4 書物探索
5
「もちろん、その人の一番大切なものっていうのは、人それぞれだけど。多くの人にとって、それは自分の命だろう? だから、嘘が真実になった後、病気になったり、思わぬ災難に遭ったりして命を落とすという話が多いそうなんだ」
「そっか、ってことはさっきの岸野会長のお願いのせいで、野原くんの命も風前の灯ってことだね。気の毒に」
紗和子がイヤミたっぷりの口調で、一樹と亜弥に向って言った。
「あ〜あ、また新しい助手捜しを始めなきゃなぁ…」
「なにアホなこと言ってんだ、俺はそんな妙な色恋の話、してねえから」
一樹が眉を上げ、紗和子を睨むように言った。
「ごめんなさい、一樹くん。まさか、私のせいでこんなことに・・・」
両手の指を合わせて祈るように組み、亜弥は哀しげな表情で、天を仰ぐようにして言う。
「でも心配いらないわ! だって、あなたの一番大切なものは・・・」
――「わ・た・し」なんだから‼
笑顔で言いながら、チラッと横目で紗和子を見た。
「だから、私が天に召されても…。一樹くん、私のこと、忘れないでね!」
――あっ、眩暈が…
そう言ってふらふらと倒れるように一樹に縋りついた。
「亜弥さん!」驚いて一樹が受け止める。
「それって、一体何のアピールなんですかぁ‼」
ウソ臭い亜弥の動作に、紗和子がムッとして二人を引き剥がして言う。
「てへっ!」
顔を上げた亜弥が可愛らしく舌を出して笑った。
「大体、なんで、会長がここにいるんですか?」ふと疑問に思った紗和子が尋ねた。
「体験入部よ! ねっ、黒子君」
「えっ、ああ、うん。――さっき部長会議の後、一緒にここへ来る途中で入部届を預かったんだけど、一応、体験入部をしてからってことに」
「ええっ!」驚いた一樹と紗和子が声を上げた。
「あの三人、どういう関係なんですか?」
ずっと黙って見ていた夏純が不思議そうに尋ねた。
「いやぁ~、そんなこと僕に訊かれても・・・」
そう言った橋野だったが、さっきまで饒舌だった美穂が、いつになく暗い表情で、黙って俯いているのに気が付いて声を掛けた。
「どうしたんですか、美穂さん。大丈夫ですか?」
「別に…。どうもしないわよ」
そう答えた割に、さっきまでの笑顔はなく、どことなく顔色が悪く表情が硬い。
そんな美穂の様子を見て、気遣うように夏純が言った。
「さっきのアレって、ただの都市伝説だよ。命を取られるなんて、あの動画ではそんなこと言ってなかったし」
「そうだよ。それに、その子が本物のクーゲンドージかどうかなんてわからないし。人間の子供のイタズラかも」絵美もこの場の空気を換えようと、努めて明るく言った。
しかしその最後のひと言が、気の短い美穂の癇に障ったようだ。
「私が・・・、賀古神社の巫女である私が、普通の人間と、そうじゃないモノを見間違える訳ないでしょ!」
顔を上げた美穂の声が少々荒っぽい。
「落ち着いて、美穂。あくまで伝承とか都市伝説の類なんだから」
それを聞いた黒子が宥めるように声を掛けた。
「そんなこと、わかってる! だけど…」美穂は唇を噛んでまた俯いた。
自分のことはともかく、もしも万が一黒子の身に何かあったら。そう思うと美穂はいたたまれない気持ちだった。
「あの、黒子先輩。空言童子に話をした人が、大切なものを奪われるまでにどれくらい時間があるんですか? 三日後とか、一週間後とか」
思いついたように一樹が尋ねた。
「うん。そこまでは僕も。これって昔、家のじい様に聞いた話だから…」
「そうですか…」
「そうだ、家に電話して、じい様に聞いてみよう」
そう言うと、黒子は皆に背を向け、スマホを取り出して電話を掛け始めた。
「借りて来たよ!」
橋野が両手に古典文学全集を五、六冊抱えて図書室から戻って来た。
「ありがとう、はしのッチ!」
珍しく美穂が橋野に微笑んだ。
「いえ、いえ、これくらい。美穂さんのためなら」
橋野がデレッとした笑顔で答えた。
しかしそれを見ても、さすがに今日はいつもの美穂の「キモッ!」は出なかった。
黒子が家に電話をして聞いたところによると、空言童子の伝承は平安時代後期から江戸時代までのいくつかの文献に散見されるらしい。
しかし、黒子の祖父、恵蔵もそこまで詳しい事は覚えていないらしく、空言童子の説話が載っていそうな、学校の図書室にもありそうな本の名をいくつか教えてくれた。
それを今、クラスで図書委員をしている橋野が調べて借りて来てくれたのだった。
「さて、始めようか」
黒子は重ねて置かれた分厚い本の中から、一冊を取り上げて机上に広げた。他のメンバーも本を手に取った。
「クーゲンドージ」が恋愛成就の神でないことがわかったからか、西田絵美と井岡夏純の二人は帰ってしまったようだ。
美穂も重そうな一冊を手に取ると、「なんてタイトルなの?」と訊いた。
「うん、じい様も説話集の名前や話数、タイトルまでは覚えていなかったよ。とりあえず、『そらごと』とか、『童』とかいう言葉があるものを探してみよう」
「ええ~、ちょっと目次を見ただけで、こんなにタイトルが並んでるのに?」
「仕方ないさ、手分けして地道にいこう」
「もう、ケーゾー爺、使えない」美穂が不満気に口を尖らす。
「まあ、そう言うなよ。手掛かりがわかっただけでもよしとしないと」笑いながら黒子が応じる。
「そうね・・・」俯きながらつぶやく。
自分が原因だとわかっているので、今日の美穂はやけに大人しい。
「だけどこの本、どれも注釈だけで、現代語訳が載っていませんね」
亜弥がページを捲りながら言った。
「はいっ、訳して野原くん!」突然紗和子が言う。
「えっ⁉ いやぁ、俺たち一年はまだ古典の勉強を始めたばかりだし・・・。――は、橋野先輩!」
「えっ! 僕? 僕は古文って、ちょっと苦手で・・・」そう言って下を向く。
「う~ん、確かに正確に解釈できないと。間違った情報じゃ、この際役に立たないよね」
「そうですねぇ。私も全部間違えずに解釈しろと言われると、ちょっと自信が・・・」
成績優秀な二人の言葉に、しばし沈黙が広がった。
その時、トデン研顧問の山田先生が絵美と夏純に背中を押され、ぶつぶつ言いながら部室に入って来た。
「おい、押すなお前ら、なんだ、大事な用って?」
帰ったとばかり思っていた二人は、職員室に山田先生を呼びに行っていたのだった。
「山田先生・・・」気づいた紗和子が言う。
皆が顔を上げた。
「あのなぁ、お前たち学校の先生は授業が終わったら、放課後は暇だと思ってんだろう? 違うんだゾ!」
「わかってます、って。今時学校がブラックな職場なのは常識ですから!」
笑いながら夏純が奥の方へと先生の白いブラウスの袖を引っ張る。
「だったら…、あたしだってなあ、それなりに忙しいんだ!」
「でも、生徒の命が掛かってるんです!」
「ああ? なんだそれ?」絵美の言葉に先生が眉を吊り上げた。
「それに先生、トデン研の顧問なんでしょう?」
「そうか山田先生って、国語の先生だった・・・」黒子がつぶやいた。
「そうでした!」俯いていた橋野の顔も明るくなった。
絵美と夏純の二人が、先生の後ろで、笑いながらみんなにピースをした。