第34話 竹の檻、噂の糸
親方が竹で作った小物を差し出した。
「これで、いかがですかな?和泉様。」
「……うん。見た感じも、触った感じも――私の予想どおりです。では、試してみますね。」
紗世は同い年ほどの女房の後ろへ回り、器用に髪をまとめていく。
指先がするすると動き、最後に小さな竹の留め具を差し込んだ。
留めた周りの髪を軽く引いて確かめる。
「……うん!!いいです!とても!」
たちまち女房たちが取り囲んだ。
「この髪飾り、小さいわね。」
「今、どうやって留めたの?」
「簪……?でも簪にしては短いし……。」
紗世は別の小物も手に取りながら笑う。
「これは簪とは違います。これは――ピン、と名付けましょう。」
「ぴん……?」
「はい。簪より小さい留め具です。
飾り髪を目立たせるため、このピン自体は隠れるよう小さく作ってもらいました。
こちらは挟みピン。髪を挟んで落ちるのを防ぎます。
ここに花飾りを付ければ、髪に花が咲いたように見えますよ。」
現代のアメピンとパッチンヘアピンのような物である。それらを紗世は手に乗せて見せた。
「良いわね……。」
「これなら私でも使えそう!」
女房たちが感嘆の声を上げる。
紗世は親方へ向き直り、目を輝かせた。
「親方!予想以上の仕上がりです。小さい加工、大変でしたよね。本当にありがとうございます!」
「いやいや。小さい物の細工が私の仕事ですからな。
ですが、この“ピン”は――和泉様のおっしゃる通り、若い竹でなければ無理でしょう。水分があり、しなりがある竹でないと。」
「そうなんです。これは簪みたいに何年も使う物じゃありません。
使えばしなりが弱くなるので、定期的に作って届けてほしいんです。」
「定期のご注文とは、職人冥利に尽きますな。今後ともよろしくお願いいたします。」
「こちらこそ、よろしくお願いしますね。」
その時。
「それが、和泉殿の本来の依頼品か。」
柱の影から、ひょいと顔が出た。
「うわっ!?びっくりした!惟成殿、なんでここにいるんですか?暇なんですか?」
「……和泉。」
女房たちは慌てて扇で顔を隠し、紗世にも扇を差し出す。
(いや……惟成殿には誘拐未遂の時、思いっきり顔見られてるし。
おんぶまでされてるし。今さらじゃない?)
受け取ったものの、紗世はほとんど隠さない。
「暇なのか、って……暇ではない。これも仕事だ。」
「これ、とは?」
「和泉殿の護衛だ。誘拐未遂の件以降、職人や他家の者と会う際は護衛するよう命じられている。」
「へえ……大変ですねぇ。」
「大変だ。だから頼む。護衛中は走らないでくれ。
怪我が悪化したら私の責任になる。」
(まだ言うか!!
ここで反復横跳びでもしてやろうか!?)
紗世はにっこり笑った。
「分かりました。では――走らない代わりに、今日はゆっくり歩きますね。」
「……それで十分だ。」
惟成は小さくため息をついたが、どこか安心したようでもあった。
紗世への試作品を納め終え、親方が工房へ戻り戸を開けた――その時だった。
工房を掃除していた弟子が振り向き、いきなり深く跪いた。
「親方!今日までありがとうございました!
今日限りで、この工房を出ていこうと思います!」
親方は一瞬だけ目を細め、それから静かにうなずいた。
「……そうか。お前が決めたのなら、儂は引き止めん。」
「……すみません。」
「だがな。今までよく働いてくれた。
最後に一つだけ言っておこう。」
弟子は顔を上げた。
「しっかりした物を作り、その対価をもらう。
それが道理だ。
対価は少なくてもいかんが――多過ぎても身を滅ぼす。」
親方はゆっくりと言葉を区切った。
「それを忘れるな。」
弟子は一瞬だけ視線を揺らしたが、深く頭を下げた。
「ありがとうございます。肝に銘じます。
……親方も、お元気で。」
そう言って、静かに工房を後にした。
戸が閉まる。
しばらくして親方は、ぽつりと呟いた。
「……惟成様の言った通り、になったか。
今の言葉の意味――分かってくれるといいんだがなぁ……。」
工房には、重い沈黙だけが残った。
───民部卿邸
邸は妙に騒がしかった。
ガラガラガラ……
ガタン、ゴトッ。
次々と荷車が入り、古い竹が運び込まれていく。
そこへ帰宅した民部卿が立ち止まり、目を見開いた。
「おい!これは何事だ!?
