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ブブはおっちゃんの周りを、くるくると飛び回っている。
それはまるで、歓びのダンスをしているようだった。
おっちゃんの前には、太鼓がひとつ、置いてあった。
僕は目を丸くして、ただ、その光景を見ているだけだった。
「何もないけど、まあ、ここへ、お座りください。」
おっちゃんはそう言って、自分の前を指差した。
僕は太鼓を避けるようにして、おっちゃんの前に座った。
僕らの言葉、話せたんだ、とか。
あの太鼓の音は、もしかして、おっちゃんの?、とか。
どうして急にいなくなったんだ、とか。
虫を呼ぶ悪者ってのは、当たってたの?とか。
いなくなってから、どうしてたの、とか。
ブブはどうしておっちゃんになついてるの?とか。
今ここで、何をしていたの?とか。
そもそも、おっちゃんは、何者なんだ、とか。
次々と泡みたいに、疑問は支離滅裂に沸いてくるんだけど。
何から聞いたらいいのか分からなくて、僕はただ、じっとおっちゃんを見つめるばかりだった。
おっちゃんはそんな僕を見て、ちょっと苦笑した。
「わたしの使い魔を世話してくださったみたいで。有難うございます。」
「つかいま?」
僕がそう聞き返すと、おっちゃんにまとわりついていたブブが、ぶ、ぶ、ぶ、ぶ、ぶ、とこっちへやってきた。
「ずいぶん、可愛がってもらったみたいですね。
すっかり坊ちゃんに懐いている。」
「……。」
ブブはちょっと遊びに行って戻ってきた、とでも言うように、僕の胸のいつもの位置につかまると、そのまま知らん顔をしている。
「……あの、この虫は、おっ…あなたの?」
おっちゃん、と言いかけて、あわてて言い直したんだけど、おっちゃんでいいですよ、と言われてしまった。
「そう呼んでくださっていたのでしょう?」
「…なんで、そんなこと、分かって…」
つい勢いで、語るに落ちてしまって、気まずくなる。
おっちゃんはにっこりと答えた。
「使い魔に聞きました。」
???
さっき、ブブがおっちゃんの周りをぐるぐるしてたのって、もしかして、告げ口してたのか?
僕はブブの方をちらっと見下ろした。
ブブは知らん顔をして、どうやら寝てるみたい。
いや、寝たふりかもだけど。
「その子はまだ穢れを喰っていません。
よかったら、そのまま連れて行ってやってください。」
おっちゃんはブブを指差して言った。
「穢れ?」
「この世界には穢れたものはたくさんありますからね。
その子がいれば、一度だけ、あなたを穢れから守ってくれますよ。」
「一度だけ?」
「祓い虫は、穢れを喰って自滅するんです。」
……。
なんだかよく分からないけれど、すごく怖い話を聞いているような気がする。
穢れを喰って、自滅……
その意味をもうちょっと詳しく聞こうとしたときだった。
「さてと。
わたしはもう行かないと。」
おっちゃんはそう言うといきなり太鼓を持って立ち上った。
「…あの…!」
僕はまだ尋ねたいことがいっぱいあった。
だけど、おっちゃんは、もう行ってしまう。
「また、会えますか?」
思わず、そう尋ねていた。
おっちゃんは、顎のところに指を当てて、うーん、と首を捻った。
「わたしはまだしばらく、この土地におります。
もし、それが必要ならば、会えるかもしれません。」
必要なら?って、どういうこと?
尋ねる暇もなかった。
おっちゃんは、かき消えるように、姿を消した。
おっちゃんの後ろの作物の、丈の高い茎が、さわさわと揺れた気がしたけど。
その姿はもうどこにもなかった。
僕はブブを見下ろした。
多分、ブブは、おっちゃんの虫で。
でも、おっちゃんは、ブブを、僕にくれた、ということなのかな。
ブブとはもうずっと一緒にいたい、って思っていたし。
それは、嬉しい、んだけど。
結局、おっちゃんの正体は不明のままだ。
だけど、虫を呼んだ、というのは、町の人たちの勘違いじゃなくて、本当だったみたいだ。
おっちゃんの前にあった太鼓。
あれって、畑にいるときにときどき聞こえていたあの太鼓なんじゃないかな。
あの太鼓が鳴ると、いつも虫が現れた。
つまり、おっちゃんは、あの太鼓を鳴らして虫を呼ぶんだ。
虫はおっちゃんの使い魔らしい。
祓い虫、っておっちゃんは言ったっけ。
畑を喰い荒らす悪い虫だと思ってたけど。
穢れを喰って自滅する?
ってことは、あの畑は、穢れている、ってこと?
あの、見渡す限り続く、楽園みたいに素敵な畑。
いろんな種類の作物が、つやつやと、たわわに実っている。
町の人たちが、毎日、汗水たらして世話している畑。
みんなの大事な畑だ。
あの畑が穢れている、なんて…
とても、そんなふうには思えないんだけど…
ひとつだけ気になるのは。
ときどき、畑にいるときに聞こえる、きぃぃぃん、っていう音。
あれは、狂ってたときの、ヌシ様の叫び声にもちょっと似ている。
おっちゃんは、畑の穢れを祓うために、あの虫に食べさせているのかな。
だったら、おっちゃんは悪い人じゃなくて、むしろ、みんなを助けようとしている善い人だ。
なら、それって、町のみんなに言ったほうがいいんじゃないかな?
……どうしよう……
迷って困って、ルクスに言われた言葉を思い出した。
ひとりで抱えるな。
そうだった。
こんなときこそ、みんなに相談してみよう。
きっと、僕ひとり悩むより、いいに違いない。




