第32話 陽だまりの裏
源氏の君と、無表情ながら明らかに「呆れている」空気を纏う惟成。
その横に頭中将。
三人並びで、六条御息所の御簾の前に座っていた。
御簾の向こうから六条御息所が、半眼で三人を見やる。
(……源氏の君と頭中将様…この二人、絶対なにか面白いことがあって来た顔してるわね。)
「だいぶ日差しも暖かくなり、草花も咲き始めてまいりましたね。皆様も健やかにお過ごしでしたか?」
呆れつつも、礼儀と季節の挨拶を欠かさない御息所に、紗世は内心で感心していた。
(やっぱり御息所様、育ちが別格……。)
「ええ。六条御息所様もお変わりなく。相変わらず美しく、気品に満ちておられますな。」
頭中将がにこやかに挨拶を返し――
チラリ。
視線が紗世に向いた。
「こちらの和泉殿は……ふふっ……怪我をなさったと……くふっ……聞きましたが……ふはっ……お加減は……ぶっ……いかがで……」
「頭中将様。」
紗世、即座に低い声。
「そこまで笑いを堪えられないなら、最初から大笑いなさった方が清々しいかと存じますが?」
一瞬の沈黙。
次の瞬間――
「あっははははははははは!!!」
頭中将、完全崩壊。
「聞いたぞ和泉殿!!
ぎっ…牛車から飛び降りたんだって!?
しかもそれで足を怪我したって!?
なにやってるんだ君は!!
牛車は降りるものじゃなくて“乗るもの”だろう!?!?!?」
横で源氏の君が袖で口元を隠しながら、肩を震わせている。
(笑ってるの分かってんだぞ!!そこの瓜!!!!)
心の中で叫びながら、紗世はにこりと微笑んだ。
「ええ。薬師に薬草をいただきましたので、痛みはだいぶ引いております。」
すると――
「ですが。」
惟成が、無表情で爆弾を投下する。
「昨日、再び走って痛めておいででしたが、それは大丈夫なのですか?」
「あっははははははははははは!!!」
(惟成ぃぃぃぃぃ!!余計なこと言うなぁぁぁぁ!!)
「和泉……?」
御息所の声が、妙に静かになる。
「昨日、走ったのですか……?」
「い、いえ!!ちょっとです!!
ちょっとした小走りです!!
走ったって言うほどじゃないです!!
歩行の延長線です!!!」
「……走ったのですね。」
御息所、ため息。
「後ほど、また薬師を呼びましょう。」
頭中将、また噴き出す。
「ははははは!
和泉殿、事件より自分の足の方が大惨事だな!!」
(誰が上手いこと言えと!!)
⸻
「さて。」
御息所が空気を戻す。
「源氏の君と頭中将様は、当家の和泉を心配してお見舞いに?」
「ええ。それもありますが――」
源氏の君が穏やかに微笑む。
「誘拐未遂事件の件で、少し進展があったようで。惟成が調書を取りに行くと聞き、我々も同行した次第です。」
「惟成殿、何かわかったのですか?」
御息所が静かな口調で聞いた。
「はい。」
惟成、即座に切り替わる。
「昨日、和泉殿の飾り髪講習会に、不審な女房がいました。
和泉殿のみが持つ簪の使い方に、異様な執着を見せていたのです。」
「持ってない道具の使い方を知りたがるって、意味なくないか?」
頭中将が即ツッコミ。
「ええ。普通は興味すら持ちません。」
惟成は淡々と続けた。
「話は少し遡ります。
誘拐未遂事件の後、和泉殿の懇意の簪職人の親方の元に、不審な男が現れました。」
「不審な男?」
「和泉殿の依頼品を全て倍額で買い取ると言い、さらに今後の依頼品も横流しするよう唆したそうです。」
「おいおい、犯罪営業じゃないか。」
「親方が断ると、『ならば主の邸に来い』と。」
「強引すぎるだろ。」
「翌朝、依頼品は完成品から製作途中の物まで、全て盗まれました。」
「全部!?!?」
頭中将、身を乗り出す。
「はい。
そして昨日、和泉殿の元に“存在しないはずの簪”の使い方を執拗に聞く女房が現れた。」
源氏の君が頷く。
「つまり――盗まれた簪は、その女房の邸にある可能性が高い。」
「その女房、どこの邸だ?」
「民部卿様邸です。」
紗世が答える。
「昨日、急いで民部卿様邸へ行き調べたところ、周囲をうろつく下人を発見しました。」
惟成が続ける。
「その男は――和泉殿を攫おうとした男でした。」
「……私を攫った、あの男?」
「ああ。間違いない。」
沈黙。
最初に口を開いたのは源氏の君だった。
「……民部卿殿か。」
「民部卿殿の邸には……姫君がいるな。」
