第23話 彼女その1と彼女その2、邂逅する
その日、六条御息所邸に一人の来訪者があった。
常陸宮の姫君──末摘花である。
先触れの文には、
「和泉に礼を伝えたいこと、そして和泉の主人である六条御息所様にご挨拶と感謝を申し上げたい」
との旨が、丁寧な筆致で記されていた。
紗世は、
(言わば“彼女その一”と“彼女その二”の邂逅じゃん……修羅場……とか……大丈夫……だよね??)
と内心ひやひやしていたが、六条御息所は普段と変わらぬ穏やかな表情で
「お待ちしておりますとお返事を。」
と静かに言った。
末摘花は六条御息所の前に座ると、深々と頭を下げ、六条御息所と紗世の双方に丁寧に礼を述べた。
そこにいたのは、かつての暗く陰鬱な末摘花ではなかった。
淑やかでありながらも、どこか明るく、柔らかな気配を纏った姫君がそこにいた。
「常陸宮の姫君、お久しゅうございます。
今日のお召し物も、飾り髪も、誠にお美しいですね。
私は何もしておりません。和泉が姫君のお力になれたのであれば、それだけで十分でございます。」
末摘花の飾り髪は、紗世が施した編み方を基に、少し工夫を加えた美しい形に整えられていた。
末摘花邸の女房たちが、自ら考え、手を加えたものなのだろう。
(編み方、少し変えたんですね!)
(頑張ってみましたよ。)
末摘花の傍に控える女房・しのと紗世は、目だけで小さな会話を交わしていた。
穏やかな談笑が続いたその折、不意に六条御息所が静かに問いかけた。
「……最近、常陸宮の姫君のもとに、源氏の君はお立ち寄りになられましたか?」
空気が、わずかに張りつめた。
紗世は内心で息を呑んだ。
(やっぱり……好きな人の動向は気になるよね……。
“よくいらっしゃいます”なんて言われたら……。)
しかし、末摘花の返答は意外なものだった。
「いいえ。最後にお会いしたのは、私に仕立てて下さった衣を届けて下さった時で……
それ以来、ぱったりと。」
「……そう、ですか。」
六条御息所の声には、わずかな安堵と、それ以上に、
(いずれ私のもとへも、源氏の君は通わなくなる)
という予感に似た寂しさが、静かに滲んでいた。
だが末摘花は、明るい声で続けた。
「私と源氏の君とは、歳も離れておりますし、会話でも気を遣わせていたと思います。
ですから……実は、いらっしゃらなくなったことに、少し安堵しているのです。
それに……」
そう言って、末摘花はふと顔を赤らめた。
(……え、常陸宮の姫君、なんか……顔赤くして……
クネクネしてない??大丈夫そ??)
六条御息所も異変に気づいたのか、紗世と一瞬視線を交わし、末摘花を見つめた。
「……それに?
何かあったのですか?」
六条御息所が静かに問う。
「あっ……あの……その……じ、実は……
最近……式部卿様が……三夜続けて……その……通って下さって……。」
「……ええ!?」
思わず、紗世の口から声がこぼれ落ちた。
六条御息所も一瞬目を見開いたが、すぐに静かな微笑みに戻し、末摘花をまっすぐ見つめた。
「……それは、通いが三夜、ということですか?」
その問いに、末摘花はさらに顔を赤らめ、小さく頷いた。
「はい……。初めはご挨拶だけのつもりだと仰っていたのですが……一夜、また一夜と……気づけば三夜続けて……。」
声はか細く、けれど隠しきれない喜びが滲んでいた。
通い婚。
三夜続けて男が通えば、それはもはや“偶然の訪れ”ではなく、“関係の成立”を意味する。
紗世は思わず(え、普通にそれ、成立じゃん……。)と心の中で呟いた。
六条御息所は少しだけ視線を伏せ、ゆっくりと息を整えてから、穏やかな声で言った。
「……それは、良いご縁でございますね。」
その声は柔らかく、祝福の言葉だった。
けれど、その奥に、わずかな寂しさと諦観が混じっていることを、紗世は感じ取っていた。
「式部卿様は、姫君をどのように仰っているのですか?」
と、六条御息所。
末摘花は少し考えてから、照れたように微笑んだ。
「……“都には、同じ顔立ちの姫君ばかりがいるが、そなたは違う”と。
“異国の姫のようだ”と……仰っていました。」
その言葉に、しのがそっと目を伏せて微笑んだ。
紗世は(あぁ……この人、本当に救われたんだな……。)と胸の奥がじんわり温かくなるのを感じていた。
六条御息所は静かに頷いた。
「式部卿は、唐土や外つ国の話を好む方。
異国の文化や人の姿を、恐れではなく“美”として捉えるお方です。」
そして、末摘花を見て、はっきりと言った。
「姫君は、ようやく“見る目を持つ人”に出会われたのですね。」
末摘花の目が、潤んだ。
「……はい。」
その一言には、長い孤独と、報われた想いがすべて込められていた。
座敷に、しばし静寂が落ちる。
誰もが、それぞれの思いを胸に抱えていた。
紗世はふと六条御息所の横顔を見た。
そこには嫉妬も怒りもなく、ただ静かな諦念と、気高さだけがあった。
(この人……ほんとに、強いな……。)
その時、六条御息所が、穏やかな声で言った。
「常陸宮の姫君。
どうか、ご自身の幸せを疑わないでくださいませ。」
「……はい。」
「姫君が笑って生きていくことこそが、何より尊いのです。」
末摘花は深く頭を下げた。
「ありがとうございます……六条御息所様。」
その光景を見ながら、紗世は思った。
(これはもう、“恋”の話じゃない。
“救済”の話なんだ。)
源氏の君ではなく
都の流行でもなく
若さでも、権勢でもなく。
ただ、“正しく見る人”に見出された人生。
それが、末摘花の再生だった。




