第31話 差し出されるもの
その日、紗世は再び他家の女房たちを六条御息所邸に招き、飾り髪の講習会を始めようとしていた。
「飾り髪の手ほどきの前に、皆様にお詫びせねばならぬことがございます。」
「和泉殿が? 何を謝るというのです?」
「前回、皆様の分も簪や髪飾りを注文するとお伝えしましたが、まだ材料が揃わず……職人から、納品には今しばらく時間がかかるとのことでした。申し訳ございません。」
「いえいえ。和泉殿が謝ることではございませんわ。簪や髪飾りの材料は竹や麻など植物ですもの。時期が外れれば調達しにくいのでしょう。」
「そう言っていただけると助かります。では本日は、簪を使わず、飾り紐や飾り布を用いた飾り髪をお教えいたしますね。」
そう言って紗世は、色とりどりの飾り紐や飾り布の入った箱を出した。
女房たちは一斉に箱を覗き込み、「まあ」「素敵」「綺麗」と声を上げる。
――が。
ひとりだけ、その輪から微妙に外れている女房がいた。
その様子を、柱の影から惟成がじっと見ていた。
────
講習会が終わり、帰り支度が始まった頃。
ひとりの女房が、紗世のもとへ近づいてきた。
「和泉殿、本日もありがとうございました。」
にこやかな笑顔。
……なのに。
(この人……講習中、ほぼ無言だったよね?
無表情で、ちょっと怖いくらいだったのに……急に営業スマイル……。)
「いえ。本日は予定通りの内容ではなくなってしまい、申し訳ございません。簪を使った飾り髪は、また次の機会に……。」
「もともと今日は、どのような飾り髪を教えるご予定だったのですか?」
被せ気味。
圧、強め。
「え?……ええと……左右の髪を束ねて三つ編みにして、それを、こう……」
人差し指でくるくる。
「……くるくるっと……」
(自分で説明してて意味わからん。)
「では、どのような簪や髪飾りを使う予定だったのですか?」
「このくらいの長さの、波々した簪で……一本差しじゃなくて。
あと、竹の大きめの飾りで……髪の多い方に映える感じで……。」
「今、それらは、手元にひとつもないのですか?」
「私の分はありますけど、皆様の分がないので。
今日やっても、皆様ができませんから……。」
「そんな……ぜひ拝見しとうございます。」
「いえ、皆様もう帰り支度も――」
「今ここで、少し見せていただくだけで良いのです。」
(圧が……圧がすごい……。
こういう人いるよねー!!
“自分だけ特別枠”タイプ!!)
苦笑いでかわそうとした瞬間――
ガシッ。
手を掴まれた。
「どうか……どうか、見せてはいただけませぬか?」
(無理無理無理無理!!この人、引く気ゼロ!!)
その時だった。
「和泉殿。」
六条御息所邸の女房仲間が立っていた。
「御息所様がお呼びです。」
「あっ……! 申し訳ございません。主人に呼ばれておりますので、失礼いたします!」
(神!!!)
逃げるように場を離れる紗世だった。
廊下を進んだところで――
「和泉殿。」
振り返ると惟成。
「御息所様のところか?」
「はい。呼ばれましたので。」
「嘘だ。」
「え?」
「御息所様が呼んでいるというのは、嘘だ。」
「は? え? 嘘? なんで?」
「丁寧語、忘れてるぞ。」
「今そこ重要じゃないし、お互い様だし!」
「さっきの女房、絡まれてただろう?」
「あー……見てたの?」
「見てなくても分かる。どう考えても怪しかっただろ。」
「確かに執拗だったけど……。」
「それだけじゃない。」
惟成は、少し真面目な顔になる。
「飾り紐と飾り布だけだと知った瞬間、興味を失っていた。」
「……うん。」
「飾り髪を習いに来ているのに、不自然だろう。」
(確かに……。飾り紐も飾り布も他家の人達は初めて見るから、簪を使わなかったとしても興味はあるはず。
簪を使った飾り髪を見ても、自邸でできなければ意味がな……。)
…………!!!