「……あの姫君か。」
頭中将と源氏の君が顔を見合わせた。
「あの姫君って……民部卿様の姫君に、何かあるのですか?」
紗世が素直に尋ねる。
頭中将と源氏の君は顔を見合わせ、同時に小さく息を吐いた。
「私も源氏の君も、実際に会ったことはないのだがね……。」
と、頭中将が歯切れ悪く言う。
「……何せ、噂が……ね……。」
「噂?」
紗世が首を傾げる。
「どのような噂なのですか?」
源氏の君が扇を広げながら、少し困ったように口を開いた。
「執着心、嫉妬心、独占欲が非常に強い――と。」
「民部卿という高位貴族の姫君だ。さぞ奥ゆかしく、上品な姫なのだろうと期待されてね。」
頭中将が続ける。
「裳着を済ませたと聞いてから、多くの貴族が覗き見したり、訪ねたりしたのだよ。」
「しかし――」
源氏の君が、少し呆れたように続けた。
「実際に姫君の元へ行った者たちは、その“独占欲”に閉口した。」
「閉口……?」
紗世が身を乗り出す。
「何か、はっきり分かるような言動があったのですか?」
「文だ。」
源氏の君が即答する。
「毎日届く。しかも一日に何通も。酷い時は十通を超えたと聞く。」
「私も実際に、いくつか見せてもらったがね。」
頭中将が肩をすくめた。
「内容が、なかなか……」
「例えば?」
紗世がさらに詰める。
頭中将は指を折りながら言った。
「――なぜすぐ返事を寄越さないのか。
――私を好きなら、特別扱いをしろ。
――他の女の所に通っているのか。
――他の女に一度行くなら、私の所には二度来い。」
一拍置いて、
「――私を蔑ろにしたら、どうなるか分かっているのか。
――あなたが通わなくなったら、私は死ぬしかない。
――今夜来なかったら、私は死ぬ。」
沈黙。
(……うへぇ)
紗世、内心ドン引き。
(メンヘラ界の女王じゃん……執着心、激ヤバすぎる……。)
「なるほど……。」
紗世は表情を整えたまま言った。
「そのようなお方でしたら、さすがの源氏の君も通うのが恐ろしいわけですね。」
「“さすがの源氏の君も”って……」
源氏の君が苦笑する。
「和泉殿、私を何だと思っているんだい?」
「いえ、お優しいお方ですから。」
紗世、さらっと言う。
「どんな評判の姫君でも、どんな立場の姫君でも、どんな年の離れた姫君でも、心を寄せられる方なのではと。」
その瞬間――
ブフッ!
頭中将と惟成が同時に顔を背け、口元を覆った。
「和泉殿……。」
源氏の君、若干引き気味。
「いくら私でも、その恋愛は荷が重い……。」
「そうですか?」
紗世、首を傾げる。
「幼い姫君を美しい姫君に育て上げるような、より厄介な恋愛もできそうな勢いだと思っておりましたが。」
源氏の君の表情が引き攣る。
「いやいやいや、さすがにそれは無かろう?」
頭中将が慌ててフォローする。
「なあ、源氏の君?」
「……和泉殿が、どのように私を見ているのか、今、分かったよ。」
源氏の君は笑ったが、紗世は思った。
(それが、フラグなんだよねぇ…。)
「それにしても、和泉殿。本当に十二歳なのかい?
その発想の回転速度、ちょっと異常だよ。もっと優秀になれば、小野篁様のように閻魔様のお手伝いができるのではないかい?」
紗世、にっこり。
「そうしたら、浄玻璃鏡で源氏の君の生涯を拝見したいですね。
……あ、ついでに頭中将様のも。」
「それだけは、やめてくれ……。」
頭中将、真顔。
⸻
その空気を、惟成が静かに切った。
「……話を戻します。」
一瞬で場の空気が引き締まる。
「確かに民部卿様の姫君の性格的には可能性はあります。しかし現時点では物証が足りません。」
淡々と続ける。
「実行犯は下人です。高位貴族の姫君が関与を拒否すれば、姫君の証言の方が優先されるでしょう。
現状では、全て憶測の域を出ない。」
一拍。
「――なので、もう一押し、必要です。」
惟成が、わずかに口角を上げた。
それを見て、紗世も同じように笑う。
「では、惟成殿。」
一歩、声を落とす。
「以前、簪職人の親方と三人で話した作戦……始めても?」
「ええ。」
惟成、即答。
「そうしてください。」
六条御息所、源氏の君、頭中将は顔を見合わせた。
「……何の話だ?」
「……全く分からん。」
「……嫌な予感だけはする。」
三人の視線の先で、
惟成と紗世だけが、完全に同じ“企み顔”をしていた。




