第35話 竹の噂、惟成の見立て
宮中──
民部卿は文机に肘をつき、深く項垂れていた。
「民部卿様。いかがなされました?ずいぶんお疲れのご様子で。」
声をかけたのは頭中将だった。
「頭中将殿か……。いや、当家の姫がな……。はあ、頭の痛いことだ。」
頭中将の頬がわずかに引き攣る。
(あの姫君か……また誰かに執着しているのではあるまいな。)
だが自分でなければ構わぬ、と内心安堵しつつ、
「姫君に何か?」
と、いかにも興味深げに問うた。
「姫がな、当家に大量の竹を持ち込んだのだ。しかも古い竹を。」
「竹!?まさか竹屋でも始められるおつもりで?」
「私もそう思ったよ。だから問いただしたのだ。」
「で、姫君は?」
「今後、女人の間に大きな流行が起こる。その流行にこの竹が不可欠だ、と。」
そこへちょうど、源氏の君が参内した。
「おお、源氏の君。聞いてくれ。民部卿様の姫君が何やら始めるらしい。」
「そう言ってくれるな……。何をするつもりなのか、本当に頭が痛い。」
民部卿はさらに肩を落とした。
「民部卿様の姫君が?何を?」
源氏の君が穏やかに尋ねる。
「竹を使った何かが、都で流行るらしい。その流行を作るのだそうだ。」
頭中将が面白がるように言う。
「都の流行を……?話が見えませんね。」
その時、隣に控えていた惟光が、そっと源氏の君に耳打ちした。
源氏の君は一瞬目を細め、静かに頷く。
その様子を頭中将は見逃さなかった。
「民部卿様。女人の考えることは我々には分かり難いものです。気を揉んでも仕方ありません。成り行きを見守るほかありますまい。」
源氏の君は穏やかに言った。
「……そうだな。それしかあるまい。すまない、つまらぬ話に付き合わせた。」
「いいえ。では私はこれで。」
源氏の君は軽く会釈し、退出する。
「私も失礼いたします。」
頭中将も続いた。
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宮中の廊下──
しばらく歩いてから、頭中将が口を開く。
「それで?惟光殿は何と?」
いたずらっ子のような目で源氏を見る。
源氏の君は微笑んだ。
「これから六条御息所様のもとへ向かう。頭中将、今日の予定は?」
「ないね。あったとしても、源氏の君について行く。」
「はは。では牛車で話そう。」
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牛車の中──
揺れが落ち着くや否や、
「それで?」
頭中将が身を乗り出す。
「惟光の息子、惟成が――“近々、大量の古い竹が持ち込まれる家門がある”と言っていたそうだ。」
「……当たったな。」
「ああ。そして――その家の姫君は、ほどなく怒り狂う、とも。」
「…………。」
「…………。」
「おい。」
「ああ。」
「民部卿様の、あの姫君が?」
「……惟成によればね。」
頭中将が頭を抱えた。
「おいおいおい!!あの姫君だぞ!?
