7 捜索
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「ほんとうにこの辺なの?」
紗和子が口をへの字にして一樹の顔を覗き込んだ。
「う~~ん、たぶん」きょろきょろと左右を見回す。夕紅に空が染まり、周囲が少し薄暗くなってきている。
「たぶん、って…」
病院からの帰り、地元の最寄駅から一樹の家まで、クーゲンドージに会ったと思われる辺りをさっきから二人でうろついている。
「あ、いや、もっとあっちの方だったかも・・・」
「もう、さっきから・・・。あっちだ、こっちだって、一体どっちなの⁉」
イラつく紗和子が肩のスクールバッグを掛け直す。
「だからさ、そう言われてもよく思い出せないんだって・・・、言ったろ」
「あのねぇ、野原くん、いくら私とずっと一緒に居たいからって、わざとそんな曖昧なこと言わないでよ」
「はぁ?」
「今日はそんな場合じゃないんだよ、わかってるでしょう。黒子先輩の命が掛かってるんだから」
「誰がそんなこと考えるもんか! お前こそ何言ってんだ」
「別に。ちょっと岸野会長の真似してみただけだよ」横を向いて口を尖らせた。
「なんだそれ?」
「いっつも、言い寄られては鼻の下伸ばしちゃってさぁ」
「誰が! そんなことあるわけ…」
「なぁんかイヤラシイんだ!」
ついと二三歩前へ出たさわこが振り返って言った。
「どうしてそうなる!」
「あの人、野原くんに命を助けられた、とか言ってた」
前を向き、再び並んで歩き出す。
「ああ・・・、だからそれはあの人の勘違いだって。俺は何も・・・」
「――ねえ、野原くん」
不意にまた立ち止まり、真剣な顔で紗和子が言った。
今度は一樹が振り返った。
「野原くんは、今まで私のことも何度も助けてくれたよね」
「う、うん?」
紗和子の言葉の意味を計り兼ね、曖昧な返事を返した。
「それなら岸野会長にだって、もし何かあったら助けるよね?」
「ま、まあな」
――ほんとは、何があったの?
「な、何がって・・・、――お前は、何があったと思うんだ?」
「えっ⁉」
逆に問い返され、そこまでは何も考えていなかった紗和子が反対に少々慌てる。
「だ、だから、ほら、あれよ。例えば超能力で会長の心を操って、命の恩人と思わせて、『さあ、俺のことを好きになれ~』とか!」
「ば~か。人の心を操るとか、そんなこと出来たらとっくにお前に使ってるよ」馬鹿馬鹿しいと再び歩き出した。
「えっ‼」
けれど、サラッと言った一樹の言葉に、紗和子の動きが急に止まった。振り向くと、下を向いているその顔が少しばかり赤いように見える。
「ん? ば、ばか、違う。そうじゃなくて…」
すぐに言葉が足りなかったことに気がついて、言い訳がましく付け足した。
「今のは、人の心を操れるなら、お前が俺のことバカにしないようにってするって言おうと・・・」
その時、背後から子供の声が聞こえてきた。
――ねえ、何かオモシロイ噺してよ
「大体、人の心を操るなんて、そんなことできる訳ねえし」
「ほんとうに?」疑わしげな目で紗和子が一樹の顔を見上げた。
――ねえ、ねえ、何かオモシロイ噺をしてよ
今度は不意に目の前に現れ、
ニコリと笑ってそう言った。
が、それにも気づくことなく、
二人が少年の前を通り過ぎる。
「じゃあ、クーゲンドージにはなんて言ったの?」
「ん? い、いいだろ、別にそんなこと、どうだって…」
「あ~、本当に岸野会長の言う通りなんだ~」
「まさか。――それより早くあの子を見つけないと。さっき、今日はそれどころじゃない、って言ったの、お前じゃんか」
「そうよ。だからこそ、そこのところ、ハッキリさせないと!」
「だから、論点ズレてるっての」
――おーい。無視すんな~!
