第30話 奪われた簪、囲われる職人
六条御息所に生霊適正ゼロの判定が下された翌日。
昼間、紗世に来客があった。
取次ぎ役から「簪職人が来ている」と告げられ、警戒しながら門へ向かうと、そこには見慣れた姿があった。
背が低く、特徴的な猫背──
紗世が懇意にしている、簪職人の親方だった。
「親方ではないですか。どうされたのですか?!」
そう声をかけるやいなや、親方はその場に土下座した。
「申し訳ありません!和泉様!!」
突然のことに、紗世は慌てる。
「ちょ、ちょっと親方!!突然どうしたんですか!顔をあげてください!!」
「和泉様からご依頼いただいていた品物が……製作途中のものから完成品まで、すべて盗まれてしまったようなのです」
「盗まれた!?いつ?いったいなぜ……」
「昨日の朝までは確かにありました。ですが、今朝、和泉様のご依頼品の数を確認しようと、工房の外にある納品前の品を入れる小屋へ行ったところ……和泉様の分だけが、すべて無くなっていたのです。
なので……お約束の日にご依頼品をお渡しすることができなくなってしまいました……申し訳ありません……。」
親方は地面に額を擦りつけ、再び紗世に詫びた。
「……そんな……。」
「弟子にも聞きましたが、弟子も“知らない”“分からない”と……。」
紗世はハッとした。
「親方。二日前の夕方頃、弟子を私のところへお使いに出しましたか?」
「二日前……ですか?いいえ、頼んでおりません。何かございましたか?」
紗世は、二日前の夕方に誘拐されかけたこと、そして自分を呼び出したのが「簪職人の弟子」と名乗った者だったことを話した。
「いいえ、いいえ!!弟子を使いになど出しておりません!ましてや和泉様を誘拐など……とんでもありません!!」
「そうですよね。親方や職人さんが私を誘拐しても、何の得もありませんよね。」
親方は、ふと顔をあげた。
「……そういえば、昨日の朝早く、妙な男が私のところを訪ねてきました。もしかしたら、その男と関係があるのでは…。」
「昨日の朝?その男は、何の用で親方のところへ?」
「和泉様からのご依頼品を、倍額で買い取りたいと言ってきたのです。」
「はあああ?私の依頼品を横取りしようとしたってことですか!?」
「ええ。もちろん断りました。ただ、横取りしようとしただけではなかったのです。」
「それは、どういう……?」
「その男は言いました。
和泉様からの依頼品は倍額で買い取る。
しかし今後も和泉様の依頼は受けろ。
そして、受けた依頼品もまた倍額で買い取る、と。
和泉様には“制作途中で割れてしまった”などと申して、誤魔化せばよい、とも……。」
「………。」
紗世は絶句した。
だが同時に、これは誘拐犯の手がかりになるかもしれないと感じた。
「親方。明日、もう一度屋敷へ来ていただけませんか?
そして、私の依頼品の再制作には、まだ手をつけないでいてください。」
「はい。また明日、お伺いします。」
そう言って親方は帰っていった。
そして紗世は、惟成へ文を書き始めた。
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翌日。
親方が再び六条御息所邸を訪れると、中門廊に通され、待つように言われた。
しばらくして、紗世と惟成がやってきた。
親方は慌てて頭を下げた。
「私は左兵衛府が兵衛志、源惟成だ。そなたにいくつか聞きたいことがある。」
「はっ……はい!なんなりと!」
「二日前の朝に訪ねてきた男は、どこから来たと言っていた?
そして、どのような見た目の男だった?」
「どこから来たかは申しておりませんでした。見た目は……口髭をたくわえ、年は若くなく、初老ほどかと。」
紗世が続けて聞く。
「髭を生やして、初老くらい……体格は?痩せ型ではありませんか?」
「はい。身体は痩せていました。」
「髭、初老、痩せ型……和泉殿を攫った男の外見と似ているな……。
和泉殿の依頼品を倍額で買う、という以外に、何か言っていたことはあるか?」
惟成は顎に手を当てながら尋ねた。
「今後も和泉様の依頼品は受けろ、と言っていたのと……あ!あと、依頼品を売れないなら、私自身に邸に来いと……。」
「親方に?親方自身に、邸へ来いと?」
「はい。依頼品を渡すわけにはいかない、帰れと言ったら、それならせめて親方が我が屋敷に来てほしい、と……。」
「簪などの髪飾りが欲しいだけではないのか……?
和泉殿、髪飾りの依頼は、この親方以外にも?」
「いいえ。この親方以外の職人には依頼していません。
私の依頼は少々変わっているので、受け付けてくれる職人がなかなかおらず……この親方だけが快く引き受けてくださったのです。」
親方は照れくさそうに下を向いた。
「つまり、和泉殿の簪や髪飾りは、この親方が独占しているということだな。」
「親方がいなくなったら……できる飾り髪が大幅に減ります。
簡単で、誰でもできる飾り髪しかできなくなります。」
「それだ!」
惟成が珍しく声をあげた。
「相手は、和泉殿から飾り髪を取り上げたいのだ。
だから特別な簪や髪飾りが和泉殿の手に渡らないようにし、それを作る職人を自分のところで囲い込もうとしているのではないか?」
「確かに……でも、なぜ……?
飾り髪の結い方は、徐々に他家の女房にも教えていくと言っているのに……。」
「それが嫌なのではないのか?」
「え?」
「特別なものも、皆に知れ渡り、皆が持つようになれば、特別ではなくなる。
和泉殿が持つ特別は、技術と、ひとりの職人しか作れない簪や髪飾りだ。
皆に教えることで、技術は特別ではなくなる。
だが、簪や髪飾りは?」
「あ……!」
(私も親方の簪や髪飾りがなければ、技術があっても無理だ。
でも、技術がなくても、簪や髪飾りで試行錯誤すれば、できるようになる可能性はある──)
「親方。和泉殿の簪や髪飾りを作れるのは親方だけか?弟子は?」
「簡単なものなら弟子でも作れるとは思いますが……
和泉様の依頼は簡単に見えて、意外と技術が必要なものが多いので、一応作れはするでしょうが、品質は保証できないかもしれません。」
「……ちなみに、二日前の朝も弟子はその場にいましたか?」
「はい。男とのやり取りは、すべて聞いていました。」
「そのやり取りについて、弟子は口を挟みましたか?」
「いいえ。ただ横で聞いていました。
私は腹が立って工房に入ってしまったので、その後、男と弟子が何か話したかは分かりません。」
「弟子は、その後も工房に?」
「いいえ。男が帰った後、すぐ外出しました。
今後、和泉様の注文が増えるかもしれないから、小物の材料屋を回ってくる、と……
いつもはそんなことをしないのですがね。
怪しげな男が来るほど、和泉様の飾り髪が流行っていると感じて、今後の注文に備えようとしたのでしょう。」
惟成は少し考える素振りを見せてから、顔をあげた。
「和泉殿、親方。私に少し考えがあります」
そう言って、二人に小声で話し始めた。




