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こうして僕は毎朝、アルテミシアと滝へ水汲みに行くのが習慣になった。
壺いっぱい汲んでくれば僕らの一日分は十分にもつんだけど。
僕はアルテミシアにお願いして、屋敷のみんなにもこの水を使ってもらえるように、伝えてもらった。
屋敷にはけっこうな人数がいて、水もそれなりにたくさん必要だった。
結局、僕は、アルテミシアと、毎日何回も水汲みに行くことになった。
だけど、僕は、それは別に嫌じゃなかった。
滝に行けば、重苦しい気分からは解放されるし。
それに、なんといっても、水汲みには毎回、アルテミシアが一緒に行ってくれたから。
滝に行けば、いつも、滝は自分から飛んできて、壺に入ってくれる。
僕はお礼の気持ちを込めて、笛を吹く。
壺はアルテミシアが運んでくれる。
だから、僕は、単に大好きな笛を吹くだけの役立たずなんだけど。
貴重な水をこぼしたらもったいないからって、アルテミシアは僕に壺を持たせてくれなかった。
それでも、僕は毎回、水汲みについていった。
いいんだ、役に立たなくても。
だって、こうしていると、なんだか嬉しいから。
ちなみに、滝に、苺もほしい、って頼んでみたら、なんとなんと、苺も蔓ごと壺に落ちてきた。
だけど、蔓を引き千切っちゃっうのは苺にはよくないよね。
だから、これを頼むのはやめることにした。
料理にも滝の水を使ってもらえるようになると、僕も食事を食べられるようになった。
あの黒い靄はやっぱり水のせいだったんだ。
肉や魚はまだちょっと苦手なんだけど。それは前からだし。
それに、いつの間にか僕の皿には、肉や魚より野菜や果物がたくさん載っているようになっていた。
ルクスの怪我は思ったより治るのに時間がかかった。
その間、僕は水汲みをして過ごしていた。
リョウシュはあの後、姿を見せることはなかった。
それは少し、いや、けっこう、助かった。
そんなふうにして、数日、過ぎたころだった。
朝、いつものように滝に水を汲みに行くと、いきなり滝が、まるで僕を待っていたように、ばしゃり、と飛び掛かってきた。
僕の周りは一瞬、水に閉ざされ、何も見えないし、音も聞こえなくなる。
その瞬間。
僕のなかに、鮮やかなイメージが湧き上がった。
森に蕭々と降る雨。
それはとても静かな光景なんだけど。
広い森に降った雨は、土に蓄えらえ、森に蓄えられ、そして、沢に流れ出す。
いつもは優しくさらさらと流れる水が、轟轟と音を立てて急流になる。
そこで、はっと我に返った。
「雨が、くる!」
思わずアルテミシアを振り返ってそう言っていた。
アルテミシアはいきなり滝に襲われた僕をびっくりして見ていたけれど、すぐにはっとしたように壺をそこへ置いて、急いで引き返し始めた。
濡れて冷たい、なんて、感じている暇はなかった。
わざわざ滝が僕にこれを報せてくれたのには、きっと意味がある。
僕らにはやらなくちゃいけないことがある。
急いで屋敷に戻ると、僕らの世話をしてくれる少女が、入り口のところで待っていた。
いつもここで壺を渡すから、それを待っていてくれるんだ。
壺を持たずに戻った僕らを見て、少女は不思議そうに首を傾げた。
「大変だ。雨が来るよ。」
焦っていた僕は、うっかり僕らの言葉で少女にそう言ってしまった。
少女はもう一度首を傾げてから、言った。
「雨の、どこが大変なんですか?」
「とにかく、大変なんだよ!
急がないと…」
焦った僕はそう言って狼狽えるばかりだった。
すると横からアルテミシアが言った。
「わざわざ滝が報せてきたからには、きっと、なにか、恐ろしいことが起こる。
このことを、皆に報せてほしい。」
「恐ろしいこと?」
少女ははっとした目をして、それから、分かりました、と短く言っていきなりどこかへ走り去った。
僕らはそのままルクスの部屋へと駆け込んだ。
ルクスはまだ少し足を引きずりながら、歩く練習をしていた。
「ルクス!大変だ!雨が来るよ!」
部屋へ駆け込むなり、僕はそう叫んだ。
「多分、なにか、恐ろしいことが起こるんだ、って、アルテミシアが言うんだ!」
僕の支離滅裂な話し方にルクスはすっかり慣れているから、それだけで、僕の言いたいことはほぼ伝わっていた。
「恐ろしいこと?