その声に、少し怒気が感じられる。
しかし言い争っている二人は、
今度もその声に気づくことなく、
振り返ることもない。
「ねえ! 二人とも、僕を捜してるんじゃないのかい?」
何度も無視され、少々あきれた顔で、少年が二人の背後から呼び掛けた。
「ん?」
「えっ?」
――ああぁぁ! いたぁあ‼
振り返った二人が大声で叫んで、目の前の少年に指を差した。
「まさか、こんな簡単に会えるとは思わなかったよ」
「確かに」
紺のボーダーシャツにベージュの短パン。白のスニーカー。後ろ向きに被ったキャップ。部室で見たタブレットの中の子供の絵にそっくりだった。
「まったく、僕を見ても気づかずに通り過ぎたのは二人が初めてだよ」
小柄な少年が、こちらを見てクッ、クッ、クッと笑いを堪えている。
「君、クーゲンドウジなの?」すぐに紗和子が尋ねた。
「うん。いつの頃からか、みんな僕のことをそう呼ぶようになったよ」
猫のような目を吊り上げ、ギザギザの歯を剥き出しにして言った。
「そう、やっぱり」紗和子が一歩前へ出て言った。
――ねえ、君にお願いがあるんだけど
「お願い? そんなら僕にオモシロイ噺をすればいいよ‼ そうすれば、それはすべて本当のことになる。だから・・・」
空言童子が勢い込んで話し出した。
「違うの! 私のお願いっていうのは・・・」それを遮るように紗和子が言う。
「私の友達が君に話したことを取り消して欲しいの」
「取り消し?」不思議そうに童子が繰り返した。
「そう」
「どういうこと?」
「う~ん、話したこと自体は本当のことになっても別に構わないんだけど、その後で一番大切なものを取られちゃうと困るって言うか…」
「嘘の話をして願いは叶えたい。だけど、大切なものをなくすのはイヤ。だから、取り消したいと?」
「まっ、有体に言うと、そうね」
「アハハ。お姉ちゃんは正直だね」
――でも・・・、言ってることが、厚かましい!
「そうそう! 面の皮が厚いんだよ、このお姉ちゃん」
「ちょっと茶々入れないで野原くん、一体どっちの味方⁉」
「ふん。だけど、これだからまったく。人間は・・・」
急に今までの笑顔が消えて、童子のその表情から少年のような幼さも消えている。
「あのさ、君たちは神社で神様にお願いしたり祈ったりするのに、賽銭箱にお賽銭すら入れないのかな?」
「入れるわよ、失礼ねぇ。私は、そんなケチじゃありません、っての」
「それじゃ僕が今この時代で、何と呼ばれているか知ってるかい?」
「『恋愛成就の神 クーゲンドージ』でしょ。知ってるよ、そんなの」
自慢気に答えたが、絵美たちが部室に尋ねてくるまで、そんなこと全然知らなかったのは言うまでもない。
「だったら神様である僕にお願いするのに、賽銭代りに何か大事な物を差し出すの、当然だと思わない?」
「それは…、でもそれじゃ困るから、取り消しを頼んでんじゃない!」
「イヤだね!」童子があかんべえをした。
「そこをなんとか」紗和子が拝むように両手を合わせる。
「ダメだね!」
ふんっ、と横を向いた。
「ああそう。だけどさぁ、話した嘘が本当になる、とか言ってその気にさせといて、どうせその後に一番大切なものを貰い受けるなんて、誰にも言ったことないんでしょ?」
頼みを断られた紗和子の口調が少々荒っぽくなる。
「あたり前じゃないか。それを言ったら誰もオモシロイ噺をしてくれなくなるよ」
「そんなのアンフェアじゃない! ずるいよ。君、神さまじゃなかったの?」
それを聞いた童子が紗和子に鋭い視線を向けた。
「そうさ、僕は神さまじゃない」
――人に仇為す・・・、妖怪だよ
その言葉と共に、辺りの空気が変わった。