第29話 生霊疑惑と生霊適正
「和泉殿や六条御息所様は、その男たちの言う“あるお方”に、何か心当たりはございますか?」
そう問われ、紗世と御息所は自然と視線を合わせた。
御息所は小さく首を振り、紗世もまた、静かに同じ仕草で応じる。
「私も六条御息所様も、心当たりはございません。ただ……都のほとんどの家門から、飾り髪をしてほしい、教えてほしいという文を頂いておりました。その中の、どなたか……ということくらいしか……。」
紗世は困惑を滲ませながら、そう答えた。
「和泉殿の結う飾り髪は美しいからね。都の流行りになるのも当然だとは思うが……しかし、まさか、こんな事態になるとは。」
源氏の君は扇をぱちぱちと開閉しながら、静かに言った。
「容疑者が絞れぬうちは、外出や邸の敷地から出ることは控えた方がよいでしょう。和泉殿にはご不便をおかけしてしまいますが……。」
惟成が申し訳なさそうに頭を下げる。
「……そうですよね。誘拐しようとするほどだなんて……少し、常軌を逸しているというか……相手の感情が、怖いです……。」
「和泉殿に飾り髪をしてほしいという想いが、あまりにも強くなりすぎて……執念のようなものに変わってしまったのかもしれないな。」
その言葉に、紗世ははっとした。
「……そういえば、近頃、都で女人が突然苦しみ出すという噂……源氏の君も、倒れた女人に居合わせたとお聞きしました。祈祷師によると、生霊や呪詛の疑いがあるとか……その方は、その後どうなったのですか?」
源氏の君は、少しばつの悪そうな表情で横目に六条御息所をちらりと見る。
しかし、御簾の向こうの御息所は、さらに深く扇で口元を隠しており、表情は窺えなかった。
「……もう知っているのだね。身分は高くはなかったが、倒れた場に居合わせたのも仏の縁と思ってね……その後、何度か様子を見に行った。」
「その方の体調は、回復されたのですか?」
源氏の君の様子に気づきながらも、紗世は踏み込んで尋ねた。
「……それが、倒れて以降、夜が恐ろしくて眠れぬと言っていた。眠ると、悪夢を見るそうだ。」
「悪夢……?」
「ああ。見知らぬ女の手が、あちこちから伸びてきて……腕や足、髪を引き、首まで締め上げようとするのだと。」
「……でも、それは夢、なのですよね?」
御息所が、怯えた声で尋ねる。
「私もそう思った。夢だ、大したことはないと……だが、目覚めると、手足や首に手形が残っていたこともあったと言ってね。あまりの恐怖に、泣き崩れてしまったのだ。」
「そんな……。」
紗世は言葉を失った。
この世界では、生霊や呪詛が、あまりにも容易く人を蝕み、命にすら至らせる。
「生霊や呪詛の可能性があると……誰によるものかは、まだ分からないのですか?」
御息所は、青ざめた顔で問いかけた。
「陰陽師に見せたが、人物の特定には至っていない。ただ、複数の相手に対して呪詛や生霊を飛ばしているのは“女”だと言っていた。
本来は特定の一人に向けて行うものだが……今回は複数に及んでいる。それが厄介だと。」
(複数……瓜が通った場所の数だけ、ってことじゃないの?)
重苦しい空気の中で、紗世は思わず内心で突っ込んでしまった。
「……感情が、あまりにも強くなると……人は、ここまで変わってしまうのですね。」
「強くなりすぎた想いが、人を拐かし、生霊を飛ばし……人を、恐ろしいものへと変えてしまう……。」
六条御息所は目を伏せ、静かに呟いた。
源氏の君と惟成が帰った後、御息所は紗世以外の女房をすべて下がらせた。
(……え? なに?
なんで私だけ残されたの?
ホラー展開の導入?)
紗世は思わず、御簾の向こうをちらりと見た。
「……和泉……。」
「ッ、はい!」
落ち着いた御息所の声とは裏腹に、ひっくり返った返事が出た。
「和泉は……生霊を飛ばす人間とは、どのような者だと思いますか?」
(急に哲学問答きたーーー!!
なにこの面接みたいな質問!?
正解どれ!?どれ選ぶ!?)