雨が降って、恐ろしい…
湖が、溢れる、とかか?」
「!!!そうかもしれない!!!」
ルクスに言われた途端、僕の脳裏にそのイメージが広がった。
それはとても恐ろしい光景だった。
雨がいきなりたくさん降ったら、堰き止められた湖が溢れる。
そうしたら、この辺りは水浸しになるかもしれないし、川の下流にある町だって、大変なことになるかもしれない。
「ダメだよ!
今のうちに、あの湖をなんとかしておかないと!」
僕がそう言うまでもなかった。
ルクスとアルテミシアは無言のまま視線を交わすと、部屋を駆けだそうとした。
けれど、あの少女とリョウシュ代理のシヨウニンガシラが、扉のところで僕らを通せんぼしていた。
僕はシヨウニンガシラのことが怖くて、急いでアルテミシアの後ろに隠れた。
アルテミシアは低い声で、平原の言葉で、二人に何か言った。
「その前に少し、お話しが。」
そう言ったのは少女だった。
あ、れ?
そのときになってようやく、僕は少女が僕らの言葉を話しているのに気が付いた。
「君は…森の民の言葉を話せるの?」
「話せない、と申し上げた覚えはありませんが。」
少女は淡々とそう返してから、僕らを押し戻そうとするかのように両腕をひろげた。
その少女にむかって、シヨウニンガシラが何か言う。
すると少女は一度頷いてから、僕らにむかって言った。
「ただ闇雲に湖へ行っても、また兵士に捕まえられるだけです。
彼らは、許可なく湖に近づく者を問答無用に捕まえるようにと命令されていますから。」
どうやら、シヨウニンガシラの言うことを少女が通訳してくれているらしかった。
「ご主人様は、何人たりとも湖に近づけるな、と。
これは厳命だそうです。」
「…どうして?」
「…その理由は彼も知らないそうです。
ただ、この前の秋の頃から、ご主人様は湖にひとりで行かれるようになったのだ、と。
そして、誰も、湖に近づいてはならない、と言って、見張りの兵士を大勢つけたのだ、と。」
「…いったい、湖に、なにがあるんだ?」
アルテミシアは訝し気に眉をひそめた。
「ただ、その見張りは、真夜中に交代をするのだそうです。
その交代のときを狙えば、もしかしたら、湖に近づけるかもしれない。
自分が案内する、と彼は言っています。」
「…そんなことをして、あなたは大丈夫なのか?」
アルテミシアはものすごく意外そうにシヨウニンガシラと少女を見た。
するとシヨウニンガシラは、アルテミシアを真っ直ぐに見つめて、自分の口で言った。
「わたし、あなたに、有難う。
あなた、わたしの、傷、治す。
あなた、水、兵士、元気に、する。
祭り、素晴らしい。
あなた、信じる、可能。」
「ご主人様は、おかしくなってしまわれているのです。
どうか、お力をお貸しください、賢者様。」
少女はそう言うなりそこへ膝をついた。
僕は慌てて少女を助け起こしながら、精一杯笑ってみた。
「そんなこと、しなくていいんだ。
僕のお皿に、肉や魚より、野菜をたくさん載せるようにしてくれてるのは、君でしょう?」
少女は、いったい何を言い出すんだ、とでも言いたげな、きょとんとした目で僕を見てから、ええ、と頷いた。
「あまりお食事をお召し上がりにならないと、思っておりましたので。」
「ごめんね?好き嫌いなんて、よくないんだけど。
でも、助かったんだ。
だから、僕も、君に、有難う。
そんな君のためにお役に立てるなら、喜んで頑張るよ。」
「川に水を戻して、先へ進む。
俺たちの目的も、同じだからな。」
ルクスは僕の後ろからそう言った。
「手を貸してもらえるなら有難い。
そうと決まったら、今夜に備えて、できる準備はするぞ?」
おー、と僕は手を上げた。




