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第37話 宴の文、騒動の芽

──パキッ!


乾いた嫌な音が、しんとした部屋に響いた。


「くそっ! まただ!!」


男の手から、小さな竹の破片がぽろぽろとこぼれ落ちる。足元には、同じような破片がすでに山ほど散らばっていた。


「古い竹でこんな小さい細工ができるわけなかろうが! ……それとも何か!? 俺の腕が悪いってのか!?」


頭をガシガシとかきむしり、男は恨めしげに手元の竹をにらみつけた。


親方の細工は何度も見てきた。ぶっきらぼうではあったが、肝心な技やコツはちゃんと教えてくれた。弟子とはいえ、そこそこの腕はある——そう思っていたのに。


震える手で、例の仕様書をもう一度見る。


「そもそもだな……こんな小さい物、髪を結うのに役に立つのか?」


図は確かに描いてある。だがどう見ても、こんな細い物で髪が留まるとは思えない。


「……いや、考えても仕方ねえ。できませんでした、じゃ済まないんだ……。」


顔を上げる。


視界に入るのは、無造作に積まれた大量の古い竹。


買い込んだ。とにかく買い込んだ。どう考えても買い込みすぎた。


「……割れるのがまずいんだ。そうだ、割れるくらい小さいのがいけないんだ。」


ふと、男の目が光った。


「……大きくすりゃいいじゃねえか。」


立ち上がり、竹を一本手に取る。


「依頼したのは和泉様だ。ここの姫君が仕様書を見たところで、本来の大きさなんて分かるはずがない。形さえ似てりゃ——そう、形さえ似てりゃいいんだ。」


にやり、と笑う。


「割れない程度に、大きく作る。完璧じゃねえか。」


男は満足げに頷き、工具を握り直した。


「さて……後は作るだけだな。」


その後、薄暗い部屋には——


やけに自信満々な作業音だけが、延々と響き続けた。


――同刻、民部卿邸。


「ねえ、近江。」


柔らかな声に、控えていた女房がすぐに頭を下げる。


「あなた、以前、六条御息所邸へ飾り髪を習いに行ったでしょう?その時、あなた以外に……どこの家の者が来ていたか、分かるかしら?」


「はい。すべて把握しております。」


即答だった。


「うふふ。さすがね、近江。」


姫君は満足そうに微笑み、扇を軽く揺らした。


「私ね、近々……他家の姫君たちをお招きして、春を愛でる雅な集まりを開こうと思うの。」


「まあ、それは素敵でございます。」


「でしょう? そこでね——新作の髪飾りを、お土産にしようと思うのよ。」


近江は一瞬だけ目を伏せ、


「……招待するのは、六条御息所邸に来ていた家門“以外”の姫君たち、でよろしいでしょうか?」


と静かに確認した。飾り髪がどのようなものか知っている者を呼ぶのは危険だ。


姫君の口元が、ゆっくりと上がる。


「分かっているじゃない。そうよ。……でもね」


扇をぱたりと閉じた。


「六条御息所様は、招待するわ。」


近江のまつげが、わずかに揺れる。


「……よろしいのですか? 新作の髪飾りをお配りになるのでしょう?もし、和泉殿を付き添いでお連れになったら——」


「ふふ。」


姫君は小さく笑った。


「集まりの最中よ? 自分より身分の高い私に対して、付き添いが口出しできると思う?付き添いに発言権なんて無いのよ。」


少し身を乗り出し、楽しげに続ける。


「……むしろ、来てほしいくらいだわ。」


「……」


「私ね、和泉を諦めたわけではないのよ?」


その声は甘く、静かで、そして妙に嬉しそうだった。


「承知いたしました。それから和泉殿が六条御息所邸を出て民部卿邸に移ったという噂を流すのはもうしばらく後の方が、宜しいですね。」


「そうね。その頃には噂ではなく、事実になっているかもしれないしね。」


近江は深く頭を下げる。


その前で、姫君は春の集まりを思い描くように、ゆっくりと扇を開いた。


――その笑みは、春を待つ顔というより


何か面白いことが起きるのを、今か今かと待っている顔だった。





「御息所様、文が届いております。」


取次ぎの女房が文箱を差し出した。


「文?どなたからかしら?」


六条御息所は静かに受け取り、封を切る。ふわり、と焚き染めた香が立ちのぼった。


一行、二行――読み進めて。


「……和泉。」


「? はい。」


「これ、民部卿の姫君からの文です。」


「え!!!?」


思わず素の声が飛び出した。慌てて口を押さえる。


「み、民部卿の姫君から!? 文には何と!?」


(古い竹の件の八つ当たりか!?それとも何かのクレームか!?)


