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第36話 古竹の山、噂の露

「――ここから先は、私が説明いたします。」


すっと、紗世が惟成の横に並んだ。

一歩前へ出る仕草が妙に堂に入っていて、まるで主役交代のようだった。


「盗難事件以降、親方には制作を中断していただいておりましたが、この度、新しい髪留めの試作をお願いしました。――この仕様書を添えて。」


紗世は二枚の紙を広げ、几帳の前に置いた。


「ふむ……?」


頭中将が身を乗り出し、二枚を交互に見比べる。


「……同じではないのか?図も説明文も、まったく同じに見えるが。」


「はい。ほぼ同じです。」


紗世はさらりと言った。


「――一文を除いて。」


「一文?」


源氏の君と頭中将が同時に紙へ顔を寄せる。

しばし沈黙。


「……」


「……」


「あっ。」


先に声を上げたのは源氏の君だった。


「これだ。こちらは――“必ず若く水分の多い新しい竹を使うこと”。

そして、こちらは――“必ず古く硬い乾燥した竹を使うこと”。」


「左様です。」


紗世は静かに頷いた。


「私の正規の依頼品は、“若く水分の多い新しい竹”で作ったこちらの品にございます。」


そう言って、こめかみのあたりに留めていた小さな髪留めを外し、指先で掲げて見せた。


「……これはまた、ずいぶん小さいな。」


頭中将が目を細める。


「はい。こちらは髪を細かく分けて固定するためのものです。簪のように見せるのではなく、隠して使うのが前提ですので。」


「ほう……。どう使うのかはよく分からぬが……」


頭中将は首を傾げたまま、


「とにかく、これは若竹でなければ作れないのか?」


と聞いた。


「はい。この髪留め――“ピン”と名付けましたが。」


「ぴん?」


「こちらは、髪を“挟む”ために使います。」


紗世は端をつまみ、左右に軽く広げて見せた。


「挟むには“しなり”が必要です。このしなりが出るのは、水分を含んだ新しい竹だけ。ですから、材料を明確に指定しました。」


「では、古い竹で作ると?」


源氏の君が面白そうに問う。


「……こうなります。」


紗世は懐からもう一枚紙を出し、そこに包まれていた別のピンを取り出した。


「親方に、古い竹でも同じ形を作っていただきました。」


そう言って、先ほどと同じように髪を挟もうとする。


――次の瞬間。


パキン!!


乾いた音が室内に響いた。


ピンは、見事に真っ二つ。


「……このように。」


紗世は折れた欠片を静かに掲げた。


「いとも簡単に割れ、使い物になりません。そもそも古い竹をここまで細く細工するのも至難の業。親方だから形になっただけで、弟子では形にすらならないでしょう。」


「…………」


一拍。


源氏の君の口元が、ゆっくり歪んだ。


「――なるほど。」


完全に事情を飲み込んだ顔だ。


「古い竹で作るようにという“偽の仕様書”を、わざと弟子に見せるよう仕向けたのだね?」


「はい。親方には、本物の仕様書は親方だけが確認するように。また試作の様子を弟子に見られないようお願いしました。」


「つまり弟子はまんまと偽の仕様書を信じ込み……」


頭中将がニヤニヤしながら続ける。


「それを手土産に民部卿邸へ鞍替えした、と。」


「和泉殿の依頼品をすべて横流ししろと言ってきたくらいです。和泉殿の元へ道具を届かせたくない意図は明らかでしたから。」


惟成が淡々と言った。


「原材料を先に買い占めるだろう、と読んだわけです。」


「…………」


頭中将の肩が震え始めた。


「……つまり。」


震え声で言う。


「民部卿邸に運び込まれた、あの大量の古い竹は……」


紗世が、にっこりと微笑んだ。


「――ただのゴミですね。」


「ご――」


頭中将、限界。


「ごみwwwwwww!!」


爆笑が炸裂した。


「ははははは!!竹を山ほど買い込んで、全部使えぬとは!!民部卿様が聞いたら卒倒するぞ!!」


笑いすぎて膝を叩く頭中将。


隣で源氏の君も肩を震わせ、


「これは……見事だ。敵は流行を奪うつもりで、ゴミを抱え込んだわけだね。」


と、くすくす笑っている。


そして――


御簾の向こう。


六条御息所は扇を大きく広げて顔を伏せていた。


静かに、しかし確実に。


肩が震えている。


(……笑っておられるな)


惟成は気づいたが、あえて何も言わなかった。


室内には、しばらく笑いが収まらなかった。




「ここまで我々の思い通りに事が起きている以上――」


惟成が、まるで報告書でも読み上げるかのように淡々と言った。


「和泉殿誘拐未遂事件の黒幕は、民部卿邸の姫君でほぼ間違いないでしょう。」


「だろうね。」


源氏の君は袖口で口元を隠し、くすくす笑う。


「あれだけ使い物にならない大量の竹を運び込んだところを、大勢に見られている。今さら誤魔化すのは難しい。」


「……確かに。」


御簾の向こうで、六条御息所が静かに首を傾げた。


「それにしても……和泉の誘拐や、髪飾りの独占など。民部卿の姫君は、何を望んでいたのでしょう。」


その問いに、頭中将が「待ってました」とばかりに口を開いた。


「姫君の性格を考えれば簡単ですよ。」


ちらりと紗世を見る。


「人々の関心を一身に浴びたい――つまり承認欲求でしょう。

飾り髪で都中の評判になっている六条御息所様や、常陸宮の姫君を妬ましく思った。

次に注目を浴びるのは自分でありたい。だが、肝心の飾り髪職人である和泉殿は御息所様の女房。」


肩をすくめる。


「そんな噂の女房を簡単に手放すはずがない。

――ならば奪ってしまえ、という短絡的な考えでしょうな。」


「なるほど。」


源氏の君が頷く。


「しかし誘拐は失敗。和泉殿の護りは固くなり、次は難しい。」


ゆっくりと続ける。


「ならば……飾り髪そのものが出来なくなればよい。道具を根こそぎ奪ってしまえ――ということか。」


「そういうことです。」


惟成が静かに結論づけた。


一拍。


そして――


「しかし。」


惟成は、いつもの調子で付け加えた。


「根こそぎ奪ったのは、飾り髪の道具ではなく――」


わずかに間。


「大量のゴミでしたが。」


ブフォッ!!


頭中将が盛大に吹き出した。


源氏の君も耐えきれず笑い、御簾の向こうでも扇が震える。


「お、お前……それをその顔で真面目に言うな……!」


頭中将が腹を押さえる。


「はは……確かに。敵は都の流行を奪うつもりで、ゴミの山を抱え込んだわけだ。」


源氏の君が肩を震わせた。


笑いが少し落ち着いたところで、源氏の君がふと空を見上げた。


「しかし……」


静かに呟く。


「作戦通りに事が運んだとなれば、今頃民部卿邸は――」


頭中将も同じ方角へ顔を向ける。


「……修羅場、ではないか?」


しばし、全員が想像する。


古竹の山。

怒号。

割れる扇。

泣き出す下人。


そして――


また、誰からともなく吹き出した。


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