第56話 呪詛より強い噂
───翌日
源氏の君が血相を変えて、六条御息所邸へ駆け込んできた。
「和泉殿!和泉殿は無事か!?」
廊下を渡りながら、女房たちへ問いかける声が響く。
やがて御息所の部屋へ通され、源氏の君は深く頭を下げた。
「御息所様。
貴家の女房を危険に晒してしまいました。申し訳ございません。」
御息所は静かに首を振る。
「頭をお上げください。
和泉が呪詛にかかったのは、源氏の君のせいではございません。
それより──北の方も昨日、被害に遭われたとか。
ご様子はいかがです?」
「はい。呪詛には遭いましたが事なきを得て、今朝は普段通りに。」
「それは何よりです。」
御息所は頷き、続ける。
「和泉はまだ部屋で休ませております。
呪詛を弾く際、かなり体力を消耗したようで……。」
「……それほど、強い呪詛だったのですか……。」
源氏の君の顔色が曇る。
御息所は昨夜の顛末を淡々と語った。
話が進むにつれ、源氏の君の表情は次第に青ざめていく。
「……では、呪詛は……まだ終わっていない、と?」
「ええ。陰陽頭様はそのように。
今後に備え、折々こちらへお越しくださるそうです。」
沈黙が落ちる。
やがて源氏の君は思い出したように言った。
「ああ、そうだ。
私と北の方から、和泉殿へ見舞いの品を。」
控えていた惟光が大きな包みを差し出す。
「滋養のつく薬湯にございます。
容態が分からず、効能の違うものを幾種か取り揃えて参りました。」
「まあ……ありがたく頂戴いたします。」
御息所は受け取り、ふと惟光を見た。
「そういえば惟光殿。
昨夜は惟成殿が居てくれて、とても助かりました。
帰りも遅かったでしょう。大丈夫でしたか?」
「武官ですから平気でしょう。
……まあ昨夜は、少し様子がおかしかった気もしますが。」
「様子が?大丈夫なのか?」
源氏の君が眉を寄せる。
「呪詛の影響という感じではなく……
なぜか耳まで真っ赤でして。」
「顔が赤い?熱でも?」
御息所が心配する。
「私もそう思い尋ねましたが、
“大丈夫です!何でもありません!”の一点張りで。
今朝は普通に出仕しておりました。」
三人は揃って首を傾げた。
やがて源氏の君が静かに言う。
「……しかし。
北の方も、和泉殿も……今後の噂が心配ですね。」
御息所も目を伏せる。
「呪詛を受けた女……と聞けば、人は様々に憶測するもの。
当分、外出は控えた方がよろしいでしょう。」
重い沈黙が室内を満たした。
───数日後
「和泉、文が来てますよ。」
取り次ぎの女房が紗世を呼び止めた。
「文?誰からです?」
「何通か届いているわ。」
女房は紗世の表情を見て、そっと言う。
「大丈夫。私たちは分かっているから。」
紗世は軽く頭を下げ、文箱を抱えて御息所の部屋へ向かった。
「御息所様……私宛に文が。しかも数通……。」
「内容は?」
「まだ……怖くて読んでおりません。
誹謗中傷だったらと思うと……。」
「私も一緒に見るわ。開けてみなさい。」
「……はい。」
恐る恐る一通目を開く。
読み進めるうち、怯え → 困惑 → ぽかんと紗世の表情が変わっていった。。
「……何と?」
「初夏の集まりに来ないか、というお誘いです……。」
「普通ね。次は?」
「……飾り髪を教えてほしい、と。」
「それも普通。」
残りも全て読む。
「全部……お誘いか、飾り髪の相談です。
……はっ!集まりに呼んで、そこで嫌味を言われるのでは……!?」
「それはないでしょう。
呪詛を恐れるなら、邸へ招く方が避けられます。」
「ですよね……
じゃあ、私が呪詛を受けたこと、知らないのでしょうか?」
「いいえ。
左大臣家と当家で起きたこと。
どれほど口止めしても、都ではすぐ噂になります。」
「じゃあ……知っていて?」
「返事はひとまず、体調不良として断りなさい。」
「承知しました。」
だが日を追うごとに、文は増え続けた。
ついには──殿方からの恋文まで届く。
「……何で?」
紗世は腕を組む。
御息所も首を傾げた。
「反応が……今までと違うわね。」
その時、廊下に控えていた女房が声を上げた。
「あの……御息所様、和泉殿。
都の噂を耳にしたのですが……少し変わっておりまして。」
「噂!?詳しく話して。」
女房は座し、語り始める。
「簡単に申しますと──
“六条御息所邸の和泉は、呪詛や生霊を弾く不思議な力を持つ”
“その力を倍にするのが飾り髪”
“飾り髪をすると良縁成就する”
……という噂が広まっております。」
「……え?」
紗世が固まる。
女房は続ける。
「実際、呪詛を弾いた際、陰陽頭様が
“でかした!”と仰ったと聞きますし……
飾り髪で常陸宮の姫君は式部卿の心を、
北の方は源氏の君の寵愛を取り戻された、と。」
「いや……私は呪詛を受けた側なんですけど……。」
「ですが“受けても弾いた”のでしょう?
ならば都の人は、その力の恩恵を求めます。」
紗世と御息所は、揃ってぽかんとした。
───陰陽寮
「あーーーーはははははは!!」
陰陽頭が机を叩いて笑っていた。
「やっぱり!やっぱりねええ!!
絶対、和泉殿の噂は普通にならないと思ったんだよ!!」
涙を拭きながら、満面の笑み。
「いやぁ……都ってほんと、面白いねぇ。」