「ッあーーーーーっ!!」
「うるさい。」
「わかった!!」
「声量落とせ。」
「わかったってば!!」
惟成は頭を掻きながら言う。
「あの女房、自邸に簪があるんだろ。」
「だから早く、簪を使った飾り髪を見たかった……。」
「そういうこと。」
「でも私……簪、使わなかった……!」
「だから余計に焦っての、あのしつこさだったんだろ。」
「あの女房の……家門……!」
「調べるべき事に気付いたか。」
「取次ぎ所行く!!」
紗世は走り出す。
「おい! 走るな!!」
「無理!!!」
「怪我!!」
「知ってる!!!」
「知ってて走るな!!!」
「いいったあああああああ!!!!!」
─────
牛車の中で、件の女房――近江は静かに考えていた。
(和泉から、あの奇妙な形の簪や、よく分からない髪飾りの使い方は聞き出せなかった……。
今日教えてもらった、飾り紐や飾り布の飾り髪で、納得してもらえるかしら……。
……いいえ、無理ね。)
姫君は“特別”でなければならないのだ。
(他家の姫もしている飾り髪など意味がない、と……また癇癪を起こすわね。)
牛車が邸に着くと、門の方で何やら騒ぎが起きていた。
職人風の男が、門から転がり出るようにして放り出されている。
(……あの男。以前、下人が連れてきた簪職人の親方……。)
(和泉の新しい簪でも持ってきたのかしら?
……にしては、追い出されたような様子ね。)
近江は牛車の中から、蔑むような視線で職人を見下ろした。
(この男が何か粗相をしたのなら……)
ハァ……
小さく、ため息をつく。
(今日の報告……気が重いわね。
癇癪は、どれくらい続くのかしら……。)
「姫君、近江がただいま戻りました。」
取次の女房が告げる。
「近江、お入りなさい。」
静かに几帳の内へと入り、近江は膝をついた。
「ただいま戻りました。……先程、外で簪職人の親方を見かけましたが。」
「ああ。あの役立たずの親方ね。」
姫君は苛立ちを隠そうともせず言い捨てた。
「職人というものは、依頼人の品物の用途を聞いて作るものではないの?
だから、あの簪や髪飾りの使い方を知っていると思って呼んだのよ。」
「……しかし、“役立たず”ということは――」
近江が言いかけた、その瞬間。
バシッ!!!
鋭い音とともに、扇が几帳を叩いた。
「そうなのよ!!
職人の癖に、依頼品の使い方も聞いていないの!!
しかも親方でしょう!?
弟子がいる立場でしょう!!!?」
(……ああ。始まる……。)
近江は悟った。
これから降りかかる災難を。
「近江。今日は六条御息所邸へ行ったのでしょう?
あの簪や髪飾りは、どう使うものだったの?」
「……本日は、簪類は一切使わない飾り髪でした。」
近江は感情を交えず、淡々と報告する。
「私たちに渡す分の簪が用意できなかったため、とのことです。簪がなければ、自邸で再現できないだろうから……と。
簪職人の元から、和泉殿の依頼品を全て奪ったことが、裏目に出たようです。」
「……つまり、なに?」
姫君の声が低くなる。
「……あの簪や髪飾りは、使えないということ?」
「はい。」
バァンッ!!!
扇が柱に叩きつけられた。
床に落ちる音が、異様に大きく響く。
その扇を横目に、近江は再び口を開いた。
「簪の使い方は、教えてはもらえませんでした。
……ですが……」
懐紙を取り出し、すっと差し出す。
「……何よ、それ。」
荒い呼吸を抑えながら、姫君が問う。
近江は懐紙を広げた。
そこには――数本の髪。
「……和泉殿の……髪でございます。」
一瞬の沈黙。
そして――
姫君の口元が、ゆっくりと歪んだ。
「……いいわ。」
静かな声。
「簪の使い方を聞き出せなかったことは……許してあげる。」
近江は何も言わず、静かに頭を下げた。




