表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

13/16

第13話 その男、瓜につき

几帳の内は、午後の光をやわらかく含み、静まり返っていた。


 紗世は六条御息所の背後に控え、ゆっくりと髪を梳いていた。

 櫛を入れるたび、艶やかな黒髪が静かに揺れる。


「源氏の君、近頃は足繁くこちらへ通っていらっしゃいますね。」


 できるだけ何気なく、紗世は言葉を選んだ。


「御息所様のご魅力が、きちんと伝わっているのだと思うと……私も、少し誇らしい気持ちになります。」


 六条御息所は、扇子を胸元に添えたまま、穏やかに答えた。


「……あの方は、まだお若いのでしょう。私のように年の離れた女が周囲におらぬゆえ、珍しがっておいでなのだと思います。」


 声は静かで、感情の揺れは感じられない。


「きっと、そのうち……こちらへ来る頻度も、自然と減っていくでしょう。」


(そうなったら……生霊フラグが立つんですけど……。)


 紗世は心の中で叫びながら、必死に笑顔を保った。


「噂の貴公子ですもの。各家の姫君方も、きっとご自分の元へ来ていただこうと、さまざまな工夫をなさっているのでしょうね。」


 少し間を置いてから、付け足す。


「その中で、こうして御息所様のもとへ通っていらっしゃるのですから……やはり、御息所様は特別なのだと思います。」


 六条御息所は、ほんのわずかに扇子を傾けた。


「和泉の飾り髪のおかげでもありますよ。いつも、ありがとう。」


(違うんだぁ!!

 知りたいのは、そうじゃなくて……源氏の君をどう思ってるか、なんです……!)


 紗世は内心で頭を抱えた。


(どうする……どう聞く……!?

 直球は無理……遠回し……いや、もっと自然な話題……。)


紗世は、とにかく源氏の君の話題を!気持ちを!聞き出さないと!と言う焦りと想いでいっぱいになっていた。


「……源氏の君って、噂通りの貴公子ですよね!お召し物の趣味もよろしいですし、焚きしめていらっしゃるお香も、とても良い香りで……」


勢いづいた言葉は止まらない。


「お顔も白くて瓜みたいで、高貴なお顔立ちで……」


――――。


――――――。


 ………………!!!!!!?


(……言った……!


今、言っちゃった……!


瓜って!!!!!)


 紗世の手から、櫛がするりと滑り落ちた。


 ぽとり、と畳に落ちる音がやけに大きく響く。


「……っ!」


 紗世は慌てて両手で口を覆い、その場に固まった。


(しまった……!!

 ずっと心の中で瓜呼びしてたから……!!)


 恐る恐る視線を落とし、叱責を待つ。


 だが。


 しばし、沈黙。


 静かすぎるほどの沈黙。


「…………瓜……?」


 感情の読めない、低く澄んだ声。


 紗世の背中を、冷たい汗が伝った。


(終わった……。)


 次の瞬間。


「……っふ……。」


 小さく、息を漏らす音。


「……ふ、ふふ……」


(……え?)


 紗世は、恐る恐る顔を少しだけ上げた。


 御息所の背中が、微かに震えている。


(……肩……震えて……?)


「い、いず……和泉……っ…」


 六条御息所は言葉を絞り出そうとしているが、声が続かない。


「……ふっ……!」


 そして、ついに。


「ぶふっ――――!!」


 御息所は前のめりになり、扇子を持つ手をひらひらと振った。


「……瓜……うり……!!」


 堪えきれず、声を殺しながら笑っている。


(……笑ってる???

 六条御息所様が????)


 紗世ははっとして、すぐに周囲の女房たちに目配せをし、静かに下がらせた。


「御息所様……!申し訳ございません!

