第54話 呪詛 vs 紗世(口撃特化型)
───精神世界
「……なに、ここ。どこ?」
紗世は真っ暗な場所に立っていた。
「御息所様ーー。惟成殿ーー。……誰かー。いませんかー?」
何も聞こえない。
「何で、私、こんなとこいるの?私、何してたっけ?」
記憶を辿る。
「あ!源氏の君の北の方様が生霊に苦しめられて……乗り切って……源氏の君とラブラブかまして……
それから……惟成に紗世って呼んでって言って拒否られて……
それから、御息所様の所へ帰って……それから……」
はっとする。
「そうだ!私!!呪詛で胸に杭うたれて、陰陽師っぽい人にどうにかしてもらったはず……なのに……ここは……?」
その瞬間。
暗闇から真っ白な手が伸び、紗世の首を掴んだ。
「っく……!」
相手の手首を掴み、目をこらすと腕の先には女の影。
「ちょっと!!誰よ!あんた!!」
(憎い……。)
「え?」
頭の中に直接声が響く。
(なぜ、あんたばかり……憎い憎い!)
「ちょっと!何が憎いのよ!ちゃんと言ってみなさいよ!」
(なぜ、源氏の君は来ないの?なぜ、あんたのところに源氏の君が来るの?なぜあんたがチヤホヤされるの?なぜ、流行の中心にいるの?)
「んなっ……!そんなの!逆恨みじゃん!!」
(私は……選ばれるはずだったのに……!)
「………………はい?」
(私は高貴な身分なのよ!あんたとは違う!邸の奥で淑やかに待ち続けていたわ!)
「……………はあああああ???」
(私は高貴な身分なの!みな、私の元へ来るのが当然なのよ!!なのに、なぜ!?なぜ、誰も来ないの!)
「……………。
何よ、あんた!何っにも行動してないじゃん!行動ひとつしてないくせに、何?相手が来い??何様ーーー?!
高貴な身分???そんなん、ムダ!無駄なプライド!!」
その瞬間――
紗世の足元で、黒い沼がざわりと揺れた。
「あーーーもう!むっかついてきたあああ!!!」
沼が激しく波打つ。
女の力がさらに強まり、紗世を沈めようとする。
「っこんなっ……!こんな単なる逆恨みの……訳わかんない、生霊だかなんだか得体のしれないやつに……」
紗世は歯を食いしばり、沈みかけた身体を踏ん張った。
「負けてたまるかああああ!」
───六条御息所邸
額に汗を浮かべながら、陰陽頭は低く、絶え間なく祝詞を唱え続けていた。
(くそっ……祝詞で和泉殿の意識をこちらへ引き寄せてはいるが……相手の念が強すぎる……!)
部屋の空気は、誰もが肌で感じるほど重く息苦しい。
女房たちは声も出せず、結界の中に横たわる紗世をただ見つめていた。
(相手の念が、一瞬でも緩めば引き戻せる……だが――
相手の集中が切れるのが先か、私の力が尽きるのが先か……。)
陰陽頭は、祝詞を唱えながら小さく息を吐いた。
(……まったく。夜更けに全力勝負とはねぇ。
しかも負けたら後で「あの陰陽頭、大したことなかった」とか都で噂されるやつだろう?)
ほんのわずかに口元が歪む。
(それは面倒だ。非常に面倒だ。
――陰陽頭としては、ここで格好悪い負け方はしたくないねぇ。)
――その時。
ゆらり、と大きく蝋燭が揺れた。
次の瞬間――
パキン、バキン!!
鋭い音が室内に響く。
結界の札が、一枚、真っ二つに裂けた。
御息所や女房達は青ざめ、戸惑う。
「陰陽頭様!これは……!?」
惟成が堪らず声をかけた。
祝詞を唱えていた陰陽頭も、予想外という表情で目を見開く。
「うん……?待て、これは……!」
その時、紗世が呻き出した。
「う…うううう〜〜!!」
「紗世!意識が戻ったの!?」
御息所が身を乗り出す。
「紗世!しっかりしろ!」
惟成も声をかけた、その瞬間――
「こんの!根暗ヒキニートがああああ!!!
あんたなんかに負けるわけないでしょおおおお!!!」
紗世の雄叫びが邸内に響いた。
「ははははははははは!!!
でかした!!和泉殿!!!」
陰陽頭は笑い、大きく声を張り上げて祝詞を続ける。
すると――
黒いモヤが室内に激しく渦巻き、
そして――
パアアアアアンンン!!!
何かを弾いたような大きな音を立て、霧散した。
───とある尼寺
パアアアアアン!!!
鋭い破裂音とともに、祭壇に置かれていた木札が真っ二つに割れた。
同時に――女の身体が弾かれたように後ろへ崩れる。
「姫君!!!」
近江が慌てて駆け寄り、袖を取り支えた。
「ご無事でございますか!!?」
女は一瞬目を閉じ、息を整えると、近江の手を借りてゆらりと身を起こした。
「……大丈夫よ。少し、弾かれただけ。」
「弾かれた……?
まさか、呪詛が返されたのですか!?」
「違うわ。」
女は割れた木札を静かに見下ろし、薄く笑った。
「“弾かれた”だけ。
“返された”のなら――この程度では済まない。」
その声には、妙な確信があった。
「……それでは……」
「ええ。」
女はゆっくりと頷く。
「私の呪詛は終わっていない。
今日の分が終わった――それだけよ。」
「左様でございますか……。」
近江の声に、わずかな安堵が混じる。
女はふと、遠くを見るように視線を細めた。
「……むしろ、ここからが面白いわ。」
「と、申しますと?」
「次はね――私が手を下さなくても、勝手に落ちていくはずよ。」
「……社会的な孤立、でございますか?」
「そう。」
女の唇が、ゆっくりと弧を描く。
「明日から和泉は、“呪詛にかかった女房”。
そんな噂が立てば――どうなると思う?」
近江は答えず、ただ静かに息を呑んだ。
「怖いものね。人は。
自分に火の粉が降りかかるかもしれないと思えば――
優しかった者ほど、先に距離を置く。」
蝋燭の灯が揺れ、女の影が長く歪む。
「一人、また一人と離れていくわ。
……触れれば呪われるかもしれない女なんて、誰も側に置きたくないもの。」
「都の噂は……広まるのが早うございますから。」
「ええ。」
女は木箱に手を置いた。
まだ開かれていない、最後の道具。
「しばらくは様子見よ。
――最後に、とっておきの呪詛をしてあげるわ。」
蝋燭の炎が揺れ、二人の影が壁に重なった。
静かな尼寺に、割れた木札の破片だけが、まだかすかに震えていた。




