第6話 こっそり旅立ったのですが……
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第6話 こっそり旅立ったのですが……
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午前は一般常識の授業を受け、午後は自室で調剤を行う日々を送り、あっという間に一週間が過ぎました。
この間、止瀉薬の他に、解熱剤と鎮痛剤を調剤しましたが、特に問題なく作ることができました。
一回作れば、あとは素材さえあれば一瞬で薬が作れるのも素晴らしいことです。
今日はライドック四世から切られていた、面倒を見てもらえる期限の日です。
「コジロー殿は、明日この施設を出ることになります。これは当面の生活の足しにしてくださいと預かったものです」
ロザンから革袋を受け取ると、ズシリと重みを感じました。革袋の中には百ゲルド銀貨と千ゲルド銀貨、そして一万ゲルド金貨が入っていました。
「数カ月はそれで生活できるとのことです」
「ありがとうございます……」
追い出されるのだから、これは手切れ金のようなものなのでしょう。鈍感な人でもそのくらいは察することができます。
部屋に帰って金額を確かめてみると、百ゲルド銀貨が二十枚、千ゲルド銀貨が二十枚、一万ゲルド金貨が十枚入っていました。百二十二万円相当といったところでしょうか。
軍服は持っていけないのですが、それ以外の下着などは持っていく許可ももらえました。
ライトノベルやネット小説では、今の小次郎のような立場の巻き込まれた人は、国王や権力者から命を狙われるものですが、そういったことはなく薬師関連の書籍と器具、さらにはお金ももらえ、多少ですが備品も持っていっていいこのような状況になってホッと胸を撫でおろす小次郎でした。
ただ、まだ気を緩めるのはよろしくないでしょう。小次郎が城を出てから命を狙うという可能性は捨てきれません。小次郎は城を出た直後が一番危険な時間だと考えているのです。
城に滞在できる最後の夜。食堂へいくと、美土里たちの姿がありました。料理を受け取った小次郎は、四人のところへと向かいます。
「いいですか」
「ここ、おいで~」
統牙の横に座ろうとしたら、美土里が自分の横の椅子をパンパン叩きます。誰も何も言わないことから、小次郎は美土里の隣に腰を下ろしました。
「明日……ここを出ます。短い間でしたが、お世話になりました」
卑屈なくらい丁寧に頭を下げる小次郎の背中を、美土里はバンッと叩きました。
「い、痛い……です」
「あたしもついていくから」
「へ?」
驚く小次郎、しかめっ面の統牙、大量の料理を口に入れてモグモグする雷斗、無表情の理央と皆の表情は違います。
「本当に出ていくのか?」
「うん。ここにいても面白くなさそうだし~」
「最低限の衣食住は保証されているぞ」
統牙が引き留めようとしますが、美土里は意に介しません。
「オジサンからも何か言ってくださいよ」
「え、俺……?」
統牙に話をフラれて小次郎は固まってしまいます。彼に美土里を説得できるボキャブラリーも社交性もありません。無理ですね。
統牙は必死に説得しましたが、美土里の決意は変わりませんでした。
小次郎はまるで針の筵に正座したような居心地の悪さを感じつつ、夕食を摂ったのでした。
その夜、統牙が小次郎の部屋を訪ねてきました。
「どうかしましたか?」
すっかり旅立ちの支度はでき、必要なものが入った大きな背嚢がベッドの横に置いてあります。
「美土里を連れていかないでください。この通りです!」
統牙は深々と頭を下げ、懇願します。その必死さに、小次郎は困惑しました。
(これが若さというものか)
まったく関係ないことを考えていました。とはいえ、小次郎も美土里を連れていこうとは思ってもいません。美土里が勝手についていくと言っているだけで、小次郎は了承も何もしていないのです。
「どうしたらいいのかな?」
「できれば、今から出ていってください。勝手なことを言っているのは承知しています。でも、明日になったら、美土里がついていこうとするでしょう」
「……分かったよ。これから城を出るようにするから、美土里さんたちによろしく言っておいてくれるかな」
