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渋い顔で黙り込んでしまったルクスとピサンリに、僕はどう言ったものかしばらく考えていた。
とにかく、もう、一番大変なところは済んだんだから。
あとは、ブブは悪い虫なんかじゃないってことを、ふたりに説明するだけだ。
僕はひとつ深呼吸をしてから、思い切って話し始めた。
「ブブは、悪い虫じゃない。
畑の作物を喰い荒らしたりしないし。
僕のあげたものしか、食べないんだ。
野苺畑にだって、毎日連れて行くけど。
勝手に野苺を食べたこともない。
悪いことなんか、しないんだよ。」
「いつから?」
ルクスは短くそう尋ねた。
「…前に、ピサンリが水袋を忘れて、届けに行ったとき。
畑で、出会ったんだ。」
「…名前をつけてしもうたんかのう?」
ピサンリの尋ねたのはそれだった。
うん、と僕がうなずくと、そうか、とちょっと苦笑いした。
「ごめんなさい。」
思わず謝ったら、涙が溢れてきた。
「…ごめんなさい…ごめんなさい…ごめんなさい…」
それしか言えることはなかった。
「もう、いい。」
謝り続けていたら、ルクスがそっと僕の頭に手を置いた。
ルクスはそのまま僕の傍にしゃがみこんで、下から僕の顔を覗き込んだ。
「こっちこそ、ごめんな?
そんな秘密、ずっとひとりで抱え込んで辛かったろ?」
優しく笑いかけられて、僕はまた涙が溢れてきた。
「泣くな。
大丈夫だ。
お前の友だちに危害は加えない。」
ルクスがそう言ってくれて、ほっとした。
だけど、それは、同時に、ルクスが僕の共犯になってしまった、ってことだと思った。
虫を隠していたのを見つけられたら、僕は多分、おっちゃんみたいに処刑されるだろう。
だけど、今までだったら、処刑されるのは自分だけだと思ってた。
でも、共犯になってしまったら、ルクスもアルテミシアも、同じ目に合わされるんだ。
それはダメだ、って思った。
「俺たちに隠してたのは、言ったら俺たちに迷惑をかけるって思ったからなんだな?」
ルクスは優しく尋ねてくれた。
「見つかったら虫を退治されると思ったんだろう。」
アルテミシアは横から淡々と言った。
「…その、どっちも…」
僕は正直に答えた。
ルクスはちょっと苦笑して、そうか、と言った。
「それにしても、虫を友だちだなどと、森の賢者様のなさることは、不思議じゃのう。」
ピサンリは笑っているけど、困っているのはものすごくよく分かった。
「…ごめんなさい…」
僕にはそう言うしかないんだけど、ルクスは、だから、謝るなって、って、さっきより少し強く言った。
「そいつは、悪い虫じゃない。
それは、間違いないんだろう?」
「しかし、この町の連中に、それを信じてもらえるかのう?」
それは無理だと僕も思う。
「仕方あるまい。
これは俺たちだけの秘密だ。
いいな?」
ルクスは確認するようにみんなの顔を見回した。
みんな、それにはしっかりとうなずいてくれた。
「だけど、お前も、これからは、秘密をひとりで抱え込んだりするな。」
ルクスは僕と目を合わせて諭すように言った。
僕はまた目からぼろっと涙が出たけど、ルクスの目を見てうなずいた。
ルクスは笑って僕の髪をくしゃくしゃにした。
「俺たち四人、誰かのかかえた問題は、全員の問題だ。
誰かが苦しい思いをしているなら、同じ思いを四人で味わう。
誰かの重い荷物は、四人で背負う。
辛い坂道を上るなら、四人、一緒に上る。
そして、誰かの大切なものは、四人全員で大切にする。
みんな、それでいいよな?」
「もちろんだよ。」
「ああ。もちろんだ。」
「もちろんじゃ。」
全員が応えるのを聞きながら、前はこういうとき、三人、って言ってたけど、四人、になったんだな、って思った。
「わしも、なんだか責めるような言い方をしてしまって、すまなかった。」
ピサンリは僕にそう言って謝った。
ううん、って、僕は首と手を同時に振った。
だって、やっぱり、最初に後ろ暗いことをしていたのは、僕のほうなんだし。
というか、これからも、僕のせいで、みんなに迷惑をかけてしまうかもしれないことに変わりはない。
「…ごめんね?みんな。」
「だーっ、だ!か!ら!もう、謝るな!って。」
ルクスは怒ったみたいに僕に言った。
ごめん、って、僕は、口に出したらまた怒られるから、小さく肩を竦めた。
もうみんなに知られてしまったし、それからは食事のときにはブブは机の上に乗っかって、僕のお皿の物を一緒に食べるようになった。
それでも、ブブは、自分用に分けられた物しか、絶対に口にしない。
そのお行儀のよさには、みんな感心していた。
「…これは、ただの虫、ではないんじゃろうのう。」
「しかし、どう見ても、ただの虫、なんだよなあ。」
ピサンリとルクスは何度も同じことを言って、首を傾げていた。
何日かして、僕はまたピサンリの忘れ物を畑に届けに行かなければならなくなった。
ピサンリって、話し方はお年よりなんだけど、意外に子どもみたいにうっかりさんなところあるんだ。
ブブはもちろん、僕の胸にくっついてついてくる。
ここは、すっかりもう、ブブの定位置だ。
僕はブブを町の人たちに見られないように、ひどく気を付けて、マントの前をしっかりと合わせていた。
城門を出て、畑の道を歩いていたときだった。
突然、ブブは、マントの隙間から、外に飛び出してしまった。
僕はびっくりして、辺りを見回した。
幸い、人影はない。
「こら!ブブ!戻っておいで?」
僕はなるべく声を潜めながらも、ブブを呼び戻そうとした。
ブブは、いつもなら、僕の言うことも分かるみたいに、行動していた。
だから僕は、ブブには、言葉は通じるんだと思っていた。
だけど、このときのブブは違った。
まるで言葉の通じない、その辺にいる虫みたいに、勝手に飛んでいく。
もし、誰かに見つかったら、ブブは退治されてしまう!
僕は焦ってブブを追いかけた。
もう誰かに見られるかなんて気にしてなかった。
それよりも、ブブを見失いたくなかった。
丈の高い作物が、整然と並ぶ夏の畑のなかを、ブブは、まるで道を知ってるみたいに飛んでいく。
迷路をくるくると回ると、ふいに、畑のなかに、ぽっかりと開けた場所に出た。
「やあ。坊ちゃん。お久しぶり。」
そこにはあのおっちゃんが座っていて、僕のほうを見上げて、にこにこと手を振っていた。