「え、ええと……
自分の気持ちを表に出せない人、とか……
嫉妬の気持ちをずっと抱え込んでいる人……とか、でしょうか……。」
沈黙。
(……怖い。
なにこの間。
ホラー映画の“来る前の静寂”みたいな間。)
ドキドキしながら次の言葉を待つ。
「……女人が突然苦しみ出すという話……
もし、それが呪詛ではなく、生霊の仕業だとしたら……」
御息所は一度言葉を止め、小さく息を吐いた。
「生霊の正体は……
私かもしれません。」
(なにいぃぃぃぃ!?!?
急に自白!?
急にカミングアウト!?
展開がジェットコースター!!)
紗世は内心パニックになりながらも、必死に平静を装った。
「……なぜ、そう思われるのですか?」
「……私は、自分が思っている以上に……
源氏の君に惹かれていたようなのです……。」
(あの瓜に!?)
「常陸宮の姫君の元へ和泉を伴って行くと言った時も……
夕顔の生垣の女人の話を聞いた時も……
心が、ざわついて……。」
(私もざわついたわ!!
あの好色男がって!!)
「年齢も離れています……。
この気持ちは抑えねばと思っているのですが……
どうしても、源氏の君の噂を聞くと……
嫉妬……というのでしょうか……。
自分の中に、醜い気持ちがあると気付いてしまって……。」
(いや普通普通!!
令和ならホスト案件だよそれ!!
自分の姫が刺すやつ!!)
「…………あの、六条御息所様……。」
御息所の肩が小さく震えた。
「当っっっったり前でしょうがぁぁぁぁ!!!」
御息所が、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。
「好きな殿方が他の女人といるって聞いたら、誰だって嫉妬します!!
嫉妬しない方が異常です!!
嫉妬しないってことは、そんなに好きじゃないってことです!!」
御息所「……」
「殿方は複数の女人の元へ通うのが常識?
だから嫉妬するな?
無理です無理無理無理無理!!!」
完全にマシンガントークが始まった。
「好きな人が自分以外の人と仲良くしてたら嫉妬するのは普通!
王道!
テンプレ!
恋愛の基本構文!!
第一!!」
「てんぷ…え?基本こう…?」
びしっと指を突き出す。
「源氏の君なんて!!
年上から幼女まで守備範囲オールラウンドの恋愛フリースタイル男ですよ!!」
「おーるら…?ふりー……??」
「六条御息所様以外にも、生霊飛ばしたくなる女人なんて、そこら中にいますからね!!!」
沈黙。
「……普通……
この嫉妬という気持ちが……?」
「普通です!!!
ド・ノーマルです!!!」
「……(ど、のーまる?)しかし、自分の恋心のために……
他人の不幸を願うなど……
恐ろしいことでは……。」
「人間なんて自分が一番可愛いんです!!
他人の不幸より、まず自分の幸せ確保が最優先です!!
自分が不幸な状態で、他人を思いやれる余裕なんてありません!!」
「……女人は穢れた存在とも言われ……
せめて心だけは清く……と……思うのです。」
「穢れた存在がいなきゃ、男も女も生まれません!!
穢れた存在から生まれたなら、全員穢れてます!!
全員です!!!」
御簾の向こうの空気が変わった。
「……御息所様、はっきり申し上げます。」
「は、はい……。」
完全に立場逆転。
「御息所様は、生霊を飛ばす人間に向いてません!!!」
「……えぇ……?」
「生霊を飛ばせる人ってのは!!
他人が不幸になろうが関係ない人間です!!
『私が生霊かも』とか『醜い心が』とか悩む人は!!
生霊適性ゼロ、無し!です!!!」
「……生霊適性、無し……。」
「足りません!!
圧倒的に足りません!!
人を呪う覚悟と執念が!!!」
「……はい……。」
「ちなみに最近!!
夢の中で女人の首絞めたり!!
引きずり回したりしてませんよね!?」
「……それは……ないけれど……。」
「はい確定ーーー!!!
生霊じゃありません!!!
この和泉が正式に判定します!!
異議申し立ては受け付けません!!!」
御簾の向こうで、六条御息所が俯いた。
……そして次の瞬間。
「……ふふ……」
「ふふふ……ふふふふふふ……」
静かな笑い声が、御簾の奥から溢れ出した。




