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結局、僕は、畑から虫を一匹連れてきてしまった。
だけど、この虫、なんだか僕に話しかけたそうにじっと見ているし。
どうしても、退治されたくなかったんだ。
誰かに見つかったら、確実に退治されてしまうだろう。
もしかしたら、僕も、虫を呼び込む悪いやつだ、と思われてしまうかもしれない。
そんなことになったら、ルクスたちにも、ひどい迷惑をかけてしまう。
そんなふうにも考えたんだけど。
それでも、僕は、虫を放り出す気にはなれなかった。
僕は、虫に、ブブ、って名前をつけて、こっそり一緒に暮らすことにした。
ブブは、普段はいつも、僕のマントのなかに入って、胸のあたりにブローチみたいにとまったまま、じっとしている。
勝手に逃げていくことはしない。
本当は、どこかに閉じ込めておかないといけないのかもだけど。
僕には、ブブを閉じ込めることはできなかった。
自分のパンをこっそりひとかけら残しておいて、ブブにはそれを食べさせた。
お腹いっぱいだったら、大事な作物は食べたりしないんじゃないかなって思って。
最初は、パンなんて食べるかな、って思ったけど。
ブブは、もしゃもしゃパンをかじって、あとは満足したみたいに僕の胸でブローチになった。
ブブはいっつも目は開けっ放しみたいに見えるんだけど。
どうやら、僕の胸にしがみついて、寝ているらしい。
ふるふるとふるえる角に、そっと指を触れたら。
びっくりしたみたいに、こっちを振り返った。
そっと指を前に差し出すと、ブブは、面倒臭そうに、ゆっくりと僕の指に乗ってくれる。
そうやって目の前に持ってきて、目を合わせると、何か言いたそうに、口をもぐもぐする。
何を言いたいのか、何も言いたくないのか、それとも、文句を言っているのか。
それも全然分からないんだけど。
それでも、目と目を合わせていると、不思議にそれだけで、気持ちみたいなものが伝わってくるような気になるんだ。
今は、眠い、とか。
用事は、なんだ、とか。
お腹いっぱいだから、ほうっておいてほしい、とか。
あ、今、すっごく迷惑そうな顔してるなあ、とか思いながらも、僕は、ついつい、ブブに構ってしまうんだ。
こっそり野苺の畑にも連れて行ってみた。
いきなり喰い荒らしたらどうしよう、って思ってたけど、お腹いっぱいだったのか、ブブは、知らん顔してブローチになったままだった。
試しに、野苺の実をひとつ、食べさせてもみたんだけど。
ブブは、僕の手からだったら苺も食べるけれど、畑の苺には、目もくれなかった。
もしかして、ブブって、ものすごく賢い?
天才虫だね!
僕はすっかりブブと友だちになった。
ブブと友だちになれて嬉しかった。
ブブは僕を困らせるようなことはしない。
他に誰かいるときには、いつもちゃんと隠れていてくれるし、だけど、誰もいないときに僕が呼んだらすぐに姿を見せてくれる。
僕はもうずっとこの先も、ブブを一緒に連れて行きたい、って思った。
いつか、この町を出たら、ルクスたちにもブブのことちゃんと紹介しようと思う。
ルクスたちだって、ブブのこの礼儀正しさを知ったら、きっと、退治しないといけない悪い虫だ、なんて言わないに違いない。
だけど、今はまだ、ブブのことを、他の人に知られるわけにはいかなかった。
もしかしたら、ルクスたちなら、僕が説明すれば、分かってくれるかもしれない。
だけど、町の人たちは、多分、それは難しいだろう。
きっと、僕のことを処刑しようとするだろうし、そうなったら、大変だ。
ルクスたちだって、ひどい目に合わされるかもしれない。