なぜ我が家にこんな竹が届くのだ!」
「……姫君のご指示でございます。」
「姫の!?
姫がなぜこんなに竹を必要とするのだ!?
竹屋でも始める気か!?」
怒気を含んだ足音を響かせ、姫の部屋へ向かう。
ドス、ドス、と床を鳴らす音。
御簾の向こうから、落ち着いた声がした。
「父上がお帰りになったのね。足音で分かりますわ。」
「姫!あの竹は何なのだ!
一本や二本ならまだしも、何十本もあるではないか!」
姫は扇をひらりと開き、半ば顔を隠したまま言う。
「父上。お声を落としください。
足音も声も大きいなど――上位貴族のなさることではございません。」
「……竹の理由を説明しなさい。」
「――あれは、これから都の流行になりますわ。」
「流行?どういうことだ。」
「殿方には関係のない流行です。
ですが女人の間では、いずれ大きな流行になるでしょう。」
扇の向こうで、姫の唇がわずかに歪む。
「その流行には――あの竹が不可欠なのです。
流行すれば、父上も今回の私の判断が正しかったとお分かりになりますわ。」
民部卿は怪訝そうに眉をひそめた。
その時。
「姫君。簪職人の親方が参りました。」
「簪職人の親方?
そんな者が、なぜ当家に……」
姫は小さく笑った。
「ちょうど良いところに。
もう一つの流行に必要なものが来たようですね。
親方を――竹を用意した場所へ。」
「承知しました。」
近江が静かに頭を下げ、音もなく退出する。
その背を見送りながら、民部卿はため息をついた。
「……頼むからな。
変な騒ぎや噂になるようなことだけは、やめてくれよ。」
姫は何も答えなかった。
ただ、扇の向こうで――
かすかに笑っていた。
「近江。親方は――仕様書を持ってきたかしら?」
戻ってきた近江に、姫君は静かに尋ねた。
「はい。確認いたしました。
小物は小さく、使い方も簡単なようでございます。」
「そう。」
姫は満足げにうなずいた。
「では、あとはあの親方が――
ひたすら作り続けるだけね。」
一拍。
扇の奥で、声がわずかに低くなる。
「そして……和泉はもう、
簪や髪飾りなどの小物を入手することは――できない。」
近江は何も言わず、静かに頭を下げた。
「近江。」
「はい。」
「これから、当家の女房から下人まで、機会を見て外で話させなさい。
"最近、飾り髪の話を聞かなくなった。
それは和泉が六条御息所邸を出たかららしい――"と。」
「……承知しました。」
「それから。」
姫は扇を指先で軽く叩いた。
「親方の品が出来て、近江がその簪や髪飾りを使えるようになった頃――」
ゆっくりと言葉を置く。
「和泉は民部卿邸に入ったらしい。
そういう噂を、今度は流すの。」
近江は一瞬だけ目を伏せ、
「……承知いたしました。」
と、淡々と答えた。
沈黙。
やがて姫の喉から、小さな笑いが漏れる。
「ふふっ……ふふふ……」
扇の下で、口元が歪む。
「もうすぐよ。
もう少しで――源氏の君が来てくださる。」
夢見るように、しかしどこか湿った声で続ける。
「評判を確かめに、私を訪ねてくるわ。
……きっと。」
近江は何も言わなかった。
ただ静かに、畳に視線を落としていた。




