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やっぱりリョウシュは恐ろしくて僕はびくっと首を竦めたけど、ここはびびっている場合じゃないと思い直して、改めてそっちへをむいた。
リョウシュは、手に持った木の棒で、ぴしっ、ぴしっ、という音を立てながら、僕を値踏みするように、じろじろと見た。
「お前もお仲間と一緒にヌシ様の餌になりに来たのか?」
リョウシュは僕を見てにやっと笑った。
「もっとも、こんな痩せっぽっち三匹食べたくらいじゃ、ヌシ様は満足なさらないだろうなあ。
ちょっとしたデザート代わりになら、悪くはないか。」
「あの魚は、あなたが飼っているの?」
そう尋ねた途端、リョウシュの木の棒はぴしっと僕に打ち下ろされた。
「ヌシ様のことを魚と言ったのか?」
棒は直撃はせずに僕の傍をかすめただけだったけど、かすかに当たった頬が、細く切れて、ぴりっとした痛みを感じた。
「おい!何しやがる!」
牢のなかでルクスが叫ぶ。
そっちを見ようともせずに、リョウシュはにやりと笑った。
「物を知らないガキには、躾をしてあげないと?
口のきき方に気を付けないと、次は、そのくらいでは済まない。」
僕はヒリヒリする頬を抑えながら、気を付けて言った。
「ヌシ、様は、あなたが、世話をしているの?」
だけど、もう一度、ぴしっ、と木の棒が飛んできて、僕の頬はもう一筋、切れていた。
「お仕えしている、んだ。
私の一族は、代々、ヌシ様に。」
代々?
そんな昔から、あのヌシ様はここにいるのか。
リョウシュは、ふふふ、と笑って、僕を見た。
「どのみち、お前たち全員、明日にはヌシ様のお腹の中だ。
せっかくだから、教えておいてあげよう。
我が一族は、ご初代様の頃から、あのヌシ様にお仕えしてきたんだ。
ヌシ様はそもそも…」
リョウシュはヌシ様がどれだけ美しくて、素晴らしくて、富貴をもたらしてくれたのか、それはもう、微に入り細に渡り、行きつ戻りつ、言葉を尽くして、同じことを何度も繰り返しながら、しつこく語ってくれたんだけれども。
とりあえず、要点だけ、まとめとく。
滝の水を売ることを考えたゴショダイサマは、滝の水を溜めて水を汲みやすくするために、あの場所に湖を作った。
その湖に、いつの間にか棲みついていたのがあのヌシ様だった。
だけど、最初からヌシ様はあんな巨大な魚だったわけじゃない。
普通の、人の腕程の長さの魚だった。
ただ、全身銀色で、その泳ぐ姿はとてもとても美しくて、誰でも、一目見ただけで、この魚は普通の魚じゃないって分かる立派な魚だった。
ヌシ様を最初に見つたのはゴショダイサマだ。
ゴショダイサマは、そのあまりの美しさに、この魚は湖のヌシとなって、一族や町に繁栄をもたらすだろう、って予言した。
そうして、湖の魚は勝手に獲ってはいけないってきまりを作って、ヌシ様を大事に守ることにした。
代々のリョウシュはこの話しを言い伝えられていたけど、ヌシ様の姿を実際に目にしたリョウシュはそんなにはいなかった。
湖のなかのたった一匹の魚なんて、そんなに簡単に見つけられるものじゃないし。
それに、湖も、代々、拡げられていたから。
だから、ヌシ様を見ることができれば、ものすごく幸運で、そのリョウシュの代の繁栄は約束される、なんて伝説もできたりした。
だけど、結局、生涯ヌシ様と出会うことは一度もなくて、そんな話しはただの作り話だって言ったリョウシュもいたらしい。
ところが。
今のリョウシュに代替わりしたとき、リョウシュはリョウシュになったその日にヌシ様を見た。
それどころか、ヌシ様は日に日に大きくなっていって、そのうち、湖が窮屈になると、自ら湖を拡げ始めた。
リョウシュは歓喜した。
これは、ヌシ様がとてつもない幸運を自分に運んできてくれるつもりなんだって。