せっかく、ルクスもピサンリも、町の人たちとうまくやっていこうとしているのに。
僕がそれを壊してしまうようなことは、絶対にしてはいけないと思った。
それでも、ブブといるのは楽しくて、僕は野苺畑の世話をしながら、よくブブと遊んでいた。
ときどき、笛を吹いたりすると、ブブもなんだか喜んでいるように見える。
ブブは森から持ってきた土笛よりも、川沿いの村のリョウシュにもらった、ヌシ様の笛のほうが好きみたい。
ヌシ様の笛を楽しい調子で吹き鳴らすと、喜んだみたいに、宙を飛んで、くるくると円を描いたりしていた。
しばらくは、そんな穏やかな日々だった。
朝、ルクスとアルテミシアは集会所へ、ピサンリは畑に行く。
僕は、お留守番と野苺畑のお世話係。
暇だったから、ここの家主に許可をもらって、野苺畑を広げたりもした。
だけど、僕って、隠し事は得意じゃないんだ。
そして、アルテミシアってば、ほぼ毎回、完璧に、僕の隠し事を見破ってしまう。
今回も見つかるのは時間の問題だった。
いつも通り、畑仕事の合間にブブと遊んでいるとき、ふと何かの気配を感じて振り返った。
そこには、アルテミシアが、目を丸くして僕らを見ていた。
ブブはとっさに僕の後ろに隠れたけれど、多分、意味ないだろう。
それにしても、アルテミシアって、気配を消して近づくのの天才だ。
アルテミシアはゆっくりと僕に近づいてくると、隣にしゃがんで言った。
「君の友だちを紹介してくれないかな?」
う。バレてるのに、これ以上隠すなんて無理だよね。
僕が恐る恐る指を差し出すと、ブブも恐る恐るそこへ乗っかった。
「へえ。君か。はじめまして。」
アルテミシアは生真面目にブブに挨拶をすると、もう一度僕のほうを見た。
「君の友だちなら、ルクスやピサンリも、紹介してほしいと思うよ?」
……だけど、あのふたりに言ったら、ブブは、退治されてしまう……
答えられずにうつむいた僕の頭に、アルテミシアはそっと手を置いた。
「大丈夫だから。
だけど、隠し事はよくない。」
「………分かった。」
そう言うしかなかった。
夕方、ルクスとピサンリが帰ってきた。
夕食の支度をしていると、いろんな人たちが、いろんなものを持ってきてくれる。
今日の夕飯もなかなか豪華だ。
この人たちみんなに、僕は嘘をついているんだと思うと、胸が痛い。
けれど、なかなか言い出せず、ただ時間だけ過ぎていく。
テーブルに着いて、みんな今日あったことをいろいろと楽しそうに話すけど、僕はただ黙っていた。
「なんだ、今日は元気ないな?」
「最近、少し元気になってきたと思っておったのじゃがのう。」
ふたりに心配そうな目をむけられて、僕は、うっ、となった。
ちらっとアルテミシアのほうを見たけど、アルテミシアは知らん顔をしてご飯を食べている。
僕はひとつ深呼吸をしてから、改めて顔を上げた。
「あの。僕、新しい友だちができたんだ。」
「ほう!」
ルクスとピサンリは同時に言った。
ふたりとも、とても嬉しそうな顔になる。
そのまま期待するような目を僕にむけてくる。
僕はますます言いにくくなった。
「…けど、その…」
ぶ。ぶ。ぶ。ぶ。ぶ。
言い淀む僕の目の前に、突然、ブブが飛んできた。
「うわっ!こら、こんなところまで、どこから!」
ルクスとピサンリはブブをはたき落とそうと、その辺にあったものを振り回した。
「やめて!」
僕はブブをマントのなかに庇って、ふたりを見上げた。
ふたりはびっくりした目をして、そんな僕を見下ろしていた。
「…新しい友だちって、もしかして…?」
ルクスは僕を見下ろして言った。
「ブブ、というんだそうだ。」
ずっと黙っていたアルテミシアが、にやっと笑って言った。




