【第19話】領主の決断と、神獣の「新居」
城壁都市バルドの中央広場は、なんとも表現しようのない異様な空気に包まれていた。
本来なら、屋台の匂いと人々の声で満ちているはずの場所だ。だが今そこを支配しているのは、恐怖で硬直した数千人の群衆と、広場の中心で繰り広げられる信じがたい光景だった。
巨大な白銀の神獣――フェンリルが、逃げ遅れた貴族令嬢の愛犬に、なんと「公開もふもふグルーミング」を披露していたのだ。
「フォォォォ……(温風)」
「ワフン♪(よしよし、いい毛並みだ。ここが凝ってるのかな?)」
前足から絶妙な温風を吹き出し、指先を器用に使った手櫛で、愛犬の長く美しい毛並みを整えていく。時折、頬ずりして感触を確かめたり、肉球で優しく揉みほぐしたりと、上機嫌でやりたい放題だ。
一方、されるがままの愛犬はというと――
生来の【魅了】スキル耐性の低さと、極上のテクニックによって完全に虜になっており、フェンリルのもふもふな体に自ら顔を埋め、「くぅ~ん♪(ごくらく~)」と恍惚の声を漏らしている。
一方、飼い主の令嬢の方は――
愛犬が魔獣に捕食されてしまう(ように見えた)恐怖と絶望。だが実際に始まったのは謎の極上なグルーミング。さらに、自分まで温風を浴び、髪が見違えるほど滑らかに整えられていく。
もう何がどうなっているのか分からず混乱し、そのまま感情が限界を超え、彼女は白目を剥いて立ったまま気絶した。
この珍妙な状況を遠巻きに見守る一団がいた。
この街の領主ベルンハルト伯爵と、その側近と護衛の騎士団だ。彼らの顔色は一様に蒼白していた。
「……どういうことだ、これは。一体何が起きている……?」
ベルンハルトは、額から流れ落ちる脂汗を拭うことも忘れ、呻くように言った。
Sランクの英雄が敗北したとの悲報で街の滅亡を覚悟したが、「神獣様による歓迎パレードが始まった」という狂気の報告が飛び込んできた。わけが分からず慌てて現場に駆けつけてみれば、神獣が屋台の食物を食べ尽くし、犬の毛並みを整えている。もう理解ができない。
「もはや、常識では測れません。ですが……閣下、一つだけ確かなことがございます」
側近の一人が震える声で分析を口にした。
「あのフェンリルは、今のところ街を破壊したり人を襲ったりする意志はなさそう、ということです。見てください、あの屋台の店主も気絶はしていますが、外傷は一切ありません」
「……確かに。食欲は旺盛だが、殺戮を楽しんでいる様子ではないな……」
ベルンハルトは少しだけ冷静さを取り戻した。
「ええ。むしろ『この街を気に入って、一時的な縄張りにした』と考えた方が辻褄が合います。食事にも満足しているようですし……」
「ならば、我々が取るべき道は一つしかない」
ベルンハルトは覚悟を決めた。
ここで軍を差し向けたとしても、Sランク英雄ですら敵わなかった相手だ。勝ち目があるはずがない。ならば残された手段は「外交」しかない。
領主としてのプライドや貴族としての誇りも、全てかなぐり捨てて、フェンリルとの「対話(接待)」を試みるのだ。
「私が直接行く。護衛は無用だ。刺激するだけだからな」
「閣下!? なりません、危険すぎます!」
「止めるな! 私が行かねば、この街は終わるのだ!」
ベルンハルトは決死の決意を胸に、騎士たちの制止を振り払って広場の中心へと一人歩み出た。
(お、また新しい人が来た)
フェンリルはグルーミングの手を止めて、近づいてくる男を見た。
周りの人たちより一段と豪華な身なりだ。さっきの強そうなおじいちゃんよりもさらに偉い責任者さんだろうか?
