006 到着
嫌な予感はよく当たると言ったのは誰だっだか。
現実から目を逸らしたくなるのは、何も悪いことではないだろう。
本当に悪いのは、現実から目を逸らし続けることだ。
俺の場合、数秒後には強制的に現実へと引き戻されるのだから、何の問題もない。
「ダリル。これは僕からの前払い分の報酬半額と、これからの長旅用の装備。それから、しばらくの軍資金だ」
帝都トントドール内、騎士団総本部『円卓』のヴェントス騎士団団長室にて、俺の前には襟の高いコートに目深に被ったフード、更にその中には白単色の一枚板のようにも見える仮面で身分を隠したキールと名乗った人物が、足の短いテーブルの上に次々と物品を並べた。
右から、全国共通通貨の『モンク貨幣』の詰まった袋。
ぱっと見六四〇ビートはありそうだ。
ってことは、報酬は全額で八十モンク……大金だ。
次に、旅用の装備と言って置かれた上下一式の服。しかしそれは、一目で今身に着けている騎士団のローブよりも高い性能だと分かる代物だった。
おそらくは高価で貴重な素材を、名のある工房に在する加工職人に依頼して作らせた一点物だろう。
これは、旅用などというものではない。口止め料的な意味合いが大きいのだろう。
最後に軍資金。
同じくモンク通貨で、九枚の銅貨と、二十三枚のアルミ硬貨、そして三十四枚の鉄硬貨が積まれている。
ピッタリ十フロム。長旅故の配慮なのだろうが、随分な金額を軍資金と言ってのけるものだ。
それだけで、キールの財産が如何程か知れようと言うものだ。
「いつ頃出られそうかな。できるだけ早い方がいいと思うのだけれど」
キールは、テーブルに並べ終えたそれらをこちらに示しながら予定を聞いてきた。
いつと言われれば、それは団長が決めることではないのか。
ふとキールの隣に腰掛ける俺の上司であるアレス団長を見た。
「今日中に準備を整えろ。他に必要なものがあれば私に直接言え」
「はい。ありがとうございます」
今日中に準備するとなると、ファータ帝国の北北東に置かれた『忘れられた領土』にいる俺の手下を連れて出る事はできそうもない。
そうなると、別で移動手段を確保する必要だ。
飛竜を使えれば楽だったのだが、方角的に呼びに行くのは難しい。
「ブランディラークまでの移動手段は、何かありますか」
「あぁ、伝え忘れてたね」
こちらの質問に答えたのは、アレス団長ではなくキールだった。
「君には、冒険者としてブランディラーク共和国を目指してもらう。これは、君の冒険者証だ」
テーブルの上に新たに置かれたのは、楕円形の金属プレートがチェーンで繋がれた一つのペンダントだった。
プレートには俺の名前と、死霊魔術師の文字が刻印されている。
「冒険者? 何故そのような身分を?」
冒険者と言えば、遺跡や迷宮を探索し、宝を追い求める探求者の総称だったはず。
俺とは関わりのなかった職業だ。
「騎士として活動すれば、相応の権限を行使できるだろう。しかしその分、動きの幅に制限が掛けられてしまうだろう。その点、冒険者は特別な力こそ持たないが、自由度は保証されている。世界規模でね」
確かに、ヴェントス騎士団員では、他国に行けば貴族たちの餌にしかならないだろう。
そうなれば、余計な諍いが起きるだけだ。それを考えれば、冒険者として活動した方が、自由度は高い。
ブランディラークへは情報収集を目的としていくのだから、動けるに越したことはないだろう。
「それで、さっき言っていた移動手段なんだけれどね、ここから中立国プラタナスの国境までは、午での移動になる」
「そこからは、自分で移動手段を確保しろという事でしょうか?」
となれば、近くで移動速度に長けた生物を狩る必要がある。
