【第22話】歓迎の正体は、美への執着でした
ぐうぅ~~。
盛大な腹の音が、静まり返った庭に響き渡る。
ラジオ体操を終えた僕は、爽快感と共にお腹が空いていた。
(さて、朝ごはんは何かな?)
昨日の屋台の食べものは最高だった。
もしかすると、この屋敷ならもっとすごいものが出てくるかもしれない。
少し図々しいとは思ったが、期待に胸を膨らませて、僕はテラスから屋敷の中へ戻ろうとした。
◇
「か、閣下!! 大変ですっ!! 屋敷の外が……!」
使用人が血相を変えて、転がり込むように中庭へ駆け込んできた。
その様子に、領主ベルンハルトは眉間のしわを深くする。
「なんだ? 魔物の襲撃か? それとも、昨夜の事に恐れをなして民が騒ぎ出したのか??」
「……いえ、違います! ……その……列が……」
「列? なんの列なんだ?」
使用人は言い淀みながら、震える指で正門の方を指差した。
「とにかく整列しているのです! しかも、ものすごい数の……女性や獣を抱えた者たちが!」
ベルンハルトはますます意味がわからなくなった。
◇
その頃、屋敷の外――正門前では、昨夜の噂を聞きつけた人たちが夜明け前からずっと列を作って待機していた。
今朝の“空前絶後のラジオ体操”を見たはずなのに、なぜか誰ひとり逃げ帰ろうとはしない。
むしろ、屋敷の正門前は異様な熱気に包まれていた。
「……ざわざわ……」
数は百人くらいはいるだろう。
まず目についたのは、着飾った貴族の夫人や町の女性たち。
そして、愛らしい小型犬のような魔獣を抱いた令嬢や、ブルドッグのような強面な獣を抱いた、恰幅の良い商人や冒険者までいる。
皆、一様に目の奥がギラギラと燃えていた。
「……神獣様の……温風……」
「……私の髪も……あんな風に……」
「……うちのココちゃんを……もふもふに……」
まるで有名店のバーゲンセールにでも並んでいるかのように、皆列を作りながらも前へ前へと押し寄せてくる。
門番の騎士たちが槍を構えて必死に押し留めているが、その圧力にジリジリと後退している。
◇
「なんだこれは……。集団ヒステリーでも起きているのか?」
ベルンハルトが、その異様な光景にたじろぎながら使用人を問いただす。
「いえ、閣下……どうやら昨夜の噂が原因のようです」
「神獣様が令嬢の犬に施した『奇跡のような毛繕い』……あれを受けた犬と令嬢が、別人のように美しくなったと」
「…………そんなことで、命知らずにも神獣の前に並んだと言うのか?」
「……はい、そのようです……」
「この街の民は、正気を失っているのではないか!?」
ベルンハルトは頭を抱えた。
「陛下……人々の『美への執着』と、飼い主の『愛情』を甘く見てはいけません……彼らは、恐怖よりも己の欲望を選んだのです……」
ベルンハルトは天を仰いだ……。
「この街はもう終わる……違う意味で終わりそうだ……」
◇
その時、テラスから――当の神獣が顔を出した。
「ワフッ?(なになに? またお祭りなの?)」
突然現れた白銀の巨体に、
ザッ!
その場にいた数百人が一斉に平伏した。
地面に額を擦り付けながらも、手にはしっかりとブラシや櫛を握りしめている。
一番前にいた夫人が、震えながらも熱の入った声で叫んだ。
「お、お頼み申し上げます……! どうか、どうかこの傷んだ髪に……神のご慈悲を……!」
真後ろにいた、ふわふわの犬を抱いた令嬢も続けて叫びを上げる。
「わたくしは、この子を!!! この子の毛並みにどうか神の奇跡を……!」
◇
(ん?)
僕は首を傾げた。
みんな何かを差し出している? ……なんでブラシにタオル?
それに、自分の頭やペットを出してるような……
(あ、なるほど!!)
僕はポンと手を打った(心の中で)。
(皆ブラッシングしたいんだ!! いいよ! もふもふ達と一緒に綺麗になろう!)