ヌシ様の拡げた湖には水を汲み上げる水車をたくさん作った。
人をたくさん雇って、遠い街へも水を売りに行った。
そうして、今のリョウシュは、これまで以上の富を手に入れることができた。
そのうちに、ヌシ様は、湖が川へ流れ出すところを、塞ぎ始めた。
けれども、リョウシュはそれを歓迎した。
川下の町の住民は、川にゴミを捨てている。
街に売りに行けば高く売れる宝の水を、そんなやつらのところへ流すなんてもったいない。
リョウシュはそう考えたんだ。
リョウシュは湖に近付くことを禁じた。
見張りをたくさん置いて、近付く者は厳しく罰した。
今となっては、あのヌシ様は誰にでも見えるくらいに大きくなった。
万が一、よからぬ輩が、ヌシ様を傷つけようなどと、愚かな考えを起こさないとも限らない。
何より、幸運のヌシ様を、他のやつらに見せてやるなど、とんでもない。
そんなことをしたら、リョウシュの幸運が減ってしまうかもしれない。
ヌシ様はますます大きくなって、どんどん湖を拡げている。
宝の水は、広い湖に、たっぷりと溜まっていく。
楽し気に話すリョウシュを、僕はただじっと見ていた。
だけど、どこかで、何か、違ってしまってるんじゃないか、って思いながら。
だって、あの湖の水はもう、宝の水じゃない。
毒になってしまっているんだから。
「まったく、見張りを置いておいてよかったのだ。
このような不届き者が、ヌシ様に刃をむけるなど。」
リョウシュは憎たらし気にルクスとアルテミシアを睨んだ。
そっか。
リョウシュの言うところのよからぬ輩って、ルクスとアルテミシアも当てはまっちゃったんだ。
「もっとも、ヌシ様に、そのようななまくらな刃が敵うはずもない。」
ルクスの狩刀はよく手入れされていて、すっごく切れ味もいいんだけど。
それでも、あのヌシ様の固い鱗には刃が立たなかったらしい。
「ひとつだけ、聞いてもいいかな?」
リョウシュが一通り話すことに満足した辺りで、僕は恐る恐る口を開いた。
「あなたは、ヌシ様と話せる、笛、かなにか、を持っているのかな?」
もう叩かれたくなかったから、僕はよくよく気を付けて言葉を選んだ。
幸い、今度は、リョウシュの逆鱗には触れなかったみたいだった。
「ほう、よく気づいたな。
これは、我が家に代々伝わる家宝の笛だ。」
リョウシュは懐から笛を取り出してみせた。
僕の土笛とは少し形が違う、細い筒に吹き口と指孔がいくつかついた笛だった。
「これを吹けば、ヌシ様はお喜びになる。
明日、お前たちを生贄に捧げるときに、また、聞かせてやろう。」
「そっか。
どうも、いろいろ教えてくれて、有難う。」
僕はぺこりとお辞儀をすると、自分からルクスたちのいる牢屋のほうへ歩いていった。
「ルクスとアルテミシアが生贄になるなら、僕も一緒になるよ。
僕もここへ入れてください。」
牢屋の扉の前でリョウシュを振り返ってそう言ったら、その場の全員が驚いたみたいに息を呑んだ。
「ちょっ!馬鹿ッ!なにを言い出すんだ!」
ルクスは格子を掴んで揺さぶりながら大声で怒鳴った。
アルテミシアは、ちょっと額を抑えながら、あー、って深いため息を吐いた。
リョウシュは一瞬驚いた顔をしたけど、すぐに、ほほう、感心だ、と頷いた。
それから、腰につけた大きな鍵束からひとつ鍵を取って、牢屋の鍵を開けてくれた。
そのすきに飛び出そうとしたルクスに、僕は、だめだ、と言うように小さく首を振った。
ルクスは驚いたように目を見開いたけど、こっそりもう一度頷いてみせると、ちっ、と舌打ちをして、脱走は諦めた。
僕は自分から牢屋に入って、ルクスとアルテミシアの前に座った。
「やあ。またふたりと一緒になれて、嬉しいよ。」
思わず嬉しくなって笑ってみせたら、ふたりとも、思い切り複雑な顔して笑い返してくれた。




