表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

40/62

第40話 春宴の余波 1

翌朝。


都の井戸端では、まだ朝靄も晴れぬうちから声が飛び交っていた。


「聞きました?昨日の民部卿邸の宴。」


「ええ、桜を愛でる雅な集まりだったとか……」


「雅どころじゃありませんわよ。」


女房が声を潜める。


「贈り物が……竹の棒だったそうで。」


「竹の棒?」


「しかも髪飾りだと言い張ったとか。」


「まあ……」


別の女房が口元を押さえる。


「それを無理に使わせようとして、竹が割れて……」


「割れて?」


「姫君の頬を掠めて血が出たとか。」


「血!?」


「その場で怒り狂って、女房を引き摺り倒したと。」


「まあ……まあ……!」


声は抑えているのに、興奮でどんどん大きくなる。



同じ頃、貴族の邸の奥。


御簾の向こうで姫君たちが囁いていた。


「民部卿の姫君、以前から気性が激しいとは聞いていましたけれど……」


「六条御息所様もいらしたのでしょう?」


「ええ。御息所様が場を収められたとか。」


「さすが……」


別の姫が小声で言う。


「それに、例の飾り髪の女房も来ていたそうですわ。」


「和泉?」


「ええ。その女房に向かって姫君が――」


言いかけて、扇で口元を隠す。


「……“あんたが”と叫んで迫ったとか。」


「まあ……それでは、誘拐未遂の噂も……」


「本当なのではなくて?」


御簾の内側で、小さく息を呑む音。



さらに数日後。


都の大路。


牛車の中の女房が外を見ながら話す。


「民部卿邸、最近人の出入りが減ったそうですよ。」


「噂が立ちすぎましたものね。」


「飾り髪を巡って六条御息所様に張り合い、

挙げ句の果てに竹の簪で騒ぎ……」


「それだけじゃありません。」


「え?」


「和泉の誘拐未遂も、工房の盗難も、

姫君の差し金ではないかって……」


一瞬、沈黙。


それから小さく。


「……あまり大きな声で言ってはいけませんよ。」


「ええ、もちろん。」


けれど声は止まらない。


「でも、あの宴での様子を見た方々が皆……

“普通ではない”と。」


牛車はゆっくりと進む。


都の空気の中に、春の香りとともに――


噂だけが、静かに、確実に広がっていった。




─── とある貴族邸・和歌の集まり


「民部卿の姫君の気性の荒さばかり噂になっているけれど、実は他にも気になる話がありますのよ。」


「他に?

六条御息所様のことかしら?」


「いいえ、違うの。女房に掴みかかろうとした時の話。」


「ああ、御息所様が諌められたのでしょう?」


「それがね──その前に、護衛の方が立ちはだかって庇ったそうなのよ。」


「私も聞きましたわ!若いのに、とても凛々しい方だったとか。」


「なかなか精悍なお顔で、逞しい体つきだったとか……」


「まあ……そんな殿方に身を挺して守られるなんて……」


「しかも、その護衛……

あの“光る君”の随身のご子息らしいのよ。」


「えっ、光る君の!?」


(その護衛と縁が繋がれば、光る君とのご縁も……?)


(いえ、たとえ光る君に届かなくても……)


(若くて将来有望、武官としても申し分なし……)


姫君達は顔を見合わせ、静かに頷いた。


そして一斉に、傍の女房へ言う。


「文の道具を持ってきてちょうだい。」




─── 左兵衛尉邸


「若君、文が届いております。」


「文?私に?」


庭で刀を振っていた惟成は手を止めた。


差し出された文箱を見て、思わず眉をひそめる。

中には一通どころか、十通近い文が重ねられていた。

どれも花が添えられ、淡く香を焚き染めてある。


文箱を持ってきたのは、惟成が赤子の頃から仕えている古参の女房だった。

その顔は、どこか楽しげに緩んでいる。


「若君も、このようなお年になられたのですねぇ。」


「……」


惟成は露骨にうんざりした顔を向けた。


「そこへ置いておいてくれ。」


ぶっきらぼうに言うと、再び刀を構えようとする。


その時──


「いけませんよ、惟成。相手方のお気持ちを無下にしては。」


「……母上。」


廊下から現れた母が、穏やかな声でたしなめた。


母は文箱から一通取り上げる。


「ご覧なさい。この文など、焚き染めた香の上品なこと。

こちらは桜の色も見事ね。心を込めて用意されたのでしょう。」


民部卿邸の一件以来、惟成に文を送ってくる姫君は、急に増えたのだった。


「……身に覚えがないのだが。」


「覚えがなくても、噂は立つものです。」


母はくすりと笑った。


「若い殿方が、宴の席で女房を庇ったとなれば──都の姫君達が放っておくはずがありませんよ。」


惟成は深く息を吐いた。


「……刀を振っている方が、よほど楽だ。」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