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000 プロローグ

 いつだって世界は不平等だ。

 産まれて最初にそれを知ったのは、俺が五つの頃。

 生まれ育った町を探検していた時に、俺は陽光差し込む大通りへと飛び出した。

 あれほど両親に厳しく言いつけられていたのに、それを無視して、俺は探検のつもりで近畿に触れてしまった。


 いつも暗くて端にゴミが転がった土肌がむき出しになった道を歩くのに飽きていたと言うのは、ただの言い訳にしかならないのだろう。

 明るくてきれいな石畳の通りに飛び出したいなどと思ったのは、間違いだったのだろう。


 小麦色の鮮やかな毛並みをした、歳の近い妖猫種(ケット・シー)の少女にぶつかった。

 前に見た、夜空に浮かぶ半月のような綺麗な瞳が目の前に迫った。

 不思議な光を放つ、縦に長い瞳孔の瞳が、まん丸に見開かれてこっちを見ていた。


「何で人種(ヒューマン)がこっちにまで出てきているの?」


 ぶつかり、覆いかぶさるように倒れた俺を見て、猫の少女はそう言った。


 その声に、周囲にいた住民たちが一斉に俺を見た。

 皆同じような目をこちらに向けていた。

 ただ、そこにいた一人一人の毛色は異なっていた。

 灰色や黒、白と茶色と白が混じった毛を逆立て、腰のあたりから伸ばした尻尾を膨らませて俺を見下ろしていた。

 無知な俺は、それらの瞳に浮かんだ感情が何なのかを理解していなかった。


「道に、迷っちゃって」


 そう言った瞬間、体を無理矢理引っ張り起こされ、そして路地の近くに突き飛ばされた。

 正面に立ったのは、大人の妖猫種。

 ぶつかった年の近い猫の少女と同じ、小麦色の毛並みをしていた。


「汚くて醜い人種(ヒューマン)ごときが、私の子に話しかけないで!」

「……え?」


 それから、何も知らない子供だった俺に、その場にいたたくさんの大人の猫たちは、冷ややかな視線と、こちらの胸を鋭く突き刺す、酷い言葉を浴びせかけた。



 未だに覚えている。あの時の恐怖を。

 そして、その時の恐怖は、きっとこれからの人生で、越えられることはないのだろうとも思っていた。

 正しかったと、今なら胸を張って言える。

 血がとめどなく溢れ出る胸を張って、そう言える。


「……クソ!」


 両手両足から力が抜けて、もう一歩も動けない。

 光を放つ鉱石が、岩肌の中から煌めく幻想的なこの魔窟に入って数日、我ながらよくここまで生き延びれたと褒めてやりたい。

 しかし、そんな暇も手段もないことが、これほど悔しいとは思わなかった。

 洞窟の出入り口の方から、獣の咆哮が飛んできた。

 おそらくは、先ほどの怪物の手下が、俺の命を絶ちに向かってきているのだろう。

 不思議と恐怖はない。それどころか、この最底辺の一生がようやく終わると言う安心感が、頭の片隅に、ひっそりと、しかしはっきりとそこにあった。




 幼少期を路地裏のゴミ溜めで暮らし、ある一定の常識を覚えた俺は、両親に売りに出された。

 売り先は、町中に存在する奴隷商の一つ。

 そこから数年、俺は奴隷商の所有する檻の中で暮らした。

 そこでの生活は、そんなに悪くはなかった。

 定期的に人前に出されて、罵声や野次を飛ばされ、軽く殴られる事から目を瞑れば、一日一食出されて衣類も渡されるのだから、同年代の人種の中でも、そこそこ恵まれていた方だと思う。

 しかし、そこでの暮らしも俺に買い手が出た事で終わりを迎えた。


 住居を失った俺は、代わりに職を得た。

 多分、年齢は十歳とかその辺りだったと思う。

 どこかの大きな山を所有する、毛深くて鼻の長い妖犬種(クー・シ―)の貴族に買われた俺は、その山の麓で解放された。

 鋼鉄の首輪とそこから黒光りする大きく重い鎖で両手を繋がれた状態で。


 この時の俺の仕事は、鼻の利く彼ら貴族たちから逃げる獲物役だった。

 猟銃を抱えた彼らから逃げろと言うのだから、面倒だった。

 普段から、運動などしていないだろう、大きな腹を揺らしながらも山を軽々走り回るのだから、種族の壁とは本当に残酷だと思う。

 彼ら妖犬種の場合、獣のような体毛は寒暖からその身を守るだけにとどまらず、怪物の爪や牙から命を守ってくれるらしいし、さらに身体能力など、赤子の時点で成人した人種を越えている事が当たり前だと言うのだから、面白い。

 彼らから逃れ切れるはずはなかった。

 嗅覚や運動能力が人の数倍なのだから、いかに運動不足の貴族と言えど、何の取り柄もない俺は一日もしないうちに囲まれ、銃弾を両足に受けて捨てられた。


 役目を終えた俺は、そのままその貴族所有の山に放逐された。そこに通りかかったのが、妖猫種と妖犬種の間に生まれる混血種族、犬猫種(ラプトル)の死体漁り集団だったのは、多分幸運だったのだと思う。

 俺の右太ももに残されていた、火薬を使用しない魔術構築式猟銃専用の銃弾を引き抜いた彼らは、虫の息だった俺もそのまま拾って街まで連れて行ってくれた。

 そこで俺の身柄は再度奴隷商へと渡り、命を繋いだ。


 どうやら、鼻の利く妖犬種は火薬系統の武器は使用しない為、一度使用した弾丸だとしても特殊な加工の施されたその鉄片は、大変価値のあるものだったのだとか。

 そんな金属片を体内に残していた俺は、まだ使えるとして奴隷商に売る為に連れて来ていたらしい。


 幸運だった。

 おかげで一命を拾い上げることができた俺は、種族の偏りはあるものの、そこそこ大きな街の奴隷市に出品されて次の職を得た。

 冒険者たちの斥候部隊。つまりは、下見。つまりは、使い捨ての罠探知道具というわけだ。


 そうして現在、危険な怪物がその辺を歩き回る危険な洞窟『海喰いの洞窟』の壁にもたれて、死を待っていた。

 すぐ後ろを歩いていた買い主の冒険者とははぐれてしまったが、恐らく彼らは既に死んでいるだろう。

 俺と買い主たちとの間に突然現れたあの怪物は、けた違いに強かった。

 武器一つ渡されていない俺では打つ手がなく走って逃げてきたが、ここは洞窟の深部。逃げ場も無ければ、隠れる体力も残ってはいない。

 壁や床を反響する奴の足音が徐々に近づいてきていた。

 それでも俺は、壁に体を預けて動かず、そのまま残りの時間を過ごす。

 足音が、目の前で止まった。

 目を動かすのも重怠かったけれど、こちらを見下ろすそれと目を合わせないわけにはいかなくて、仕方なく俺はそれを見た。


「まったく、こんな所に連れてきやがって」


 浅黒い肌に、深紅の濡れた二対の瞳。俺を二人縦に並べても足りないくらいの長身に、鍛え抜かれた筋肉質の体躯は誰がどう見ても歴戦の戦士で、非力で無能な劣等種の人種が相手にできるわけがないと、一目でわかる。

 だから、俺は後回しにされたのだろう。

 額から伸びた一本の角の鋭利さをぼんやり眺めながら、俺の一生は幕を閉じた。

 多分、十六歳だったと思う。


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