嫉妬!情念!執着!の塊みたいな姫君がさらに怒り狂ったらどうなるんだよ!」
源氏の君は苦笑する。
「だから六条御息所様の所へ向かうのだ。惟成には和泉殿の護衛を任せてある。」
「……あっ。」
頭中将が目を見開く。
「この前、惟成と和泉殿が話してた“作戦”……まさか、これか?」
「おそらく……ね。」
呆れ顔の二人を乗せ、
牛車は静かに六条御息所邸へと向かっていった。
牛車が六条御息所邸の前で静かに止まった。
御簾の外では、取次ぎの女房が控えている。そのすぐ横に、腕を組んで立つ惟成の姿があった。
牛車から降りた惟光は、顔を見るなり小声で言う。
「惟成。お前の言った通り、大量の竹が持ち込まれた家門があったぞ。」
惟成は眉一つ動かさず答えた。
「……民部卿邸でしたか?」
「そうだ。」
「やはり、そうですか。少々お待ちを。」
それだけ言うと、惟成はさっさと邸の奥へ消えていった。相変わらず余計な説明は一切ない。
「……あやつ、分かってて置いていくな。」
惟光がぼやく間もなく、ほどなくして女房に呼ばれ、一行は六条御息所の部屋へ通された。
六条御息所と、いつものように穏やかな季節の挨拶を交わす。――が、その穏やかさが続いたのはほんの一瞬だった。
「で!?」
いきなり身を乗り出したのは頭中将である。
「民部卿邸に大量の竹が持ち込まれたそうだが、そう仕向けたのは和泉殿と惟成なのか!?」
声の勢いに、部屋の空気が一瞬揺れた。
源氏の君は落ち着いた顔をしているが、目は明らかに面白がっている。六条御息所も扇で口元を隠しているが、その奥の視線は好奇心で輝いていた。
「私から、順を追って説明しましょう。」
惟成がいつもの抑揚のない声で言う。
「まず、今回は二つの事件がありました。一つは和泉殿誘拐未遂事件。もう一つは、その直後に起きた簪職人の工房での盗難事件です。」
「うむ。」
「誘拐と盗難。普通であれば無関係に思えます。しかし、盗難にあった簪職人が和泉殿と懇意であること、さらに盗まれたのが和泉殿の依頼品のみであったことから、この二つは関係していると考えられます。」
「そこは誰でも分かるな。」
頭中将が腕を組んで頷く。
「問題は、この二つの事件を指示した人物です。実行犯はいずれも下人。となれば、下人の動きを追わねば上の指示役は見えてきません。」
惟成は淡々と続けた。
「盗難の詳細を親方に聞いたところ、事件の直前、不審な男が訪ねてきていました。」
「ああ、依頼品を横流ししろと言った男か。」
「はい。その外見を聞いたところ、和泉殿を攫った男と特徴がほぼ一致しました。」
「つまり同一人物の可能性が高い、ということか。」
源氏の君が静かに言う。
「はい。そしてもう一人、不審な人物がいます。」
惟成は一呼吸置いた。
「和泉殿の飾り髪を教わりに来た女房達の中に、妙に簪の使い方をしつこく尋ねる女房がいました。その女房が仕えていたのが──」
「民部卿邸……でしたね。」
六条御息所が静かに言う。
「はい。取次ぎ役に確認し、その後、民部卿邸へ赴いたところ、和泉殿を誘拐した下人を邸の周囲で見かけました。もっとも、偶然居合わせただけという可能性もありますが。」
「怪しさ満点だが、決定打に欠ける、か。」
頭中将が顎に手を当てる。
「そこで、決定打となる出来事を起こすことにしました。」
惟成はさらりと言った。
「工房から和泉殿の依頼品を盗み出したのは、簪職人の弟子ですから、そこを利用して──」
「なに!?」
頭中将が机に身を乗り出す。
「なぜ分かったのだ!?目撃情報でもあったのか!?」
「……親方から盗まれたと聞いた時から分かっておりました。」
「だから、なぜだ!」
惟成は少しだけ首を傾げた。
「なぜって……盗まれたのは和泉殿の依頼品のみだったのですよ?」
その瞬間、源氏の君がはっと目を見開く。
「そうか。親方は和泉殿だけでなく、他の依頼も多数抱えている。その中で、正確に和泉殿の品だけを持ち出せるのは──」
「親方と弟子だけです。」
惟成が静かに結論を置く。
「……なるほどな。」
頭中将は今度こそ天井を仰いだ。
「親方の話では、不審な男は依頼品を倍額で買うと言ったそうです。弟子はそれに目が眩んだのでしょう。しかし今後も横流しを続ければ、すぐに露見します。」
惟成は淡々と続ける。
「弟子の腕前を聞いたところ、一通りの仕事はできるとのことでした。ならば、横流しよりも別の場所で類似品を作る方が利益になります。おそらく弟子は、近いうちに親方の元を去ると考えました。」
「そして民部卿邸へ行く可能性が高い、と。」
源氏の君が言う。
「和泉殿の依頼品を知っているのは親方と弟子だけです。流行の品を作った経験があると言えば、民部卿の姫君にとっては利用価値が高いでしょう。」
「なるほど……それで竹騒動か。」
頭中将の目がきらりと光る。
「弟子に何をしたんだ?」
部屋の全員の視線が惟成に集まった。