「すみません! 感謝します!」
統牙はもう一度深々と頭を下げ、小次郎に感謝しました。
城の裏口から人知れず旅立った小次郎は、真っ暗な道をランプの淡い光りを頼りに歩きます。
この道を進めば、城下町へ出ます。この時間では、宿に泊まることは難しいでしょう。
「さて、困ったぞ。ここからどうすればいいのかな」
朝に出発する予定だったが、まさか夜中に旅立つとは思ってもいませんでした。
「どこかで夜明けを待つか」
城下町の大通りでもひと際大きな建物の軒先に座り込んだ小次郎は、温かい季節でよかったとにべもないことを思うのでした。
ただボーっと座っているだけでは暇です。とはいえ、寝てしまうと荷物が盗まれるかもしれません。
そこで分厚い本を取り出し読み出しました。一応、この一週間で全ページを一通り読みましたが、読み返すことで何か気づくことがあるかもしれません。
この本には薬師が覚える可能性がある恩恵とその説明、そして基本的な薬のレシピなどが載っています。暗記するくらい読んでもいいものです。
どこからかいい匂いが漂ってきます。小次郎は本から目を上げました。周囲に露店が準備を始めていました。
まだ早い時間だというのに、その商品を求める人たちまでいます。
「本に集中して、気づかなかった……」
町の人が動き出す時間は早いのでした。
「兄ちゃん、レッドボアの串はどうだい。美味いぜ」
露店が立ち並ぶ一角に、串焼きを売っている店がありました。匂いは、そこから漂っていたのです。
「一本ください」
「あいよ。二十ゲルドだ」
百ゲルド銀貨を出すとお釣りに十ゲルド銅貨を八枚と串焼きを受け取ります。
串焼きは三百グラムはあるでしょうか、なかなかの重量感です。
シンプルな塩味だけの味付けなのですが、溢れだす肉汁が甘く美味しいと感じました。
城の食堂でも肉を食べましたが、肉の臭みを消すためかハーブをふんだんに使っており、小次郎としてはこの串焼きのほうがシンプルで好きな味つけです。
串焼きを買った露店の主人に、道を聞いて進みます。
日が昇ると、一気に人が増えます。
せわしなく行きかう人の間を縫うようにして進んだ先は、町の出口です。
そこは駅馬車と言われる乗合馬車のステーションでもあります。
「さすがは王城の城下町。たくさんの駅馬車があるんだな」
この国は大陸北部にあり、ライドック四世が住む王城は国のほぼ中央にあります。
駅馬車は城下町から東西南北へと四方向に出ています。
東にはアルバヌ侯爵領、西にはヒーロック伯爵領、南にはシャイドー伯爵領、北にはデルバーヌ公爵領があり、毎日駅馬車が出ています。
小次郎は寒いのはあまり好きではないという安易な理由から、南のシャイドー伯爵領へ向かうつもりです。
駅馬車の切符売り場にできた列に並びます。十五分ほどで小次郎の番になりました。
「シャイドー伯爵領方面の切符を、いち―――」
「二枚だし」
「え?」
後ろからいきなり声がし驚いて振り返ると……、そこには美土里がいました。
「あたしを置いていこうだなんて、薄情が過ぎるしー」
「ど、どうして……」
「理央が教えてくれたし。統牙があんたの部屋に入ったってね」
なんと美土里はドアに耳を当て、部屋の中の会話を聞いていたのでした。
「あんた、あたしが嫌いなの?」
「いえいえいえいえいえ。そんなことはないです!」
「だったら、統牙の言うことなんか気にせず、あたしを連れていくしー。そんなわけで切符は二枚だしー」
切符の代金を払うのは小次郎です。美土里は国王から手切れ金をもらっていません。もらえるわけないですよね、戦力として期待されているのですから。手放しませんよ。
定員十人の駅馬車に、十人の客が乗り込むと発車します。小次郎の横には美土里が陣取りますが、かなり密着しています。
美土里の豊満な胸が腕に当たる小次郎は、平常心を保つだけで精一杯でした。
(ああ、柔らかい……)
今の美土里は軍服ではなく、平民が着るようなレトロな服にマントを羽織っています。服のボタンを上から二つ外しているため、艶かしい胸の谷間が見えるのでした。
どこからそんなものを用意したのかと小次郎は疑問に思うのですが、小次郎よりも好待遇だったのだろうと考えることにしました。