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祓い虫。
おっちゃんは虫たちをそう呼ぶことにした。
虫は白く枯れた森の穢れを祓い、畑の穢れを祓っている。
そんなふうに考えたからだった。
祓い虫は白枯病にかかった木や作物を率先して食べる。
それが、結果的に、これ以上、白枯病を拡げないようにしている。
どうして虫たちがそんなことをしているのかは分からない。
もしかしたら、白く枯れた森で生まれた祓い虫は、白枯病に侵された木が大好物で、畑の作物にも白枯病の匂いかなにかがうつっているから、食べているだけかもしれない。
ただ、祓い虫のおかげで、白枯病は、健康な森に広がらずに食い止められたのは事実だ。
虫たちは、白く枯れた森を食べつくす前に、畑へと飛び立った。
それは、森のほうはいったん大丈夫になったから、その外へ水脈を通じて白枯病が広がるのを防ぎに行った、なんて考えるのは、あまりにも、自分たちにとって都合のいい解釈だろうか。
虫は単に、白枯病にかかって枯れた木より、ほんのり白枯病の匂いのするまだ枯れてない作物の方を、美味しいって感じるってだけかもしれないけれども。
白枯病は、森のかかる病だ。
人のからだに何か影響があるのかは、分からない。
けれど、僕は、前に、白枯病にかかった木の崩れた粉を吸って、具合が悪くなったこともある。
確かに、僕は、一般的な人よりも、からだは丈夫じゃないかもしれないけど。
それでも、白枯病は、少なくとも、人にとっても、からだにいい、ものではないとは思う。
「祓い虫たちは、あちこちの畑を荒らし、そうして、とうとう、最後に行きついたのは、小さな池でした。
おそらくそこは、わたしが昔聞いた、白く枯れた森に降った雨水が地中を流れて地上に湧き出す場所、なのだと思います。
そこに辿り着いた虫たちは、みな、その水に飛び込んでいきました。
そして、そのまま、虫の群れは消滅しました。」
「群れごと消滅したの?
なんだって、そんなことを?」
「さて。
それはわたしにも分かりません。」
おっちゃんはまた困った顔をして、首を傾げた。
確かに。虫の考えって分からない。
「わたしはひとりになってしまって、とりあえず、途方にくれました。
しかし、いつまでも、そこにいても仕方ありません。
来た道を引き返すことにしました。
ところが、その帰り道、わたしはまた困ったことに気づきました。
いったんは祓い虫によって壊滅させられた畑に、再び、作物が植えられていたのです。」
それはまあ、考えてみれば、そうするよね、って思う。
白枯病なんて、この辺の人たちは知らないわけだし。
「わたしは気になって、しばらくはその近くに留まっていました。
しかし、再びその畑に作物が実るのを見て、わたしは迷いました。
この作物は白く枯れる病に侵されているかもしれない。
けれど、見た目はまだ白く枯れてはいないし、おそらく、この分なら、枯れる前に収穫されてしまうことでしょう。
しかし、果たしてこの作物は、人の食べていいものだろうか?