飛行可能な生物が第一目標だが、この際、地上を原妖種以上の速度で走れるのならばそれでいいだろう。
「いいや、わざわざ君が動く必要はないよ。その辺の手筈は、とっくに済ませているから」
どんな手段かは分からないが、何とも準備が良い。これならば、今すぐに出ても問題はない。
ここまでお膳立てされているのなら、他国への旅も簡単ではないか。
そんな甘い考えは、中立国家プラタナスに入ってから、すぐに捨てる事となった。
村と村、街と町の間の街道には、必ずと言って良い確率で盗賊たちが襲撃して来るからだ。
これでも最初は、丁寧に説得して引かせようとしていたのだ。しかし、どの種族にでも伝わる共通言語の一つである肉体言語で語り掛けたのだが、盗賊たちは一切非行としなかったのだ。
結果、攻めて来る盗賊たちを殲滅し、死霊魔法でこちらの戦力となってもらう他なかった。
まあ、木漏れ日の森林地帯を抜けてパラゴンを回避し、プラタナスに入るまでは順調だったのだから、そこまでうるさく騒ぐ必要はない。
ないのだが、やはり気分的には穏やかではいられない。
そんなこんなで、今は襲撃者の盗賊たちの死体二十体余りを馬車に追走させることで、牽制に活用している。
死後、馬の足並みに揃えて走らされている同業者を見れば、多少は効果があるだろうと考えたからだ。
おそらく、というか確実に、目的地に到着する頃には死体の筋肉は断裂し、骨は粉々に砕けているだろう。しかし、これらは元々死体だ。痛覚はないし、魂だって人造の偽物だから問題はない。
そして何よりも、これを行い始めた途端に襲撃回数が激減したのだから、止める理由はない。
俺は今、中立国プラタナスの辺境の町、コゴメで受けた護衛依頼を行っている真っ最中だ。
目的地は、魔狼の巌窟手前の国境線沿いの街ケケロロ。
そこまでの長距離依頼をすんなり受けられたのは、キールの口添えがあったのが大きいと言わざるを得ない。
ファータ帝国にも、冒険者の集まる『冒険者ギルド』という施設は存在する。
そこでは、今回のような商人の護衛依頼だったり、迷子の動物の捜索依頼だったりと、幅の広い依頼が舞い込み、斡旋してもらう事ができた。
キールはこの施設のギルド長へと話を通し、俺の要求はできるだけ優先してもらえるよう取り計らってくれていた。
まさか国外にもその影響があるとは思わなかったが、中々強気に俺の事を伝えていたらしく、護衛依頼の斡旋を、難なく受けることができた。
プラタナスから出たら正真正銘、冒険者ダリル・ベレッタだけの力でブランディラークを目指さなければならない。それまでは、存分に甘える事としよう。
キールから渡された旅装という名の超高価装備は、足首まで覆うハイカットブーツに全体的に膨らんだ印象を受ける裾の部分だけ絞られたズボン。
上は、体に張り付くように沿った手首と首までを守る服に、団長室でキール自身が纏っていたのと同じ形状のローブコートを羽織っている。
そんな俺は今、コートについているフードを目深に被って、馬車の中から外の景色を眺めていた。
流れ行く緑の流線を、次から次へと見送っていた俺に声をかけてくるものが一人。
「死霊魔法って、凄いのね」
宵闇色フードが視界の半分を隠しながら、俺は声のした方を見る。
ロゼリア団長も一時していた、ふんわり三つに編み込んだ山吹色の長い髪を左肩から流した少女からは、薄い黄土色で横長の瞳孔が確認できる瞳は大きく丸く、健康的な顔の輪郭とが相まってロゼリア団長とは全く異なる、緩い雰囲気を放っていた。
それらの雰囲気をより一層強くしているのは、首に巻かれた羊毛と、耳の後ろから螺旋を描いて頬の横に付けた一対の角だ。
俺と比べると歳の差は中々に大きい妖羊種の少女だが、見た目的には同年だと言ってもいいくらいだった。
