8 俺に考えがある
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たちまち周囲の景色がぐにゃりと歪み出した。
「なんだ?」
左右を見回し、一樹が辺りの様子を窺う。先まで夕紅に染まっていた周辺の空気が、暗紫色に変わっている。
「結界…。――君、やっぱり妖怪なんだね」
異変に気付いた紗和子がじっと少年の姿を見つめる。
「そうだよ。・・・なら、どうするの?」
言いながら、空言童子が紗和子を見る。射抜くような視線で、口元だけが笑っている。
「なら・・・、人間に仇為す、悪い妖怪なら・・・」
――祓うしかないよね!
静かに紗和子が両手を合わせた。メラメラと紅い炎のようなオーラが立ち昇る。
「へえ、そんなことが出来るんだ」
――お姉ちゃん、拝み屋だね
童子の眼が妖しく煌めく。
「そうよ。私はもののけハンター」きりっとした表情の紗和子が言った。
「そうかぁ、面白いよ! 拝み屋さんに会ったのは久しぶりだぁ。二百年ぶりくらいかな」
相好を崩して童子が興奮気味に言った。
「二百年ぶりって、君、一体いくつなの?」
「さあ、そんなこともう忘れちゃったよ。でもさっきから子供扱いしてくれちゃってるけど・・・、少なくとも君達より、千年は年上だよ」
「千年って⁉」
驚いている紗和子に、冷静に一樹が突っ込みを入れる。
「いや、そりゃそうだろ、あんな昔の説話の中に出て来るんだから」
「いいぞぉ、こりゃ面白い。一緒に遊ぼうよ。どうやらそっちのお兄ちゃんも普通じゃないみたいし」
視線を一樹に移し、興奮気味の童子が言った。
「お前、わかるのか?」驚いた一樹が問い返した。
「もちろん! 時々いるんだ。人間のくせに、そういう訳のわからない力を持ったヤツが」
「じゃあ、今までにもそういう人間に会ったことがあるのか?」
「うん、あるよ。――でも、そういう人間は、決まって厄介な連中だったなぁ」
思い出すように斜め上を見上げた。
「ごちゃごちゃ言ってないで、早く黒子先輩の病気を治しなさい‼」
――そうじゃなきゃ、祓う‼
再び紗和子が両手を合わせてみせた。
「イヤだね!」
「なんですって!」紗和子の目が吊り上がる。
「てか、そんなの無理だもん!」
空言童子が後ろ手にCapの鍔を掴んで前に戻し、それをそのまま立てるようにして被り直した。
「一度僕が本当だと決めたことは、絶対に元へは戻らないんだ」
吊り上がった猫目をギョロつかせ言った。
「そんな…」
「まあ待て、さわこ。そんなら俺に考えがある」
「何? 考えって」
「いいか、一度決まったことは元に戻せない、って言うんなら」
「コイツに黒子先輩はもう病気が治って、ピンピンしているって嘘の話をすればいいんだ」
「えっ??」
あっけにとられたように、紗和子が不思議そうに一樹の顔を見た。
「そうしたらそれが本当になって、黒子先輩が助かる」
「ブッ、ブー。——残念だけど、お兄ちゃんからは前に一度、別の噺を聞いているから、それは無効だよ。・・・それに、前の噺も全然オモシロくなかったし、もう一回お兄ちゃんの噺を聞く気にはならないね」言いながらいやいやと首を横に振った。
「や、やかましいわ! 悪かったな、面白くなくて!」
「野原くん、この子にそんなこと言われるくらい、つまんない話したんだ…」
「う、うるせえ!」一樹の顔が赤くなった。
「そ、そうだ、だったらさわこが今の話して先輩を助けろ」
「・・・だから、野原くん…」
――そんなことしたら、今度は私の一番大切なモノがこの子に取られちゃうでしょ
「あっ!」
「もうちょっと頭使ってよ」
「・・・・・・」
(そうか、今度はさわこの命が危ない。バカか、俺は…)
「ああっ、そうかぁ!」
突然紗和子が突拍子もない大きな声で言った。
「私の一番大切なモノは野原くんだったぁ!」
わざとらしいくらい棒読み口調の紗和子が言う。
「はっ?」驚いてさわこを見た。
「そっかぁ、偉いねえ、野原くんは。自分を犠牲にしてまで、黒子先輩を助けようとするなんて」
「ああぁ、だから。すまん。今のは俺が悪かったよ、浅知恵で。そんなことしたら今度はお前の身に危険が…」
「あははは、こりゃいいや。面白かったよ、今のは。傑作だよ、お兄ちゃん。まさに、猿知恵ってヤツ?」空言童子が腹を抱えて笑っている。
「う、うるせえ! このクソガキ!」一樹が渋面を作って言った。
「そうかぁ…、やっぱり野原くんもまだ死にたくないんだ」とこちらを見て、ニヤリと笑う。
「だぁから、もう言うなよ。俺が悪かったって!」
そう言って思わず紗和子の顔を見ると、意外にも今は真面目な顔をしている。
「私だって、野原くんが死んじゃったらイヤだし、もしそんなことになったら、仲代さんみたいにとても哀しむと思うよ…」
その言葉と共に前へ出ると、再び紗和子の周囲を薄紅のオーラがゆらゆらと揺らめき出した。
「えっ!」
意外な言葉に、思わず紗和子の動きを目で追った。
――てことは・・・、やっぱり君を祓うしかないよね!
素早く紗和子が駆け出し、童子の目の前で立ち止まった。パンッと、柏手を打つと、その薄紅のオーラが蜘蛛手に伸びて、たちまち空言童子の体を包み込んだ。
「なに、これ?」
自分の周りに漂うオーラを見回し、振り払おうと手を伸ばした。その手が触れた途端、薄紅の紗和子のオーラがぬるぬると童子の全身に纏わりついた。
「うわっ、なんだこれ⁉」
しゅるしゅると、実体がないはずのオーラに緊縛されて、童子が叫んだ。身を捩る度に絡まる糸が全身に喰い込む。
「汝、もののけよ、汝が魂に令を下す。我の命ずるところに因りて、直ちにここから汝が元なる棲み処、闇へと去れ…」
再び掌を合わせ、祓いの言葉を唱える。
――うぁぁ、やめて! 助けて! 苦しいよぉぉぉ…
絡み付いた糸が、あたかも紅い炎のごとく燃え上がる。童子が堪らず悲鳴を上げ、その場にごろごろと転がってのた打ち回った。
「いいぞ、もう少しだ。祓え、さわこ!」
「さあ、黒子先輩の病を治しなさい。さもないと、このまま祓って、君を元の闇へと返す!」
――うああぁぁ、苦しいよぉぉぉ……
と、不意に今まで転げ回っていた童子が、ピタッと動きを止めた。そのままゆっくりと、曲がったCapを被り直して立ち上がった。
「……なあんちゃって」
憎々しげにベロを出した空言童子の言葉と共に、紗和子の紅のオーラが次第に霞んで薄くなり、ついには見えなくなった。
――僕に、お祓いは効かないよ




