第4話 和泉国の飾り髪
紗世の屋敷では、いつの間にか奇妙な現象が起きていた。
朝になると――
「今日は編み込みを多めにする日ですか?」
「いえ、昨日は編み込みでしたから、本日は少しまとめて……。」
「簪は揺れる方がよろしいでしょうか?」
(……美容院かな?)
紗世は、内心でそう突っ込みながら、侍女たちの髪を結っていた。
気づけば、飾り髪結いは完全に“定着”していた。
編み込み、ハーフアップ、低い位置でまとめたお団子に簪を一本。
紐で結ぶ分、構造は慎重に。崩れないように、でも重くなりすぎないように。
「紗世さま、昨日よりまとまって、広がらないです。」
「それは良かった。今日は風が強いからね。」
(風対策まで求められるようになった……。)
そんなやり取りをしているうちに、父と母も様子を見に来るようになった。
「ほぉ……これは。」
父・兼成は、廊下からそっと中を覗き込み、目を細めた。
「ずいぶん、揃っているな。」
母も頷く。
「ええ。屋敷全体が、少し明るくなった気がします。」
侍女たちの髪は、誰一人として同じではない。
だが、どれも整い、工夫があり、品があった。
「紗世。」
父が声をかける。
「しばらく、教養の時間の一部を、この“飾り髪”に使ってもよい。」
「え?」
「才は、使ってこそ磨かれる。」
母もすかさず言った。
「文字や琴も大事だけれど、今はこれが“生きた学び”ですもの。」
(え、そんな大事な扱い……?)
紗世は少し戸惑いながらも、頷いた。
(まあ……楽しいし、いいか。)
このときは、まだ思っていた。
屋敷の中だけの話で終わると。
だが、問題はそこからだった。
数日後。
「若の御方、来客でございます。」
(……来客?)
珍しいな、と思いながら御簾の向こうを覗くと、そこには見覚えのない女房が数名、そわそわと立っていた。
「和泉守殿に、季節のご挨拶に……。」
建前は完璧だった。
だが――
「……ところで。」
女房の一人が、ちらりと視線を泳がせる。
「こちらのお屋敷では、女房方の御髪が大変美しいと……。」
(来た!)
内心で、ぴしりと警鐘が鳴る。
父は涼しい顔で答えた。
「そうかもしれませんな。娘が、少々工夫をしておりまして。」
母はにこやかに微笑む。
「よろしければ、少しご覧になります?」
(母上、ノリノリだ……!)
こうして、御簾の向こうに侍女たちが並ぶことになった。
「まあ……。」
「まあまあ……!」
ひそひそ、ざわざわ。
「同じ結い方が一つもありませんわ。」
「簪の使い方が……。」
「結び目が、見えない……?」
(だから隠してるんだってば。)
紗世は、端で正座しながら、心の中で突っ込む。
すると――
「もしや……。」
「このお方が……?」
視線が、集中した。
(あ、やばい。)
「いえ、私は……。」
言いかけたところで、母が遮る。
「ええ。娘でございます。」
(母上!?)
女房たちの目が、一斉に輝いた。
「まあ……!」
「お若いのに……!」
(年齢言わないで!)
その日を境に
「近くに寄ったついでに。」
「少しご挨拶を。」
「香の相談が。」
――という名目の来客が、明らかに増えた。
しかも、全員まず見るのは。
屋敷の女房たちの――髪。
(これ、完全に“展示”だよね?)
紗世は、縁側でため息をついた。
「若の御方、次はどの結い方にいたしますか?」
「……今日は、控えめで。」
「ええっ!?」
侍女たちの落胆が、あからさまだ。
(いや、もう十分目立ってるから!)
遠くで、母の楽しそうな声が聞こえる。
「まあ、今日はどんな髪結いかしら。」
(母上、完全に楽しんでる……。)
紗世は、空を仰いだ。
(これ、完全に――
静かに暮らすルート、外れてない?)
その予感だけが、なぜか嫌なほど、当たっている気がした。
紗世は、鏡の前で崩れ落ちた髪を見つめていた。
「……落ちた。」
簪が、するりと床に転がる。
「……やっぱり落ちた。」
拾って、もう一度挿す。
三歩歩く。
首を振る。
――落ちた。
「これは……。」
紗世は深刻な顔で結論を出した。
「髪の問題じゃない。道具の問題ね。」
その日のうちに、紗世は小間物職人を屋敷に呼んだ。
「今日は、作れるかどうかを聞きたいの。」
「は、はい。」
職人の前に、何枚もの紙が並べられる。
「まず、これ。」
U字型の簪。
「これは?」
「髪を挟む用よ。
U字……ええと……“曲げ簪!”」
「……なるほど?」
「次。これ。」
まっすぐな簪だが、表面に細かなギザギザ。
「これは?」
「髪を噛ませる。」
「噛む。」
「次。大きさ違い。」
大・中・小。
「髪の量は人それぞれでしょう?
一本で全部留めようとするから無理が出るの。」
職人は無言で頷き続ける。
「それから、これ」
普通の櫛より、歯が太く、間隔が広い。
「……櫛、でございますか?」
「ええ。夜―― (夜会巻きなんて通じないか。)」
言いかけて、紗世は一瞬黙った。
「……夜会はないけど、まとめ髪用。」
「荒い歯の櫛、ということで?」
「そう、それ!」
職人は、深く頭を下げた。
「……作れます。」
数日後、新しい簪と櫛が屋敷に届いた。
結果――
「……落ちません。」
「……揺れません。」
「……走れます!」
「走らなくていい!」
固定力が上がったことで、編み込み、ハーフアップ、簪を軸にしたまとめ髪のバリエーションが次々と生まれていった。
紗世は思った。
(平安時代、髪が長いの、めちゃくちゃ遊べる!)
「……固定できたら。」
紗世は次の段階へ進んだ。
「飾りたい!」
簪の先に、房をつける、幅広の布を結ぶ、十二単衣のように重ね色にする。
侍女たちは目を輝かせた。
「まあ……!」
「色を重ねるだけで、こんなに華やかに。」
さらに、紗世は布を折り、重ね、丸めた。
「これは……?」
「花よ。」
「……何の花でございますか?」
「……薔薇。」
沈黙。
「あ。」
紗世は、静かに気づいた。
(……薔薇、ないわね。)
一拍置いて、言い直す。
「椿よ。」
「椿……!」
「確かに椿に見えます!」
「若の御方、風雅ですわ!」
(薔薇なんだけどな……。)
房飾りにも、小さな布の花をつけてみた。
垂らすと、揺れる。
「……藤の花のようです!」
「藤の花飾りですわ!」
(藤のつもりじゃなかったけど……まあいいか。)
こうして、椿飾り、藤の花飾り、重ね色の大ぶり布結び
など人気の髪飾りが誕生した。
屋敷の女房、使用人の髪は、皆それぞれ違う。
だが共通しているのは――
落ちない。美しい。楽しそう。
屋敷を訪れた客が言う。
「まあ……こちらのお屋敷の方々、皆さま髪が……。」
「若の御方の考案でございます。」
「一度、拝見しても?」
気づけば、和泉国では、
「飾り髪が流行っている。」
「発端は、藤原家の若の御方だ。」
と噂されるようになっていた。
紗世は、鏡の前で簪を挿しながら、ぽつりと呟いた。
「……髪を結ってただけなんだけどな。」
だがその背後で、時代はしっかり、動き始めていた。




