第10話 瓜め源氏の来訪激増、女房総動員
御簾越しのやり取りは、穏やかに続いていた。
「それにしても……」
源氏の君は、六条御息所の方へ視線を向けたまま、感心したように言った。
「今日の御髪は、いつにも増して印象的ですね。
御簾ごしでも、動くたびに小さな白い飾りが揺れるのが分かります。」
(よし。)
紗世は、内心で小さく頷いた。
「和泉、でしたね。」
「はい。」
「どのように結われたのですか?」
「御息所様の御髪は、量も艶も誠に見事でございますので…。」
紗世は、言葉を選びながら続ける。
「すべてを飾るのではなく、肩の前に少しだけ垂らし、緩く編みました。
御簾ごしにお会いになる折、わずかな動きでも美しく映るようにと。」
「なるほど……。」
源氏の君は、興味深そうに頷いた。
「確かに、華美ではなく、品がある。
六条御息所様の雰囲気によく合っていますね。」
六条御息所は、少しだけ扇子を動かした。
「和泉は、私の髪質や立場をよく考えてくれました。」
その声音には、わずかな満足が含まれていた。
(よし。主から評価、頂きました。)
紗世は、そっと息を整える。
「季節によって、飾りも変わるのでしょうか?」
源氏の君が、ふと思いついたように尋ねた。
「はい。花の色や形、布の重ね方などで、季節を表すことができます。」
「それは、楽しみですね。」
源氏の君は、柔らかく笑った。
「今後、六条御息所様のもとに伺う楽しみが、ひとつ増えました。」
その言葉に、六条御息所は一瞬だけ言葉を止めた。
「……そうですか。」
否定も肯定もせず、ただ静かに受け止める。
「次は、どのような髪が似合うのか。
春、夏、秋……季節ごとに、想像するのも一興ですね。」
(……あ。)
紗世の胸に、小さな違和感が芽生えた。
(“今後”って言った。しかも、季節ごと。)
つまり。
(……通う気、満々。)
六条御息所は、まだ穏やかだった。
若い君がなぜ自分のもとに足繁く通うのか、
その理由を、どこか少し不思議に思っている段階。
——けれど。
(通えば。
時間を重ねれば。
心は、少しずつ……。)
紗世は、背中にじわりと汗を感じた。
(今日の私は、女房としては満点。
でもこれ……
未来の“生霊フラグ”、立てちゃってない?)
源氏の君は、何も知らずに微笑んでいる。
六条御息所も、まだ気づいていない。
けれど紗世だけが、はっきりと理解していた。
——これは、静かに始まる物語だ。
恋でも、嫉妬でもない。
もっと後になって、形を持つ何かの。
(……大丈夫。)
紗世は、心の中で自分に言い聞かせた。
(まだ、止められる。
今は、まだ。)
予告通り――いや、予告以上に。
源氏の君の来訪は、目に見えて増えた。
二日おき。
下手すると「え、昨日来なかったっけ?」という感覚になるほど。
(……来すぎ。)
紗世は、朝から簪箱を前に腕を組んでいた。
「今日は“春らしさ控えめ・上品寄り”……
いや、昨日それやった……
じゃあ今日は“白は減らして花小さめ”……。」
ぶつぶつと独り言を言いながら、布や花飾りを並べては戻す。
(あの、瓜め……!)
もちろん声には出さない。
出したら人生が終わる。
源氏の君に悪気はない。
それは分かっている。
ただ――
(来るたびに“前より綺麗ですね”とか言うから!
次はそれ以上を出さなきゃいけなくなるんだよ!!)
飾り髪職人(臨時)としてのプライドと、
六条御息所付き女房としての責任感が、
今日も紗世の肩にのしかかっていた。
しかし、良いこともあった。
ある日のこと。
「……和泉。」
六条御息所が、静かに言った。
「女房たちにも、飾り髪を許そうと思います。」
紗世は、一瞬きょとんとした。
「よろしいのですか?」
「ええ。
私ばかりが飾るのも、不自然でしょう。」
(不自然なのは源氏の君の来訪頻度です。)
とは言えないので、紗世は深く頷いた。
「それは、女房たちも喜びます。」
――ただし。
(全員分、私が結うのは無理!!)
その日の夜、女房たちが期待に満ちた目で集まってきた瞬間、紗世は即座に頭をフル回転させた。
「皆、少し待ってください。」
紗世は、すっと背筋を伸ばす。
「女房は――お揃いの飾り髪が良いと思います。」
ざわり。
「統一感があれば、美しいですし、
御息所様の存在も、より引き立ちます。」
それは、本音三割・作戦七割の提案だった。
(全員違うの結うとか、無理だからね!)
女房たちは顔を見合わせ、次第に頷き始める。
「確かに……。」
「同じ髪型の方が、きちんとして見えますね。」
「ですから。」
紗世は、簡単な結い方を示した。
「この形なら、慣れれば自分でもできます。」
左右を取り、軽く結い、飾りをひとつ。
主役にならない、でもきちんとした髪。
女房たちは、感嘆の声を上げた。
「これなら……!」
「私にもできそう!」
(よし……教育コスト削減成功。)
こうして、六条御息所邸では、
・御息所様 → 季節ごとに変わる飾り髪
・女房たち → お揃いの上品な飾り髪
という、新たな様式が生まれた。
結果。
「六条御息所様のお屋敷、女房まで美しいらしい。」
「源氏の君が足繁く通うのも納得だ。」
――そんな噂が、都でひそひそと囁かれ始めた。
紗世は、廊下でその話を耳にし、そっと天を仰いだ。
(噂、立つよね……そりゃ……。)
六条御息所は、まだ穏やかだ。
女房たちも、楽しげだ。
源氏の君は、ただ嬉しそうに通ってくる。
けれど。
(この状況、
“穏やか”がいつまで続くか……。)
紗世は、簪箱をぎゅっと抱え直した。
(私は、髪を結ってるだけ。……結ってるだけ、なんだよね?)
その背後で、今日も牛車の音が近づいていた。
――また、来た。
源氏の君である。
(……はいはい、今日も瓜ですね。)
紗世は、心の中でだけ悪態をつきながら、
女房の顔に戻って歩き出した。




