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壺と一緒に帰ると、昼食の支度ができていた。
僕のお皿には、野菜と果物がたーっぷり。
なんか、いつもより、もっとたくさん載ってない?
僕が壺を連れて行くと、みんな目を丸くした。
あ、違った。
僕が、壺を、連れて行った、んじゃなくて。
壺が、僕を、連れて行った、だ。
壺について行っただけなんだよ、僕。
なんかねえ、壺が、勝手に動き出したんだ。
そう言うしかないよね?
そしたら、みんなに、思い切り、妙なものを見る目で見られた。
僕が悪いのぉ?
あの、にょろり、のことも、話そうかと思ったんだけどさ。
もっと妙な目で見られそうだな、って思って、やめておいた。
それに、みんな、ものすごく忙しそうだったしさ。
壺が動いてくれるお蔭で、水汲みはものすごく楽になった。
もちろん、僕、ひとりで行けるよ?
みんな忙しそうだしさ。
ご飯の後も、僕は何回も、滝と往復して、水を汲んできた。
その度に、笛を吹いて、にょろりと遊んでたのは、ちょっと内緒。
そのうちに、滝までいい感じになって、踊るようになっちゃってさ。
僕は、何回もずぶ濡れにされたけど、それも、内緒。
言ったら、また、叱られる。
それに今はもうすぐ夏。
濡れたって、全然寒くないし。
踊ってたら、すぐに乾いてしまう。
滝もにょろりも、本当に、お茶目さんでさ。
ちょっとよそ見すると、ばしゃって、水、かけるんだよね。
それもさ、割と、手加減なしに。
そりゃあねえ、滝も、にょろりも、濡れたって、困らないもんねえ?
何回目かに滝から戻った時、ちょっと早めの夕食が用意されていた。
ご飯を見た途端に、僕のお腹がぐーって鳴った。
今日はよく働いたもんね。
食事の後、少し寝ておけ、とアルテミシアに言われた。
ルクスもアルテミシアも、寝る暇はなさそうだけど。
水はもう十分にあったし、僕は言われた通り、少し眠っておくことにした。
昼間、いろいろやって、疲れていたし。
ちゃんと休んでおかないと、また足手まといになってしまう。
起こしてあげるから、ってアルテミシアは言ったんだけど。
夜中、目を覚ましたら、誰もいなかった。
まだなにか、準備に手間取っているのかも。
僕はそう考えて、皆を探しに行った。
だけど思い付く限りあちこち見て回っても、ルクスもアルテミシアも、少女も、シヨウニンガシラも、誰もいなかった。
まさか。おいてい…
それ以上考えたくなくて、僕はぶんぶんと頭を振った。
よく寝てるから、起こすのはかわいそうだ。
アルテミシアなら、そんなことを言いそうだと思った。
危ない目には合わせたくないしな。
ルクスもそう言って頷きそうだと思った。
だけど、もう一回ベッドに戻るなんて、やっぱりできない。
僕は庭園に出てみた。
明るい月が、高く上っていた。
ふらふらと歩き回っていて、気が付くと、滝のところに来ていた。
滝は、青い月を映して、きらきらと光っていた。
「やあ、滝さん。昼間は楽しかったね。」
僕は滝に話しかけてから、ちょっと小さく笑った。
なんか、とてつもなく寂しい気持ちが込み上げてきた。
そのときだった。
ばしゃっと滝が跳ねたかと思うと、僕のほうへ飛んできた。
そうして、いきなり僕の足をすくうと、器用に背中に乗せて、僕のからだを持ち上げた。
いったい、何が起こったのか、分からない。
僕はただ、翻弄されながら、焦ってもがいた。
ばっしゃん!!
強い水流と共に、僕は小さな洞窟みたいな場所に放り込まれていた。
そこは、滝の裏側にある小さな洞穴だった。
???
滝は、いったいなんで、こんなことを?
首を傾げた途端だった。
ざあっと滝の水の量が増えた。
目の前に分厚い水の壁ができる。
ものすごい滝の音に、胸がばくばくと鳴った。
そこへ、とてつもなく大きな叫び声が聞こえてきた。
キィエーーーッ
僕は両耳を抑えてうずくまった。
これは、あれだ。
ここに初めて来たときにも聞いた。
気持ち悪くなって、気を失ってしまった、あれだ。
水の壁に阻まれているお蔭か、今日は気は失わないですんだ。
だけど、やっぱり気持ちは悪くなって、僕はよろよろとそこへへたりこんだ。
キィエーーーッ、キィエーーーッ…
叫び声は何度も繰り返される。
うっと口元を抑えて堪えていると、目の前に、ちょろちょろと細い水の流れが落ちてきた。
この水を飲めって言ってるのかな?
