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第14話 御息所、感想を述べる(※大事件)

その翌日、六条御息所邸に、源氏の君の来訪を告げる声が響いた。


紗世は反射的に御息所の方を見る。


(来た……!タイミング、絶妙すぎるだろ、あの瓜……。)


御息所は一瞬だけ目を伏せ、すぐにいつもの静かな佇まいへ戻った。

だが、紗世にはわかった。ほんのわずか、呼吸が深くなったことを。


「……お通しして。」


声は落ち着いている。けれど、完全な無風ではない。


源氏の君が御簾の外に姿を現すと、場の空気がふっと華やいだ。

香が先に届き、次いで源氏の君の明るい声。


「御息所様。今日は少し、日が和らいでおりますね。」


(相変わらず顔と声と雰囲気で全部持ってく男だな……瓜だけど。)


御息所は扇子で口元を隠し、ゆるやかに答える。


「ええ。春の兆しでしょうか。お変わりなくお過ごしでしたか。」


その声音は、いつも通り。

――だが。


源氏の君が腰を下ろした、その瞬間。


御息所の視線が、ほんの一拍、長く彼に留まった。


(今!!今の!!見た!?

一瞬“待ってた”って目してたよね!?!?)


紗世は内心で大騒ぎだったが、顔には一切出さない。

女房としてのプロ意識。


「今日は、しばらくご無沙汰してしまいまして。」

源氏の君は、どこか申し訳なさそうに笑った。

「他所へ顔を出す用向きが重なってしまい……。」


(出た。“他所”)


一瞬、御息所の指が扇子をきゅっと握る。


――ほんの一瞬。


だが、確かに。


「……そうでしたか。」

声は変わらない。

「お忙しいのは、よいことです。」


(いや今!!

今ちょっとだけ圧あった!!

“へぇ?”って感情、乗った!!)


源氏の君は、当然のように気づかない。


「御息所様は、相変わらずお変わりなく。」

そう言って、柔らかく微笑む。

「こうしてお話できると、心が落ち着きます。」


御息所は、少しだけ――本当に、ほんの少しだけ間を置いた。


「……それは、光栄です。」


そして、扇子の奥で、かすかに口角が上がった。


(来た!!

感情を“出しすぎない”けど、“ゼロにもしてない”やつ!!

昨日の話、もう効いてる!!)


紗世は、心の中でガッツポーズを決めた。


源氏の君は、その変化を「いつも通りの高貴さ」として受け取ったまま、穏やかに話を続ける。


「今日は、ゆっくりお話できそうで嬉しいです。」


御息所は、静かに答える。


「……ええ。では、どうぞごゆるりと。」


その声には、かすかだが確かに――

“来てくれて嬉しい”という温度が、宿っていた。


(よし……生霊ルート、今のところ回避中……!!

このまま、“感情を閉じ込めない御息所様”でいきましょう……!!)


紗世は、そっと二人から視線を外し、静かに控えの位置へ下がった。

胸の奥で、小さく確信していた。


――この人は、もう

「想いを抑え込むだけの御息所」では、ない。



源氏の君は、御簾の向こうの気配を柔らかく探るように、少し声の調子を落とした。


「……御息所様。こちらへ伺うたび、思うのですが」

一拍置く。

「このお屋敷は、落ち着きます。庭も、女房の方々も、そして――」


言葉を切り、軽く笑った。


「御息所様ご自身も。」


(ほら来た。褒めターン。)


御息所はすぐには答えなかった。

扇子で口元を隠したまま、わずかに首を傾げる。


「……そのように感じていただけるのは、ありがたいことです。」


(あっ、今回は即“否定謙遜”しなかった!!)


紗世は内心、静かに驚く。


源氏の君は続ける。


「私は、どうにも落ち着きのない性分で。

つい、あちこち顔を出してしまうのですが……。」

少し、照れたように。

「こちらへ来ると、不思議と、長居をしてしまう。」


御息所の指が、扇子の縁をなぞった。


「……お若い方は、動いてこそでしょう。」

そう言いつつ、

「一ところに留まるばかりでは、見えるものも限られます。」


(おっ、来たぞ。“責めないけど、完全肯定もしない”)


源氏の君は、その含みを“大人の余裕”と受け取ったらしく、楽しげに笑った。


「そう仰っていただけると、気が楽になります。

私は、時折――」

言いかけて、少し言葉を選んだ。

「誰かを煩わせてはいないか、と考えてしまうことがありまして。」


(おい瓜、急に殊勝だな。)


御息所は、ほんの少しだけ扇子を下げた。


「……人は皆、誰かに煩わされ、誰かを煩わせながら生きるものです。

それを恐れて何もせぬ方が、よほど寂しいでしょう。」


(御息所様……今の、だいぶ“本音寄り”では……?)