やっぱりおしゃれは万国共通だなぁ。
僕は上機嫌で尻尾を振った。
◇
「……神獣様は、満更でもないご様子だ。……追い払えば、逆に機嫌を損ねるかもしれん」
ベルンハルトはその様子を見て、即座に態度を切り替えた。
そして領主としての威厳ある声が響く。
「良いか! 皆のもの! 神獣様の慈悲に与りたくば、礼を尽くせ! 礼を欠けば命はないと思え!」
騎士たちが動き出し、混沌とした集団を軍隊式に整列させていく。
どこからか出てきたのか、セレンが恍惚とした表情で列の横に立ち、仕切り始めた。
「皆様、幸運ですわ! 神獣様は全てを受け入れてくださいます! さあ、祈りを捧げながら進みなさい!」
(おー、すごい。ちゃんと順番守ってる)
僕は感心しながら、最前列の夫人に向き合った。
彼女はペットを連れていない。自分自身のケア希望だろう。
(人かぁ……よし、まずは汚れを落とそう)
僕は息を吸い込み、ふーっと吐き出した。
ゴォォォォォ……。
ドライヤー魔法を吹きかける。
軽い風圧で埃を吹き飛ばし、余分な湿気を取る。
(仕上げは手櫛で!)
僕は前足の爪を少しだけ出して、優しくリズミカルに髪を梳いた。
キューティクルが整えられ、髪はツヤツヤの光沢を放ち始めた。
さすがにこの至近距離で少し怯えていた夫人も、恐る恐る自分の髪に触れてみる。
指が滑らかに通り、天使の輪もできている。
「……き、奇跡だわ……! まるで十代の頃の髪に戻ったわ……!」
夫人は感極まって泣き出し、地面に突っ伏して拝み始めた。
(うんうん、よかった! よし、次の方!)
次は、愛犬を抱きしめた令嬢だ。
「あ、あの……ココちゃんを……お願いします……!」
(このコをやってあげればいいんだな。よしよし、可愛いねぇ。立派なモフモフに仕上げてあげる♪)
僕は令嬢の手から小型犬を受け取り、肉球で優しくふにふにと揉んであげた。
凝り固まった皮膚がほぐれ、血行が良くなる。
子犬が「くぅ~ん」と気持ちよさそうな声を上げた。
そしてドライヤー魔法で整えて、完璧にモフモフに仕上げてあげた。
「きゃぁぁぁっ! ココちゃんが輝いてるわ!」
令嬢も泣いて土下座した。
(うんうん、わかるよ! こんなにモフモフで可愛くなったら嬉しいよね! またおいで!)
次は強面のおじさんがブルドッグに似た獣を突き出してくる。
「俺もだ! 俺の相棒も頼む!」
――と、このような感じで、前代未聞の「神獣サロン」が開演した。
次々と運ばれてくる犬や猫、見たことのない謎の小動物。
そして、美を追い求める人間たち。
僕はひたすら風を送り、爪で整え、時々サービスで肉球でマッサージをしてあげた。
「神獣様の肉球が……! 肩に……!」
「腰痛が消えた……! 万病に効くわ……!」
なんだかマッサージ目当ての人たちも増えてきているようだ。
その光景をベルンハルトは遠い目で見ていた。
「……これは外交ではない。祭礼運営だ……」
◇
朝から並んでいた人たちも帰っていき、静けさが戻ってきた。
(……けど)
僕は背中を伸ばそうとして、ピキッとなった。
ずっと同じ姿勢で前足を動かしていたせいか、背中のあたりが凝っている。
(……張り切りすぎたかな?)
誰か、ここをググッと押してくれないかなぁ。こう、力強く……。
「……あの、神獣様?」
「もしや、お疲れでは……?」
そこへ、列の整理をしていた騎士の一人が、僕の様子を見ておずおずと声をかけてきた。
(ん? ああ、心配してくれてるのか)
僕は苦笑いして、自分の肩のあたりをポンポンと叩いて見せた。
ここが凝ってるんだよ、のジェスチャー。
「……なんと。神獣様自ら、我々の苦労を労ってくださるとは……!」
騎士は目を見開き、深く頷いて去っていった。
(まあ、伝わるわけないか)
僕は諦めて、自分でなんとかしようと、背中を木に擦り付け始めた。
……が、届かない。
微妙に、一番凝っているポイントに届かない!
(くそっ、誰か! 誰かこの背中のツボを押せる達人はいないのか!)
その時。
屋敷の陰から、じっとこちらを見ている視線に気づいた。
昨日の夜、僕を監視していたダークエルフの少年だ。
(……もしかして、あの子なら!)
その瞬間――一人の犠牲者が生まれることになった……。