同じ護衛依頼を受けたプラタナスに籍を置いていると言う冒険者の一人、治癒術師のアメリア。
ゆったりとしたローブと、肩に掛けた背丈と同じくらいの長杖だけの簡素な装備。
そんな治癒使いの両隣では、外にはねた茶色の頭髪に犬の耳を埋めた、鼻面が長く肉球の付いた手を持っている剣士のフーゴと、オールインワンの紺色の服が、小柄な背丈をより小さく見せる小鬼種の技師パラドがこちらを見ていた。
種族は違えど、三人は幼馴染みの仲良しパーティらしい。
小鬼種はどうとでもできるとはいえ、妖羊種と妖犬種とは最近戦争をしたばかり。
何時襲われてもいいように、俺は迎撃の準備だけはしていた。
「魔法が使えるだけでもすごいのに、その中でも難しい死霊魔法が使えるなんて。本当に新人冒険者なの?」
「……そこはまあ、転職というか、ようやく職に就いたと言うか」
騎士団に所属していたとは言えないだけに、ここははぐらかす。
「どのみち凄い事よ。私にはできそうもないもの」
それはそうだろう。
人種であれば魔法一つ扱えないのが当たり前だが、妖獣種だったら使えるというものでもない。
一部の原妖種が使える技術。それが魔法なのだ。
妖羊種で治癒魔法を使うという事自体、中々に凄い事だ。
凄い事なのだが、その自覚が彼女にはないらしく、それを優しく教えてやる仲でもないだけに、俺は当たり障りのない返答しか口にしなかった。
「あんたは何で、ブランディラークに行くんだ?」
左頬に抉られたのだろう古傷を見せる青年、フーゴがこちらに目を向けて来た。
「見てみたいだろ。種族の壁のない国ってやつを」
「確かに」
ずり落ちた眼鏡を人差し指の背で持ち上げながら、パラドがこちらに言って来た。
小鬼種用に作られた大きな丸眼鏡が、フードで隠された俺の顔を映していた。
「だったら、俺たちのパーティに入らないか」
フーゴの誘いに、パラドとアメリアも賛成だとこちらを見た。
どうやら、彼らも件の共和国を目指して移動している最中らしい。
「悪いけど、俺は一人でいる方が好きなんだ」
「そっか。だけど、いつでも言ってくれ。アンタみたいに強い奴なら大歓迎だ」
馬車の中で、荷物に紛れて談笑していた俺たちへと、外から声がかかった。
「冒険者様方、もうじき日が暮れます」
御者台の方から聞こえた。商人の声だ。
「よし、じゃあこの辺で野営の準備をしよう」
「承知しました」
確かに、夕暮れの空には藍色の帳が広がり始めていた。
「ダリルさんの瞳って、黄昏の空にそっくりですよね」
空を見上げていると、パラドがそう言って来た。
俺の外見は、ファータ帝国でよく見られる原妖種から、ほんの少し離れている。
光沢の無い焦茶のボサボサ髪に、歳相応の平均的な輪郭と顔立ち。
瞳さえ見られなければ、原妖種とは判断されないだろう。
原妖種特有の遊色瞳。これは、肉体に取り込める魔力の総量によって、虹彩の色が増える。
むしろ、取り込める魔力が多いからこそ、肉体にその影響が出ていると考えた方が正しい気がする。
ルー団長は水色の単色。
アレス団長は新緑と快晴の二色。
ヴォルド団長は、錆、銀、青銅の三色。
そして、ロゼリア団長は原妖種の最高峰、赤、青、黄、緑、紫の五色。
対して、俺の遊色瞳は今見上げているような、夕焼けを空をそのまま切り取ったような色に染まっている。
赤とオレンジ、黄色に紫の四色だ。
「よく言われる。その見た目には過ぎた目だって」
「そんな事ない。とっても素敵よ!」
アメリアが勢いよく言って来た。
その勢いに俺が驚いていると、薄闇が迫る空に照らされたアメリアの顔が、みるみる真っ赤に染まり出した。
どうしたのかと首を傾げて見ていたら、アメリアの後ろでパラドとフーゴがゲラゲラと笑う。
