宮騎士団長ーーまで駆り出されていたのです、クラトス殿下の我がままの為に!ーーが命を下し、第二王子は彼が乗ってきた馬車に押し込まれ、私達はその周辺に結界を張りました。私は少し離れた場所で待機している馬車馬と、騎士団の方達の馬にも同じ処置を致しました。お馬さん達は大事な足です。それ以前に、我々同様神の御許で生きとし生けるもの。守らなくてはなりません。
「聖女様達も馬車の中へ!」
ひとりこの場に残った第二王子付きの兵士が勧めて下さいましたが、
「何を申すか! これは王族用の馬車だぞ! 貴族はともかく、平民が土足でずかずか乗り込んで良いと思うか⁉︎」
第二王子はのたまい、さらに、
「ミランダ、エスニャ、貴様らは特別に許す。オレの側にいてオレを守るがいい」
貴族というならナターシャ様は子爵令嬢、マリア様は男爵令嬢です、と第二王子付きの兵は不敬ギリギリに食い下がって下さいましたが、
「地味女とイモ男爵の娘など知るか! お前らは外だ! ……貴様も、立場をわきまえろよ」
後半は自身を守る側近に向けられたものでした。フルプレートの兵士は第二王子に承諾の礼を取り、ミランダ様とエスニャ様を王家の馬車内にエスコートし、その後、私達に視線だけで謝罪の意を表しました。
馬車の内側から結界が張られた気配が致しました。ミランダ様とエスニャ様、そして第二王子はこれで完全に安全でしょう。第二王子付きの兵と共に、馬車外とは言え結界内にいる私達と、少し離れた場所にいるお馬さん達も、まぁどうにかなるでしょう。けれど、『現場』の方達はーー?
『現場』に慣れた王宮騎士団と魔術師団は危なげなく立ち回っておりました。1匹殺せば千匹、を体現した修羅場の中でも……頼もしいことです!
しかし、守るべき第二王子に見捨てられた感のある近衛騎士団の隊は混乱を極めておりました。無理もないことです。彼らと前者では戦闘スタイルが違います。本来、近衛の役目は要人の警護。求められる動きがそもそも違うのです。
瘴気の沼周辺は、羽虫の群れが続々と集結し、遠目から見るとまるでそこだけがこの世の終わりのような有様でした。
「何て酷い……」
ナターシャ様の呟きは、ご自身が王族の馬車に匿ってもらえなかったことに対するそれなのか、それともこの凄絶な光景に対するものなのか判断し難いものでした。
「これが、スタンピード……」
はじめて見ました、と、懸命に冗談めかして言おうとして失敗した感満載なマリア様は、真っ青なお顔で震えております。お顔色の悪さは馬車酔いの影響も多少はあるかも知れません。初めて……えぇそうでしょうとも。普通なら『聖女様』にこのような光景を見せないように周囲が配慮するものなのですがね! これは『戦う者』だけが知ればいい修羅場です。『掟』に縛られ攻撃手段を奪われた『聖女』が見るべきものではありません。
「ファティマさま、あたしたち、どうなっちゃうの……?」
半泣きのセシルは日頃は『敬語謙譲語、淑女のコトバ』を意識して頑張っていますが、今は素が出てしまっています。仕方のないことです。そして今、この場にそれを指摘する余裕のある者はおりません。
「大丈夫よセシル。わたくし達は結界の中にいるのだから」
言い淀んだ私の代わりにナターシャ様が優しく、セシルをなだめて下さいました。えぇ、私達は「大丈夫」。でも、『現場』の方達は?
スタンピード仕様で善戦する戦闘員の方々も、敵の数に押されて疲れが見え始めておりました。私は結界から一歩足を踏み出し『現場』に向かって回復魔法を放ちます。気休め程度です。距離があり過ぎます。
「ナターシャ様、マリア様、この場はお願い致します。セシル、先輩方のおっしゃることをよく聞いて、いい子にしててね」
私は覚悟を決めました。