思い悩んだわたしは、太鼓をたたいてみることにしました。
あの虫たちは、白く枯れた森から現れました。
もしも、今またこの畑が、あの病に侵されているのだとしたら、ここにまたあの虫たちは現れるかもしれない。
虫が現れなければいい、と思いました。
現れない、ということを見届けたら、この地を立ち去ろうと。」
「だけど、虫は、現れたんだ?」
おっちゃんは辛そうにうなずいた。
「ええ。
どこからともなく。大量に。
あのときと同じでした。
そうして、黒雲のような群れになると、一斉に畑に襲い掛かりました。」
それは、つまり、畑の作物が穢れていた、ってことだ。
そんなものは、誰も食べないほうがいい、のには違いないけど。
「…それじゃあ、おっちゃんは、悪い虫を呼ぶ虫使いみたい、だよ…」
「わたしもそう思いました。
畑を作っていた人たちには申し訳ないと思いました。
けれども、そのときは、ただ恐ろしくて、逃げてしまいました。」
もしかしたら、その光景は、誰かに見られていたのかもしれない。
そうしてその噂が拡がって、虫を呼ぶ悪い虫使いがいる、ってことになったのかも。
「けれど、たとえわたしが呼ばなくても、病が進行すれば、虫は自然に現れます。
それを避ける方法は、ひとつしかありません。
あの森から流れる井戸の水を使わないこと。
わたしはそれをなんとか伝えらえないかと思いました。
そこで、あの町へ行って、畑で働かせてもらうことにしました。
森の民に憧れて遠い町から来た、ということにして。」
けれど、それはやってみると、とても難しいことでした、とおっちゃんはうなだれた。
「あの広大な畑には、いくつも井戸があって、その井戸水は立派な汲み上げ機で汲み上げられています。
汲み上げ機を動かし続ける人夫もいるくらいです。
その水は、いったんは溜め池に貯められてから、用水路を通じて、畑全体へと送られている。
これを止めるなんて、土台、無理なことだと思い知りました。」
おっちゃんは深いため息を吐いた。
「けれど、このままでは同じことの繰り返しになる。
なんとかならないものか、と考え続けました。
そうして、ふと、気づきました。
虫はまだ、畑の作物を喰い荒らしてはいないのです。
もしかしたら、畑の穢れは、少しずつ蓄積していくもので、ある一定のところを越えると、虫たちは一斉に襲い掛かるのじゃないだろうか。
ならば、そうなる前に、何か打つ手はないだろうか。
そして思い付いたのです。
溜め池の水を畑に撒く前に浄化することはできないか、と。」
そうか。
畑の穢れはその水のせいなんだから。
その水を浄化できればいいんだ。
「そこで思い出したのは、あの水脈の果ての池で、一斉に水に飛び込んだ虫たちのことでした。
あれも、もしかしたら、穢れを祓っていたのかもしれない。
わたしは、こっそり太鼓をたたいて、ほんの少しだけ、虫を集めました。
そうして、溜め池に連れて行きました。
思った通り、虫たちは、溜め池へと飛び込んでいきました。
それを何度も繰り返しているうちに、畑で虫が大発生する事態は、避けられるようになりました。」
「つまり、おっちゃんは、虫を集めて、水を浄化してたんだ。」
それは、むしろ、人たちにとっては、有難い虫使い、じゃないか。
「そんなことを繰り返すうちに、少しずつ、虫のなかにも力を持つ虫がいることに気づきました。
そんな虫は、一度消えても、また次も召喚にも応えて現れていたのです。
そのうちに、わたしに話しかけてくるものも現れました。
彼らの会話は、言葉ではなく、頭のなかに、直に思考を送ってくるのです。」
それって、おっちゃんが前に言った、レイカク、ってやつかな?
ブブともそんなふうに話しをしてたんだ。
「わたしは虫たちからいろんなことを教わりました。
この虫たちは、正確には、生き物ではありません。
虫の姿をしているけれど、本当は、虫ですらありません。
彼らは姿を消しても、滅ぶのではない、とも知りました。
彼らは、自分たちは白枯虫を食べるためにいるんだ、と言います。
白枯虫は、白く枯れた森や、その森の水や、その森の水で育った作物のなかにたくさんいて、彼らはとにかくそれを全部、食べなければいけないのだ、と。
彼らは白枯虫とは対局にあるもので、けれども、白枯虫のないところには存在しない。
そういう存在なのだそうです。」
僕はブブをちらっと見た。
ブブって、そんなにすごいものだったんだね。
「おっちゃんって、なんか、すごく立派な人だね?」
僕がそう言うと、おっちゃんは困った顔をした。
「いいえ。
そもそも、わたしには、一度、虫を呼んで、そのまま逃げてしまった負い目もあります。
それに、たとえ、ここの溜め池を浄化したとしても、水脈の水すべてを浄化できるわけではありません。
大元のあの森を浄化しない限り、白枯虫は生まれ続け、祓い虫もまた生まれ続ける。
わたしのいない場所の畑は、やはり、虫に襲われている。
…これだけじゃ、根本的な解決にはならないのですよ。」
そう言ってため息を吐いた。