湧き水を飲むときみたいに、僕は手で受けて、そっと口をつけた。
滝の水を飲むと、胸の中がすっきりなって、少し落ち着いた。
そっか。
滝は僕を助けてくれたんだ。
そのときになって、僕はようやく、滝のしてくれたことに気づいた。
あの叫び声は、ルクスもアルテミシアも聞こえないって言ってた。
だけど、滝には聞こえるのかもしれない。
だったら、やっぱりあれは、僕の気のせいじゃなくて、本当に、ある、んだ。
あれは、いったい、なんなんだろう。
僕がそう思ったときだった。
目の前の滝から、すっと手のようなものが伸びてきて、大きな掌が拡げられた。
滝の掌は、ひょいと僕をすくいあげると、すいっとそのまま持ち上げた。
うへっ、今度は、何されるんだ?
僕は軽くパニックになりながら、必死にどこかに捕まろうとしたけど、水は手の中でぱしゃっ、って崩れてしまって、掴むことはできない。
ただ、掌は意外とどっしりしていて、揺れたりもせずに、そのまま静かに僕を持ち上げた。
僕の目の前で、滝の帳が左右に開いた。
僕はもっと高く、ずっと高くに持ち上げられていく。
僕は掌の上にへたりこんだまま、ただ、落ちないようにじっとしていた。
高いところから、僕の目には、ずっと遠くの景色まで見えた。
視界のほとんどを占めているのは、月の光に照らされて、ぎらぎらと光る湖の水面だった。
ぎらぎらぎら…ぎらぎらぎら…
湖の光はまるで生き物のように蠢いていた。
いや、違う。
あれは、生き物だ!
全身を銀色の鱗に覆われた巨大な魚。
こんな遠くからでも、それが分かった。
ぎらぎら光っているのは、その鱗だった。
あんな大きな魚がいるなんて!
まるで、小さな盥にぎゅうぎゅうに押し込められたように。
その魚は、湖のなかで窮屈そうに泳いでいた。
魚は湖の淵の土を、鋭い歯を使って齧っていた。
まさか、あれが、ご飯なの?
それから、尾の辺りから、ばふっと大量の土を巻き散らしていた。
そうか。
ああやって、湖は堰き止められたんだ。
ご丁寧に魚は、自分の巻き散らした土を、ひれを使って押し固めている。
そうして、ますます湖は堅固に堰き止められる。
魚は、明らかに、意志を持って、やっているように見えた。
そのときだった。
また唐突に、滝は僕を滝の後ろの洞穴に放り込んだ。
キィエーーーッ!
それはあの魚の雄叫びだった。
魚が口をきくなんて、知らなかったけど。
……いや、そうじゃない。
あれは、声、じゃないんだ。
だから、ルクスにもアルテミシアにも聞こえないんだ。
湖が堰き止められた理由は分かった。
もしかしたら、湖の水が毒になっているのも、あの魚のせいかもしれない。
だけど、あんな大きな魚、いったいどうしたらいいんだろう?
魚の堰き止めたところを破って、川へ流してしまえないかな?
でも、よっぽどしっかり破らないと、ひっかかって、流れていかないかも。
それに、あんな魚流したら、川下の町の人も困るかもしれない。
そのとき、僕は、はっとした。
そうだ!ルクスとアルテミシアはあの湖に行ってるんだった。
大丈夫かな?
あの魚に襲われていないかな?
「滝さん、僕をもう一度、湖の見えるところへ持ち上げて?」
僕は滝に話しかけてみた。
すると、また、すっと目の前に滝が掌を差し出してくれた。
今度は僕も躊躇いなく、その掌に乗った。
すっと、目の前で帳が開く。
またあの、キィエーーーッ!が聞こえてきたらどうしようって、一瞬思ったけど。
今はそれよりも、ふたりのことが心配だった。
滝の掌に持ち上げてもらって、僕は高く高く、上っていった。