嫉妬、執着、執念――噂に事欠かぬ姫君だ。ゴミを掴まされたと気付いていたら、逆恨みの一つや二つあっても不思議ではない。


御息所は落ち着いた声で読み上げる。


「民部卿邸で、雅な春の集まりを催したい、と。それに、ぜひ出席してほしい……とあります。」


「雅な……春の……集まり……ですか?」


「時期的にも不自然ではありませんね。文面も至って普通のお誘いです。」


御息所は、しばし文を見つめた。


(……もしかして、まだ気付いていないのかしら。)


もし弟子が形だけでもそれらしい物を作れていたなら、姫君は“成功した”と思っている可能性もある。


「御息所様は、招待に応じられるのですか?」


「特に断る理由がありませんし、理由もなく断れば、来なかった理由をあれこれ噂されるでしょう。招待には応じた方が良さそうですね。……ただ」


「ただ?」


「和泉の誘拐未遂と、工房の盗難。関わっている可能性の高い姫君です。何かあるのでは、と考えるのが自然でしょう。付き添いは和泉を外した方が――」


「いいえ!付き添いは私を連れて行ってくださいませ!」


紗世は、ほとんど飛び出す勢いで身を乗り出した。


「しかし、それは危険では……」


「私を狙った人物がどんな人か分からないままの方が危険です。民部卿の姫君を知ることが、身を守ることにもなると思うのです!」


御息所は少し考え、ため息まじりに微笑んだ。


「……確かに、一理ありますね。」


「それに!」


紗世は胸を張る。


「他家の者と接触する時は、惟成殿が護衛についてくれています!」


「……分かりました。返事を書きます。道具を持ってきてください。」


「はい!」


紗世は、ぱっと表情を明るくして駆け出した。




――後日。


「雅な春の集まり? なんだ、それは。」


惟成は露骨に怪訝な顔をした。


「民部卿の姫君が催す集まりだよ。」


「雅……とは?」


少し間を置き、


「怪しげな集まりの間違いではないのか?」


「私たちから見れば怪しげだけど、一般貴族の女人からすれば普通の社交だよ。春を愛でて、和歌を詠んで、お香を焚いて、上品に微笑み合う――そういう“雅”な集まり。」


「……女人とは面倒なものだな。」


心底うんざりした顔だった。


「でも、惟成殿は私の護衛で付いてきてくれるんでしょ?」


「はあ!? 何で私が――」


言いかけて、止まる。


「……そうか。他家の者と接触するのか。護衛対象案件だな……。」


がっくりと肩を落とした。


「なに? 嫌そうだね。」


「嫌だ。」


即答だった。


「女人の集まりの場は苦手なのだ。」


「なんで?」


「御簾や几帳の向こうから、ヒソヒソ、コソコソ……。姿は見えぬのに、全身を舐め回すような視線だけは感じる。」


「……ああ……」


紗世は妙に納得した。


話題の少ない都。出会いの場も限られる都。年頃の男が現れれば――御簾の向こうでは即・品定めが始まる。


それは確かに、落ち着かない。


「まあ、仕事だ。仕方あるまい。同行する。」


惟成は深々とため息をついた。


「……頼むから、他家で奇抜な行動は取ってくれるなよ。」


「何よ、奇抜な行動って!」


「和泉殿はいつも突拍子もないことをする。護衛の難易度が跳ね上がるのだ。」


紗世はむぅっと頬を膨らませた。


「失礼ね。私、いつも普通よ。」


「普通の基準が違うのだ。」


「ひどい!」


「事実だ。」


即答だった。


紗世は抗議の視線を送りながらも、どこか楽しそうに笑った。


春の集まりへ向けて、静かに、しかし確実に――何かが動き始めていた。

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