源氏の君は、一瞬、言葉を失った。


「……そうですね。」

静かに、そう返す。

「御息所様と話していると、時折、胸の奥を見透かされる気がします。」


「まあ。」

御息所は、かすかに笑みを含んだ声で言った。

「そのようなこと、した覚えはございませんよ。」


(いやしてる。無自覚で。)


沈黙が落ちた。

重くない、むしろ柔らかな間。


その空気を、源氏の君が破る。


「……私が、もし、どこかへ行き、また戻ってきたとして」

少し、探るように。

「それでも、ここは……変わらず迎えていただけるのでしょうか。」


(来たーーーー!!

それ言う!?

それ聞く!?)


紗世は心の中で叫んだ。


御息所は、すぐには答えなかった。

長い沈黙。


やがて、穏やかだが、芯のある声。


「……来てくださる方を、追い返すことはいたしません。けれど──」

一拍。

「去る方を、引き留めることも、いたしません。」


源氏の君は、息を吸った。


「……なるほど。」

そして、少しだけ苦笑する。

「厳しくも、優しいお言葉です。」


御息所は、扇子の奥で、ほんのわずかに微笑んだ。


「そうでしょうか。私はただ……」

言葉を選ぶ。

「自分の心まで、縛られぬようにしているだけです。」


(……御息所様、もう“感情を押し殺す人”じゃない。)


紗世は、確信した。


源氏の君は、しばらく黙ってから、静かに言った。


「では――


私は、また参ります。」


それは、約束とも、予告とも取れる言い方だった。


御息所は、静かに答える。


「……ええ。どうぞ。」


その声には、

期待も、拒絶も、どちらも少しずつ含まれていた。


(よし……

依存一歩手前で、ちゃんと踏みとどまってる……。

このバランス、今までの御息所様じゃ無理だったやつ……!)


紗世は、そっと胸を撫で下ろした。



源氏の君が帰ったあと、御簾の内にはしばし静けさが残った。

昼間の光がゆっくり傾き、几帳の影が長く伸びていく。


女房たちは控えめに動き、誰もが先ほどの会話の余韻を察しているようだった。


紗世は、御息所の髪を整える手をゆっくりと動かしながら、様子をうかがっていた。

いつもなら、このあとは決まって何事もなかったように話題が変わる。


――今日も、そうだろうか。


そう思っていた、そのとき。


「……」


御息所が、ほんのわずかに息を吐いた。


「……あの方」


紗世の手が、一瞬止まりかける。


「少し――」

言葉を探すような間。

「寂しがり屋なのね。」


(…………………………え?)


心の中で、何かが音を立てて崩れた。


――今、感想言った?

――源氏の君について?

――しかも、評価でも社交辞令でもなく、感情の観察を?


紗世は、あえてすぐには返事をしなかった。

この一言を、軽く流してはいけない気がしたからだ。


御息所は、扇子を膝に置いたまま、遠くを見るように続けた。


「誰かに来てほしくて、でも、縛られるのは嫌で、去られるのは怖いけれど、それを悟られるのは、もっと嫌。」


淡々とした口調。

けれど、それはどこか――自分自身を映す言葉にも聞こえた。


紗世は、そっと微笑んで答えた。


「……だから、御息所様のところに長居なさるのかもしれませんね。安心できる場所で、少しだけ甘えたくなる、とか。」


御息所は、すぐには否定しなかった。


「……そうかもしれません。」


そして、少しだけ苦笑する。


「不思議ね。若い方なのに、ああして心を探るようなことを言うなんて。」


(それ、ちゃんと“気になってる”人の感想です。)


紗世は心の中でそっと突っ込みつつ、声には出さなかった。


御息所は続ける。


「以前の私なら“軽薄”とか、“移ろいやすい”とか、そういう言葉で片付けていたのでしょうけれど……。」


一拍。


「今日は、そうは思えなかったわ。」


(……うわ……。)


これはもう、事件だ。


感情を抑えるだけの人が、誰かの心を「理解しよう」としている。


紗世は、髪を整え終え、静かに言った。


「御息所様。今のお言葉、とても素敵です。」


御息所は、少し照れたように視線を伏せた。


「……そう?感想など、言い慣れないものね。」


紗世は、はっきり言った。

「御息所様がそうやって感じたことを言葉にするの、私はとても良いと思います。」


御息所は、ふっと息を吐き、柔らかく微笑んだ。


「……和泉がいると、どうにも、心の奥が緩むわね。」


(それです、それが“人間関係”です……!)


その夜、六条御息所は、感情を押し殺すこともなく、ただ一人の人として、誰かを思った。


それだけで、十分すぎるほどの前進だった。

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