「ちょっと二人とも!」
「いやあ、悪い悪い」
「さあほら、野営の準備ですよ」
パラドの言う通り、準備を始めなければ。
闇に潜んで、盗賊が出てくるかもしれない。
早めに済ませるに限る。
「俺は死体に指示して来るから、先に準備していてくれ」
腰に差していた杖を引き抜きつつ、馬車の側へと戻る。
死体たちは、俺の待機命令を素直に受けて、馬車の隣で直立していた。
「了解です」
「ホント便利だな」
「ね」
背後から、仲の良さそうなそんな声が聞こえて来た。
三人の冒険者と共に馬車を護衛し、プラタナスの国境沿いの街、ケケロロに送り届けたのは、トントドールから出立して半年の一六八日が経過した昼過ぎだった。
ブランディラークまでは一年はかかると見ていたが、道のりの七割を過ぎた現在で半年となると、予定よりも一、二か月は早く到着できそうだと見た俺は、ここから先をどうするか、街の冒険者ギルド内で思案していた。
ここから受けられる商人の護衛依頼は、プラタナスの中央へと戻る方面しかなく、魔狼の巌窟方面の依頼は一つもなかった。
ここからは歩いて行くか。
そう結論を出した俺は、すぐにギルドを後にした。
こんなにも獣臭い場所には、長居したくなかったのだ。
中立国プラタナス。
その国の方針故か、ケケロロの冒険者ギルドだけでなく、全てのギルドに多くの種族が集まっていた。
しかし、俺から言わせればそれは、表面を取り繕っただけのハリボテという印象しか受けなかった。
幼馴染みだといったあの三人組が珍しいだけで、他の冒険者パーティは種族が殆どまとまっていた。
小鬼種を連れていて絡まれている様子も、彼ら三人以外のパーティには見られなかった。
一人国境を越えた俺は、緑の深い森の奥へと足を進ませる。
ここから先は、魔狼の巌窟と呼ばれる太古の精霊獣の棲家を回避するべく、緑の深い森の奥へと入り込む。
魔狼の巌窟は、その名の通り岩の洞窟で、周囲に緑は少ない山の傾斜に作られている。
つまりは緑の多い方平坦な森の奥へと行けば、簡単に迂回できるという事だ。
問題は、巌窟を抜けた先の怪鳥の止まり木だ。
止まり木とは特定の一本を指すわけではなく、ここら一帯の森を指す。
つまりは、周囲に生えている樹木に傷一つでも付ければ、棲家の主である精霊獣の一体『不可視の極彩色鳥』が、死ぬまで追いかけて来る事になる。
地面から飛び出た木の根に足を引っかけないよう注意を払いつつ、周囲の木々に触れないよう、常に周囲を警戒しながら進む。
この森林地帯に、移動に長けた獣でもいればと思ったが、どうやらそういった類の生物は、元から生息していないのか、それとももっと奥の方に隠れているらしく、一切見かける事はなかった。
野宿を挟みつつ、慎重かつ迅速移動した事で、一か月と数日で到着した。
新興国家ブランディラーク共和国。
現在首都以外の町村が少なく、森林地帯を抜けたその先にも、別の植生の森が広がっていた。
首都コークに到着したのは、更に半月ほど森を移動した先だった。
トントドールとは反対の色彩を見せる白を基調とした石壁に囲まれたここは、規模だけを見れば、トントドールの敷地面積の一・五倍ほどの大都市だった。
更に、壁の大きさに見合っただけの大きな門を潜って中に入って分かった事だが、コークは円形に囲んだ石壁だけでなく、都市中の地面に敷き詰められた石畳も、角に切り出し綺麗に削り出されていた。
随分と高度な加工技術を有している。それが魔術武具による恩恵のおかげなのか、それとも別で何らかの手段があるのか。
一歩首都に入っただけでも、収集するべき情報が多いことが窺えた。
これは、随分と長い任務になりそうだ。