 その……源氏の君に、なんと失礼な……。」


 土下座せんばかりに身を低くする紗世。


 だが、六条御息所は体をこちらへ向けた。


「いえ……。」


 まだ、笑いを堪えきれない声音で。


「確かに、源氏の君には……失礼なのですが……。」


 ふっと息を整え、


「和泉の……その……『瓜』という表現が……」


 再び、肩が震える。


「……あまりにも……的確で……


……ふふ……その通りだな、と……。」


 そう言って、また小さく笑った。


 それは、紗世が初めて目にする、

 感情を隠さない六条御息所の顔だった。



感情の滲んだその表情を見て、紗世は思わず言葉をこぼした。


「御息所様、やはりお美しいです。……笑っていらっしゃると、なおさら。」


まだ笑いを完全には堪えきれていない様子で、御息所は目尻に浮かんだ涙を指先でそっと拭い、紗世を見やった。


「ああ……でも、そろそろ品位を保たなくてはなりませんね。いつまでも笑っていては……。」


そう言って、乱れかけた佇まいを正そうとする。


「いいえ。」


紗世は即座に、しかし真剣な声音で否定した。


「御息所様は、笑顔でいらっしゃる方がずっと素敵です。品がないだなんて、そんなこと、絶対にありません。」


現代の感覚を色濃く残す紗世にとって、「感情を表に出すのは品がない」という考え方は、どうしても馴染めなかった。常々、もっと人は感情を出していいのに、と思っていたからだ。


「ふふ……ありがとう、和泉。」


御息所は穏やかに微笑んだが、その表情にはわずかな翳りがあった。


「けれど、私ほどの年齢の女が感情を露わにするのは、見苦しいと思われてしまうものです。」


二人きりで、しかも御息所が不意に感情を見せてくれた今――

紗世は、これは普段胸にしまっている思いを伝えられる、またとない機会だと感じた。


「あの……御息所様。」

少し間を置き、慎重に言葉を選ぶ。

「私、ずっと思っていたのですが……なぜ女人は、感情を表に出すと“はしたない”“品がない”と思われてしまうのでしょう?」


御息所は驚いた様子も見せず、穏やかに答えた。

「仏様は、煩悩や感情に溺れず、平常心を保ち、淡々と生きることを良しと説いておられますからね。」


「そうですよね。」

紗世は頷いた。


「和泉国にいた頃、母上や尼の方からも、そう教わりました。でも同時に、こうも言われたんです。平常心とは、感情を持たないことではなく――感情があっても、心の中心が揺らがないことだ、と。」


御息所の目が、わずかに見開かれた。


「はしたない、と言われればそれまでかもしれません。でも私は、感情は感じたまま出してもいいものだと思うんです。大切なのは……感情そのものじゃなくて、その扱い方だと。」


「感情の……扱い方?」

興味を惹かれたように、御息所が問い返す。


「はい。」

紗世は少し考えてから、言葉を続けた。

「たとえば、気になる殿方が訪ねて来てくれたら、嬉しい気持ちを笑顔で迎える。他の姫君のもとへ行ったと聞けば、少し拗ねた顔をする。帰ってこなければ、泣いて、悲しむ……。そういう感情自体は、自然なものだと思います。」


御息所は黙って聞いている。


「ただ、その感情が行き過ぎると、品がなくなってしまうのだと思うんです。」


「行き過ぎる……とは?」


「嬉しさのあまり声が大きくなってしまったり、嫉妬が強すぎて相手を縛ろうとしたり、悲しみのあまり周りに当たってしまったり……。」


御息所はしばし考え込むように視線を伏せ、やがて静かに口を開いた。


「……そう、ですね。仏様も、感情を持つなとは説いてはいません。どんな感情であれ、心の中心を乱してはならない、と言うだけで……。」


その表情が、ふっと柔らいだのを紗世は見逃さなかった。


(なんか……御息所様、目からウロコ、って顔してる……?

生き霊フラグ、ここで折れてくれ……!)


いつもより和らいだ雰囲気に背中を押され、紗世は思い切って言った。


「ですから、源氏の君を“瓜のようだ”と聞いて可笑しかったのなら、笑っていいと思います!

……ご本人の前でなければ、ですけど(どや)。」


「……っ、ふっ……」

御息所は一瞬こらえたものの、

「ふふふふふふ……!」


再び、堪えきれない笑いが零れ落ちた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