第53話 呪詛 VS 陰陽頭
陰陽頭は紗世の前に膝をついた。
暴れる腕には触れず、ただ胸元を静かに見据える。
「見えているのは杭、か。」
紗世は荒い息のまま頷く。
「……抜かなきゃ……刺さってる……。」
「抜かなくていい。」
陰陽頭は即座に言った。
「それは物ではない。
形代呪詛だ。」
室内が静まる。
惟成が息を呑む。
「形代……」
「紙や人形に名を書き、対象の魂を結びつける術だよ。」
陰陽頭は淡々と続ける。
「そこへ杭を打つ。
すると肉体ではなく――魂の座に痛みが届く。」
御息所の腕の中で、紗世が苦しげに身を震わせた。
「血が出ているように感じるのも当然。
魂を縫い止める“楔”だからね。」
惟成が低く問う。
「……解けるのですか。」
陰陽頭は少しだけ笑った。
「解けるよ。
ただし――」
指を一本立てる。
「術者はかなり執念深い。
しかも遠隔で力を送り続けている。」
「遠隔……」
「距離は都から少し離れた場所のようだ。
女だね。
怨みを育てる時間が長い。」
その言葉に、御息所の表情がわずかに曇る。
陰陽頭はすっと立ち上がった。
「さて。説明はこのくらいでいいだろう。」
袖から小さな包みを取り出す。
中には――
白い紙の人形数枚、細い麻紐、朱砂、そして小さな鈴。
「部屋の者、動かないで。
気配を乱すと、結びがずれる。」
空気がぴん、と張る。
惟成が低く命じた。
「聞いたな。誰も動くな。」
陰陽頭は床に紙の人形を一枚置き、朱砂で素早く印を描く。
中央に紗世の名を書く。
筆は迷いなく走った。
「これが受け皿になる。」
次に、麻紐を取り、紙人形と紗世の袖口を軽く結ぶ。
「痛みをこちらへ移す。
魂の結びを一時的に“替える”。」
鈴をひとつ鳴らす。
――チリン。
澄んだ音が、静まり返った室に落ちた。
その瞬間。
さっきまで重く淀んでいた空気が、わずかに揺れる。
陰陽頭の声が変わった。
さっきまでの飄々とした調子が消え、低く、響く声になる。
「では――祓う。」
ゆっくりと祝詞を唱え始めた。
「掛けまくも畏き――」
言葉が重なるごとに、灯の炎がすうっと伸びる。
紗世の呼吸が一瞬詰まる。
御息所が息を止める。
惟成の拳が無意識に握られる。
祝詞が続く。
鈴が鳴る。
紙人形が、わずかに震えた。
そして――
部屋の空気が、はっきりと変わった。
さっきまでの息苦しさが引き、代わりに、冷たい水を張ったような静けさが満ちる。
陰陽頭は目を細めた。
「……よし。掴んだ。」
祝詞をさらに強く唱える。
「その楔、こちらで受ける。
――戻れ。」
チリン――!!
鈴の音が鋭く響いた。
───とある尼寺
「!?」
女が眉をひそめた。
「姫君?どうかなさいましたか?」
「杭の……手応えが、おかしいわ。」
「手応えは、あるのですよね?おかしいとは?」
近江が聞く。
「杭は確かに刺さっているはず……。なのに、和泉に刺さっている感じが消えたのよ。」
「!!では、術を返されたのですか!?」
「返された訳じゃない。何かを身代わりにしたのね……。そう、きっと陰陽師が来たのね……。」
「今日は一度、呪詛を中止しますか?」
「……いいえ。せっかくだもの、もうひとつ、試してみるわ。」
女は薄く笑い、杭を指先で軽く押し込んだ。
「――精神を、沈めておやり。」
───六条御息所邸
ふっと――紗世の胸を締めつけていた鋭い痛みが、潮が引くように消えた。
今まで肺の奥に食い込んでいた見えない爪が、するりと外れたかのように、呼吸が楽になる。思わず紗世は小さく息を吸い込み、胸に手を当てた。
「……あれ……?痛く、ない。」
さっきまで確かにそこにあった重苦しさが、嘘のように消えている。身体がふっと軽くなり、意識の奥にかかっていた靄も薄れた気がした。
「紗世、私よ。分かる?」
「御息所様……。ごめんなさい。こんな、騒ぎにして。」
「大丈夫よ。大丈夫だから。よく耐えたわ。」
御息所が紗世を抱きしめた。
安堵しかけた、その瞬間。
ガクンッ──!!
「紗世?……紗世!!どうしたの!!?ねえ、返事して!」
惟成が陰陽頭に寄った。
「陰陽頭様!紗世の意識が!!」
「これは……術を変えたな!?和泉殿をそこへ寝かせろ!!」
「陰陽頭様!紗世はどうなったのですか!?」
惟成が声を荒らげる。
「相手が体に痛みを与える術が効かないと気付いたのだろう。今度は精神の内に引き込み、和泉殿をいたぶるつもりだ!」
そう言いながら、紗世の周りに何やら書かれた札や蝋燭を置いていく。
「精神を……引っ張る?」
「そうだ。精神の内に閉じ込め、意識を沈める術だ。目に見える攻めではない分、先程の形代呪詛より厄介だ。」
「そんな……」
御息所は青ざめ、へたり込んだ。
「……-ホント、嫌だねぇ。こういうやらしい呪詛する女。だから、モテないんだよ。」
そして、チラリと紗世を見た。
「こればかりは、和泉殿も頑張ってくれよ……。」




