【第25話】聖なる湖と、もふもふへの渇望
食事を終えた僕は、自分の毛並みを見て眉をひそめた。
大量の肉や揚げ物を食べたせいで、自慢の白銀のモフモフが脂と匂いを吸ってベトついている。少し気持ちが悪い。
(せっかくの毛並みが台無しだ……これは許されない事態だっ!!)
もふもふたるもの、常に清潔で、空気を含んだように軽やかでなければならない。
こんな油臭い体のままでいるなんて正気の沙汰じゃない。一刻も早く洗わなければ!
「ワフッ!」《ちょっと体洗ってきます!》
僕は立ち上がり、そのまま勢いよく駆け出した。
目指すのは屋敷の裏手、森を抜けた先にある大きな湖だ。あそこなら思う存分水浴びができる。
「し、神獣様!? どちらへ!?」
「お待ちください! お出かけなら護衛を……!」
背後で声が聞こえたが、今は構っていられない。もふもふの危機だ。
◇
ダッ、ダッ、ダッ!
鬱蒼とした森を抜けると、視界がぱっと開けた。
透き通った湖面が太陽をはね返し、キラキラと輝いている。ひんやりとした空気が胸に心地いい。
(うわー! 広い! 最高!)
僕はそのまま助走をつけ、水面へ飛び込んだ。
「ワオォォォォン!!」
ザッパァァァァァァン!!
大きな水柱が立ち、飛沫が虹を作る。
(気持ちいいぃぃぃ!)
そのまま湖の中央へ泳いでいく。
けれど、しばらくバシャバシャしても、毛のべたつきが思ったほど落ちない。
(ただ水を浴びただけじゃ、油は落ちにくいな……)
そうだ。水だからだめなんだ。少し温めればいい。
温風が出せるなら、水をほんのり温めることもできるはずだ。
(体から魔力をひろーく広げる感じで……)
湖の一角、僕の周囲だけがじんわり温もる。湯気が立つほどではない。春の陽だまりみたいな温度だ。
(うん、ちょうどいい)
水がやわらかくなり、毛の奥まで温もりが染みる。
その時、湖底から影が近づいてきた。
魚だ。それもそこそこ大きい。
(まずい、怒ってる!?)
一瞬身構えたが、魚たちは逃げるどころか、僕の体にすり寄ってきた。
毛の間をつつかれる。くすぐったい。でも、根元が軽くなる感覚。
(あ、これ……足の角質つつく魚みたいなやつだ)
僕は力を抜き、ぷかぷかと浮いた。
魚たちに身を任せる。
◇
「はぁ、はぁ……! 神獣様……!」
「やっと……追いついた……!」
森の方から『銀翼』と騎士団が現れ、湖の光景を見て凍りついた。
湖の一角だけがやわらかく揺れ、白銀の巨体が静かに浮かんでいる。
その周囲を魚の群れが取り囲み、体をつついている。
「こ、これは……」
沈黙を破ったのはセレンだった。
「禊ですわ……! 神獣様が湖を清められているのです!」
「……捕食されているのでは?」
「何を言うの。あれは感謝の舞ですわ」
騎士たちは半信半疑のまま、水面を見つめる。
やがて僕が岸へ向かって泳ぎ始めると、魚たちは名残惜しそうに散っていった。
◇
バシャァッ!
陸に上がり、僕は全身を震わせる。
ブルルルルルルルッ!!
毛から弾けた水滴が、湖畔にいた人間たちに降り注いだ。
「うわっ!?」
「ひっ……!」
逃げる者、固まる者。
水を浴びた若い兵士が、きょとんとした顔で自分の腕を見た。
「……あれ?」
軽く握ってみる。
「なんだか……体が軽い、ような……?」
「ば、馬鹿を言うな。気のせいだ」
すぐに隣の兵士に小声でたしなめられる。
(あれ? さっきまでヘロヘロだった人、ちょっと元気になってない?)
(……まあ、湖の水って気持ちいいしな)
僕は特に気にせず、温風魔法で毛並みを乾かした。
ふわっ、と空気を含む感触が戻る。
(よし、完全復活!)
◇
森の奥を見つめる。
この街は快適だ。美味しいご飯、ふかふかのベッド、面白い人々。
でも。
(やっぱり、少し窮屈かもしれない)
それに。
あのダークエルフの子が影で作った「狼」のシルエット。
この世界には、まだ見ぬもふもふがいるはずだ。
(最近、新しいもふもふに出会えてない……!)
胸がむずむずする。
(……よし!)
僕は決めた。
この街を出て、旅に出よう。
目的は一つ。
世界中のもふもふに出会い、触れ合い、至高の癒やしを求める旅へ。
「ワオォォォォン!!」
遠吠えが青空に響く。
人間たちが「神託だ!」と慌ててひれ伏し始めたが――
僕はもう、森の向こうを見ていた。