ベルンハルトはフェンリルの数メートル手前で立ち止まり、そのまま両膝を地面について両手を前に、額を地面に擦り付け「絶対服従(土下座)」のポーズをとった。
「偉大なる神獣、フェンリル様! この街の長を務めております、ベルンハルトと申します!」
額を地面につけたまま腹の底から声を絞り出す。声が震えないようにするので精一杯だった。
「貴方様の来訪を、このバルドの街を挙げて歓迎いたします。どうか、我々の非礼をお許しいただきたい!」
言葉は分からないが、周りとは違う豪華な身なりから、更に上位の立場の人が挨拶をしに来たのだと思った。
(やっぱりこの街では皆このポーズ(土下座)で挨拶するのが常識なんだな。このポーズにあまりいい思い出が無いんだけど、早くこの街の文化に慣れないと!)
こちらも歩み寄って行こうと――
「ワフッ!(ご丁寧にありがとう! こちらこそよろしくお願いします!)」
右前足を軽く上げて挨拶を返した。この体で出来る、親しみを込めた挨拶のつもりだ。
ベルンハルトは何か動いた気配にビクッと肩を震わせたが、いつまで経っても何も起きないため、恐る恐る頭を上げてみた。目の前の神獣はこちらを上から見下ろしている。
意を決して対話を試みる。
「……して、神獣様。この街の品々は、お気に召しましたでしょうか?」
ベルンハルトは必死に身振り手振りをしながら伝えた。空っぽになった屋台や、毛並みを整えられてふわふわになった犬、そして髪を整えられたまま気絶している令嬢を交互に指し示す。
何故か領主のここの意味だけは正しく伝わった。
美味しい串焼きの食べ歩きや、かわいい小動物のグルーミング。
この街の「お祭り」は、期待以上だった。
(うんうん、最高だったよ!)
フェンリルは大きく頷き、尻尾をブンブンと激しく振った。その風圧で、ベルンハルトの帽子が遠くへと飛んでいく。
「……気に入っていただけたようで、何よりです……」
ベルンハルトは、寿命が数十年縮まった思いで胸を撫で下ろした。どうやら、「外交」の第一関門である「対話」は成功したようだ。
しかし、問題はここからだ。
この災害級の神獣が、いつまでこの街に居座るつもりなのか。もし広場の中央に住み着いたら街の機能は完全に麻痺する。それに、いつ気まぐれを起こして暴れ出すかも分からない。
ベルンハルトは、一か八かの賭けに出た。
「神獣様……もし、貴方様がこの街に滞在されるのであれば……我々は、貴方様に相応しい『住処』を提供したいと考えております」
彼はそう言って、広場に面した、街で最も豪華な建物――領主の別邸を指し示した。
白亜の壁と青い屋根が美しい、宮殿のような大豪邸だ。本来なら国賓クラスの客人を迎えるための場所だが、今はそんなことを言っている場合ではない。
「……あちらの屋敷を、貴方様の『住処』として献上いたします。至らぬ点も多いかと存じますが、どうかお納めを……!」
(本音を言えば今すぐ森へ帰ってほしいが……それが叶わぬなら、頼む! あそこに満足して、大人しく引きこもっていてくれ……! せめて、二度と街中に出てこないでくれ……!)
ベルンハルトは祈るような気持ちで、再び深く額を地面につけた。
一方、それを見ていたフェンリルは……。
(えっ……!?)
目を丸くした。指し示されたのは相当豪華な屋敷だ。
(あの豪邸に行ってもいいの!? もしかしてあそこに留めてくれるの?)
山の中で野宿していた身としては夢のような提案だ。
(やったー! 最高の宿だ! この街ほんとに良すぎじゃない!?)
嬉しさのあまり、天に向かって喜びの遠吠えを上げた。
「アオォォン!(ありがとう! 喜んで使わせてもらうよ!)」
その遠吠えに全員ビクッとなり、再び全員頭を下げた。
「ヒィィッ!? お、お気に召したようです……!?」
「良かった……街の破壊は免れた……」
「別邸が犠牲になったが……安いものだ……」
最高級の別邸を失うことになったが、街が滅びるよりはマシだ。
こうしてフェンリルは、贅沢な『住処』を手に入れた。
ベルンハルトがひっそり流した涙など気づく事なく……




